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平原康多の勝ちペダル

【#12】「自分らしい走りもできた」悔しい思いと安堵感と / 共同通信社杯回顧

2021/09/28 (火) 15:00 15

 

今回のコラムは共同通信社杯を振り返ります(撮影:島尻譲)

ケガをおしてでも試したかったこと

 netkeirinをご覧の皆さん、平原康多です。今回は岐阜競輪場で開催され、20日に終わったGII「第37回共同通信社杯」のことについて書きたいと思います。

 振り返る前に、まず8月の小田原記念準決勝で落車。背中から落ちて肩甲骨を痛めました(擦過傷)。次の松阪記念は、共同通信社杯の前にどうしても試したいことがあったので擦過傷が治ってないまま出場しました。試したいことというのはセッティングです。これから競輪のトップで戦う上で必要なものです。

松阪記念にて自転車と向き合う平原選手(撮影:島尻譲)

 今まで、練習で良くても実戦では違う。体がセッティングに追いついていないということがありました。レースでしか分からないことがあるんです。4日間、自分の体と照らし合わせることが大事だと思います。小田原記念が終わり、日程的にきつかったのですが松阪記念を走ったことが、この共同通信社杯にある程度、繋がったと思っています。

 初日の一次予選は5Rでした。結構、動きがあり出入りが激しい中、自分らしくうまく対応でき最終バックからまくって1着。最近は、落車などで自分らしい走りがなかなかできていませんでしたが、元の自分に戻ったようなレースでした。

「元の自分に戻ったようなレースだった」(撮影:島尻譲)

 二次予選は関東の眞杉匠君(栃木)、吉田拓矢君(茨城)と連係し、自分は3番手。3番手の競走は過去にありましたが、今回は現在の関東を代表する先行選手2人の後ろ。眞杉君に合わせて踏んだり、吉田君の動きに合わせてみたりと、凄く勉強になりましたね。各々が、緊張感を持って走れたと思います。

 準決勝は目標の吉田君に任せました。吉田君が最終ホームから仕掛けてくれましたが、佐藤慎太郎さん(福島)の牽制で失速。そこで佐藤さんの後ろにスイッチしました。4コーナーを回って外を踏みましたが、山口拳矢君(岐阜)に抜かれ2着。

この“1車”が大きかった

 そして決勝です。ラインは新山響平君(青森)を先頭に新田祐大君(福島)、守澤太志君(秋田)の東北勢。郡司浩平君(神奈川)に鈴木裕君(千葉)の南関勢。山口君、清水裕友君(山口)が単騎で、関東は自分と杉森輝大君(茨城)。レースは新山君が先行。清水君が合わせて前に出たんですがその時、自分は山口君に内から来られ結局、山口君の後ろ。この1車が大きかったと思います。山口君が7番手からまくり、自分も懸命に追い込みましたが道中、思いのほか力を使っていたので届かずの2着でした。

“この1車”が大きかった(撮影:島尻譲)

 勝った山口君は強かったし、勝ちたいという気持ちが凄く出ていたと思います。自分自身、悔しい思いと共に、4日間最後まで走り抜けた安堵感もありました。まだケガは治っていませんが、ケアしながら、次のGI「寛仁親王牌」に向け、練習に励んでいます。

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平原康多の勝ちペダル

平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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