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平原康多の勝ちペダル

【#13】優勝こそ逃したものの…「悪い流れは断ち切れた!」/ 火の国杯争奪戦回顧

2021/10/15 (金) 18:00 20

“自分らしい走り”を取り戻しつつある平原康多選手(撮影:島尻譲)

 netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは。平原康多です。

 今回は10日に終わった、GIII熊本記念in久留米のことを書きます。

ラインでワンツースリー! 最高の気分

 初日の特選は、北津留翼君(福岡)が先行して中川誠一郎さん(熊本)、3番手が中本匠栄君(熊本)。自分はその後ろからの組み立てになりました。6番手に松浦悠士君(広島)がいて、脇本雄太君(福井)は8番手。松浦君がまくってきたのに合わせて、中川さんが番手まくり。自分も最後は踏み込みましたが3着でした。

 2日目の2次予選は過去、何度も連係している坂井洋君(栃木)を目標にしました。連係実績が豊富だから、彼のスピードとか脚質は把握できています。その中で番手の役割をキッチリとできたと思います。やるべきテーマを持って走りました。準決勝は4番手を確保してからまくる形になり2着でした。結果、ラインでワンツースリーが決まり、最高な気分でした。

準決勝はラインでワンツースリー!(撮影:島尻譲)

あの時の1着失格が頭をよぎり…

 そして迎えた決勝戦。九州勢を追走する形になっていたのですが、松浦君に4番手を奪われました。彼が外から降りてきた時、死守できれば良かったのですが…。2016年のGI全日本選抜、場所も同じ久留米なんですが初日特選で、今回と同じような展開になり引くに引けないままインを走り1着失格になったんです。それが一瞬、頭をよぎった結果、4番手を取れなかった。松浦君がうまかったですね。

 松浦君がまくると合わせて番手の嘉永泰斗君(熊本)がまくり、自分もその外からまくりに行きました。ゴール寸前で松浦君が落車し、自分の後輪と接触しました。そこでスピードが鈍り結果的には3着でシリーズを終えることになりました。今回は脇本君(2日目から欠場)と前検日、初日と話す機会を得て聞きたいことも聞けたし、自分が思っていたことの答え合わせもできました。そういった意味では収穫がありました。

やっと、いい方向に向いてきた

 ここ4、5か月は落車が続き、思うようなレースができていませんでしたが、3場所前の松阪記念を完走し、前回の共同通信社杯も決勝2着。やっと自分が思っているレースができてきたと思っています。優勝こそできていませんが、いい方向に向いてきたと思います。久留米の決勝も流れが悪ければ落車していたかもしれません。体が戻ってきているから踏ん張れたんではないでしょうか。ここにきて悪い流れが断ち切れたと感じています。

あそこで踏ん張れたのは、体が戻ってきているから(撮影:島尻譲)

 次は弥彦競輪で行われるGI「寛仁親王牌」です。自分は今は埼玉に住んでいますが、14歳の途中まで弥彦村の隣、岩室村に住んでいたんです。だから弥彦というのは思い出深い場所でもあります。そこでの開催ですので、しっかりトレーニングを積み、自分のできることを精一杯して走ってきます。

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平原康多の勝ちペダル

平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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