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平原康多の勝ちペダル

【#54】平原康多が電撃告白、「ダービーを最後に引退します」

2025/05/23 (金) 00:00 92

平原康多選手のコラムが3月以来の更新です。お待たせして申し訳ありませんでした。この数ヶ月、いや、2年あまりの間、平原選手は苦悩と葛藤の連続でした。何度も自問自答を繰り返し、ボロボロの体を必死に立て直そうと頑張りました。そして昨年、初優勝した日本選手権で1つの答えにたどり着きました。愛読者の皆様には、真っ先にお知らせします。

23年の競輪人生に幕を閉じ、平原康多がバンクを去る(撮影:北山宏一)

◆ドラマの多かったダービー「新山響平は今一番尊敬している選手」

ーー日本選手権お疲れ様でした。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ大会はいかがでしたか?

 いやぁ疲れましたね。

ーー優勝旗の返還は行われたんですか?

 ああ、やりました、やりました。

ーーその優勝旗は、昨年、平原選手の前で駆けてくれた吉田拓矢選手に引き継がれました。すごいドラマですね。

 眞杉のオールスター、僕のダービーに貢献してくれて、今度は眞杉の後ろからヨシタクが獲る。ドラマがありましたね。

優勝旗がヨシタクへ引き継がれた今年のダービー(撮影:北山宏一)

ーーそのドラマを最前列で見てきたわけですから、感慨深かったのでは?

 確かにそうですね。近くで見られて良かったです。日本選手権を勝ってダービー王になるというのは、GIの中でも別格だと思っています。その舞台でヨシタクと眞杉がワンツーを決めた。本当にうれしかったです。眞杉は悔しそうでしたけどね、はははは。

ーー他に印象的なシーンや感動はありましたか?

 改めて新山(響平)のすごさを感じました。彼は全てのレースを自分で作っていますから。僕が今一番尊敬している選手です。もちろん古性(優作)も強くてすごいけど、新山は相手に戦法を読まれながら、その走りを貫いてダービー王を目指していた。あの気持ちの貫き方は真似の出来るものではありません。

新山(左)や慎太郎さんの走りにも感動(撮影:北山宏一)

ーー最終日の佐藤慎太郎選手の1着も感動的でした。場内がものすごく沸いていましたね。

 すごかったですね。あの場面もドラマがあるなと思いました。マジで慎太郎さんには限界なんてないですよ、はははは。

ーーあの歓声を聞いて、改めて最近の競輪の盛り上がりを感じられました。平原選手もたくさんの方が応援しています。

 今年なんて何の成績もあげていないのに、オールスターの中間発表で12位に入っていた。どんな時でも応援してくれる人がいるというのを感じましたし、ファンの人には本当に感謝しかありません。

◆ダービーの特選レースで決意「もうここで辞めよう」

2着に入った2日目10Rの特別選抜予選(写真提供:チャリ・ロト)

ーー平原選手自身もまだ状態が良くない中でしたが、特選2着でゴールデンレーサー賞に進めたのは大きかったですね。

 確かにゴールデンレーサー賞に行かれたのは良かったんですけど、2着のレースの感覚が悪すぎて…。

ーー特選の最終バックから眞杉匠選手に遅れたシーンですか? あそこは和田真久留選手と絡んだ分、仕方ないように見えましたが。

 そこはしょうがなかったんですけど、その後ですね。離れながら眞杉を追っていく時の感覚が悪すぎて、これは体が本当にヤバいなと思いました。

ーー新しいトレーナーを付けたと聞いていました。改善されなかったのですか?

 自分の体の状態をすごく理解してくれるトレーナーで、この人でダメならもうダメだろうと思えるぐらいでした。一昨年の武雄記念で肩甲骨、復帰した高松宮記念杯で左股関節の大けがをして、そこからの2年はケアをやり尽くしてきましたが、それでも戻せなかったです。

ーー今のトレーナーと今のトレーニングを続けていっても難しいですか?

 今までなら簡単に回避出来た場面でも、この体でいることで落車を避けられない。リセットしないといけないと思って、そのトレーナーにお願いしましたけど、体に打ち勝てなかったですね。それが特選のレースで完全に分かってしまった。漕いでも漕いでも進んでいかなかった。もうここで辞めようと思いました。

漕いでも漕いでも進んでいかなかった…(撮影:北山宏一)

ーーえっ!?

 このダービーを最後に引退します。突然ですが、このコラムもこれが最後になると思います。

ーーあとオールスターを獲ればグランドスラムですが、決断は変わりませんか? SSでいれば、チャンスはあると思うのですが…

 僕はそこにこだわりがないんです。SSにいれば、チャンスのある位置だというのも分かっています。ファンの方が期待されているので、オールスターまでは何とか頑張ろうと思っていました。でも、体が改善されないことが分かってしまった。ダービーの最中も辞めると決めたことは誰にも言わなかったし、終わってからも言わずに帰りました。

ーー毎月、このコラムでお話を聞かせていただきましたが、その間に何度も落車があって心配でした。でも、引退の2文字を聞くのは怖かったです。

 この2年ぐらいは、ずっとよぎっていました。でも、応援してくれる人がいるから何度も再チャレンジ出来たし、奇跡的にダービーも勝ってしまった。今思えば、あそこで辞めていればなと思いますね、ははは。

2024年ダービー優勝インタビューでは思わず涙も…(撮影:北山宏一)

ーーそれはカッコつけすぎでしょう(笑)

 はははは、そうですね。でも、また奇跡が起きて、今回もし決勝に進んで好成績を残せたとしても、考えは変わらなかったと思います。

◆前代未聞のSSの引退…「弱くなって中途半端に終わるのは嫌だった」

ーーダービーから帰ってご家族にはすぐに伝えたのですか?

 言いました。妻は「それはあなたが決めることだから」と尊重してくれました。

ーー元選手のお父様(平原康広=28期、99年7月引退)にも伝えましたか?

 次の日に伝えに行きました。実は親父もちょうど僕の年ぐらいの時に首の大けがをして、それが引退の引き金になったんです。親父は僕に言わなかったですけど、きっと「もう頑張りすぎなくていいよ。辞めてくれないか」と思っていたみたいで、夫婦でそんな話をしていたそうです。僕が気持ちを伝えたら、親父はすぐに賛成してくれました。それが完全に僕の決断の背中を押してくれました。

ーーSSのままの引退は前代未聞ですね。

 このまま弱くなっていって中途半端に走ってからの幕引きは嫌でした。平原康多という選手が、商品としてのイメージ通り走れない。自分の体は自分が一番よく分かっているし、十分に耐えたなと自分で思えましたから。

自分の体は自分が一番よく分かっている(撮影:北山宏一)

ーーここまで聞いたら、平原選手の決断を尊重します。こうなると、昨年のダービー優勝は本当にすごい奇跡が起きたんですね。そのシーンを生で見られたことも良かったです。

 一番の思い出になりました。絶好調でも勝てないのに、あんな状態でも勝ててしまった。競輪は本当に面白いです。今までなかなか味わえない経験をたくさんさせてもらえたし、選手になったこと、辞めることには何の悔いもありません。

ーー本当にスッキリしているように感じます。

 よく選手同士でこんなテーマの会話をするんです。「今の知識のまま20歳に戻れるなら戻りたいか?」 僕はいいも悪いも満足したので、絶対に戻りたくありません、はははは。未練は1%もないので、今は気持ちが楽になりました。

ーーファンの方だけでなく、選手や競輪に携わる人たちはみんな驚くでしょうね。

 事前に引退を伝えたのは、本当に身近なごく数人だけですから、ファンの方はビックリされるかもしれません。さっきも言いましたけど、応援してくれた方々には本当に感謝しかありません。それがなければ、間違いなく最後の2年は頑張れなかったです。

◆23年の競輪人生にピリオド…きっとまたどこかで

ずっと悩み続けてきたからこそ、今はスッキリしている(撮影:北山宏一)

ーー辞めると決めて、気持ちや体に変化は起きましたか?

 スッキリしています。ダービーが終わって数日、自転車に乗ってない状況ですが、それでも腰はめっちゃ痛いです、ははは。

ーー今後のプランは決めているのですか?

 まだ周囲にもほとんど伝えていないですし、何も考えていません。

ーー競輪には携わっていきますよね?

 いきたいです。業界にはもっと良くなって欲しいし、自分の愛した競輪というものを広めていけたらと思います。

ーー若い子を指導したり、選手を育てたりすることに興味はありますか?

 それは自分に向いていないと思うし、選択肢にはないですね。

ーー第二の人生は楽しみですか?

 ここからが本番と思って、新たな目標と楽しみを見つけたいと思います。選手になって23年、ここまで応援、本当にありがとうございました。またきっとどこかでお会い出来ると思います。

今まで応援していただき、ありがとうございました(撮影:北山宏一)

(※文中敬称略)


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平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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