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平原康多の勝ちペダル

【#52】ぎっくり腰に落車…波乱の幕開け! 平原康多が不屈の闘志で挑む“気合と根性”の1年

2025/01/30 (木) 19:00 15

年末年始の平原康多選手は、大きな期待と責任を背負ってKEIRINグランプリ→立川GIII→大宮GIIIと走り続けました。2025年は2年ぶりのS級S班復帰を果たしましたが、大変な出だしになりました。新年一発目のコラムでは、気になるケガの状態、今の気持ちを誠実に語ってもらいました。

グランプリは悔しさが残る一戦だった(撮影:北山宏一)

◆「早く走りたい、でも走りたくない」両極端の思いが込み上げるグランプリ

ーー2年ぶり14度目のグランプリはいかがでしたか? GI競輪祭の落車から、1カ月でどのように立て直して臨んだのですか?

 前半はケアを中心にして、疲れと痛みを抜くところからはじめました。その後は気分転換も兼ねて沖縄で合宿を張りました。とはいえ、まだ体は痛いところだらけだったし、しっかり体が動いてくれたのは、12月の中旬ぐらいからでしたね。

ーーそこから全開で遅れを取り戻していったんですね。

 バンクが使えなかったこともあって、街道練習が中心でした。でも、やり過ぎてしまって、また腰を痛めました。調整のペース配分がうまくいかず、ケガにつながってしまった。もう少し時間が欲しかったなというのが正直なところです。

ーー静岡グランプリといえば、お客さんが多いことで有名です。今回もホームスタンドはびっしりお客さんで埋め尽くされていました。壮観でしたね。

 お客さんの熱気がものすごくて、緊張感もハンパじゃなかったです。

多くのお客さんで埋め尽くされたホームスタンド(写真提供:松井律)

ーー何度走っても、グランプリの雰囲気は特別ですか?

 ですね。早く走りたい気持ちと、走るのがイヤだなという両極端の思いが交互にこみ上げてくるんです。ここを目標にやってきたんだなという思いに駆られます。

ーー前検日はリラックスした表情に見えました。どのあたりからスイッチが入るものなんですか?

 緊張感がピークになるのは、当日の顔見せに出るあたり。そこでバーッと緊張が高まって、そこからレース本番までは心を整えていく作業ですね。

ーーレースでは北井佑季選手のペースが思ったよりも上がらず、脇本雄太選手に先行させてしまう想定外の展開になりました。平原選手を追って見ていたので、少し消化不良のレースになってしまいました。

 僕は眞杉(匠)に任せていたし、結果は仕方のないこと。「悔しい一戦になった」という感情は残りました。

ーー2025年にまたこの舞台に戻ってやるという気持ちは強まりましたか?

 結果を悔しいと感じられたし、そういう気持ちがあるから、また次の1年を頑張れる。でも、10年前から「これが最後だろう」と思って走っているし、グランプリに出られることが当たり前と思ったことは一度もないんですよ。

◆新年早々ぎっくり腰で前途多難なスタート…

万全のコンディションで臨めなかった立川記念(撮影:北山宏一)

ーーその大一番から中3日で立川GIIIでした。日程的に正月気分を味わう間もなかったと思います。年末年始はどのように過ごしたのですか?

 もう少しグランプリから間があればいいけど、それは言っても仕方のないこと。31日だけ休んで、元旦から乗り始めました。ところが、そこでぎっくり腰になってしまったんです。

ーー疲労がたまっていたんでしょうか。前途多難なスタートになりましたね…。

 直前欠場が出来ないルールがある限り、頑張って走るしかない。ただ、年末年始は治療院もやってないじゃないですか。

ーーですよね。どうやってケアしたんですか?

 古い付き合いの先生に無理を言って、とりあえず応急処置で鍼を打ってもらいました。けど、生活する上でもきつかった。立川の前検日はまだ腰が抜けちゃっているような状態でした。

ーーいくらペナルティがイヤとはいえ、よく参加を決めましたね。

 元旦に子供たちと一緒に書き初めをするんです。そこで1年の抱負を書くんですけど、今年は「気合と根性」と書いたんですよ。

ーー子供たちの前でそう書いてしまった以上、休むわけにはいかなくなったんですね(笑)。

 はははは。書いた途端にこういう状況になって、いきなりこの言葉を胸に刻んで走らないといけないのかと思いましたよ。最悪、途中で帰る羽目になっても、まずは出来ることをやろうと決めました。

ーー皮肉な状況ですね。

 何とか立川は走り切りましたけど、1年のはじめがこれかよとは思いました、ははは。

ーー中3日では、グランプリからの惰性で走っているような感覚なのですか?

 それが意外とそうではないんですよ。立川に入ると区切りがつくというか、ここからまた1年がはじまるなという気持ちになれるから不思議です。

◆宿口陽一が即答できなかった、大宮・準決勝の並び

ーーそういうものなんですね。そこからGIII大宮までは少し時間がありました。

 ケアもトレーニングも出来たので、立川に比べたら、8割方は戻っていたと思います。

ーー大宮の一番の注目ポイントは、準決の並び(埼玉トリオは森田優弥-宿口陽一-平原で折り合った)でした。

 ははは、聞かれるだろうとは思いましたよ。

一回頑張ってもらった分は、ちゃんと一回返さないといけないという思いはあった(撮影:北山宏一)

ーー並びが決まるまでの経緯を教えてください。

 まず前提にあったのが、競輪祭で落車した次の日のことです。その時は陽一が「前で頑張らせて下さい」と言って、気持ちのこもったレースをしてくれました。一回頑張ってもらった分は、ちゃんと一回返さないといけない。そういう気持ちは持っていました。

ーー結果はともかく、宿口選手の思いを感じ取れるレースでしたね。

 だから、陽一に頑張りたい気持ちがあるなら、ここは前を回っていいよと言ったんです。そうしたら、「ちょっと考えさせて下さい」といったん保留されました。

ーー宿口選手は即答しなかったんですね。

 しばらく考えてましたけど、最終的に「前で頑張る」という答えを持ってきました。

ーーレースは…残念な結果に終わってしまいました。(森田が失格で、宿口と平原は落車)

 あれも競輪。いいことばかりではないし、ああいう事もありえる。陽一は鎖骨をやってしまって、僕は腿の打撲が酷かったです。でも、森田が一番辛かったと思いますよ。

落車した自分よりヘコんでいた森田優弥(撮影:北山宏一)

ーー森田選手は責任を感じたでしょうし、その言葉は救われますね。レース後の雰囲気はどうでしたか?

 僕は救急車で搬送されてしまったので、その後のことは分かりません。でも、翌日に森田から連絡があったので、気にしなくていいよと伝えました。ケガをしている僕より、アイツの方がヘコんでましたから、ははは。

◆毎年、落車が多くて、何かを試されている気がする

ーーかなり酷い打撲ということですが、今後の復帰の予定は?

 出来ればGIII奈良から走りたいとは思っています。大宮の直後は痛すぎて、とてもそんな風に考えられなかったけど、今は自転車に乗っている分にはマシになりました。まだ階段を上るとかはキツいんですけど、練習はやれることをやっています。

ーー腰痛に落車と、なかなか厳しいスタートになりました。

 毎年、落車が多くて、何かを試されている気がします。

ーー大宮の直後は、「さすがに参りました」と言っていましたね。

 今のところ頑張れているけど、いつ自分の気持ちが切れちゃうかは、自分でも分からないじゃないですか。自分の心には折れないでもらいたいし、自分で自分に「持ってくれよ」と祈っています。

いつ自分の気持ちが切れるのかは、自分でも分からない(撮影:北山宏一)

ーーレース後にかける慰めや励ましの言葉のレパートリーがだんだん減ってきました。この1〜2年は、応援する側からしても心配する場面が多いです。

 はははは。悪いことが続くと、負の感情に陥りがちですからね。

ーーでも、何度でも立ち上がって、本当に強い人だなと思います。負の感情はどうやって克服しているのですか?

 う〜ん、克服しようと意識してはやっていませんけど、そういう時は考え方を変えてみますね。このケガにはどういう意味があるのだろう?と考えたりします。

ーーケガや調子の上がらない状況にどういう意味があるのかと?

 そうですね。なぜいつまでも腰痛が治らないのかと悲観してしまう状況で、「これは乗り方を変えろという暗示なのかな」なんて考えていますね。

ーー平原選手のことだから、思い立ったらすぐに実践するのでしょう。

 やりますね。全てがうまくいくわけではないけど、うまくいった時には新しい発見があるし、そうやって結果が出ればまた自転車や競輪が面白くなってくる。そんなことをしていると、いつの間にか負の感情は紛れてしまっています。

ーー苦労が報われることを願っています。GIII奈良の後は、今年初のGI全日本選抜もあります。

 SSに戻って一発目がぎっくり腰で、次が落車。始まりは最悪ですけど、“気合と根性”で頑張ってみます!

奈良GIII、全日本選抜へ向けて気持ちを新たに(撮影:北山宏一)

(※文中敬称略)


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平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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