アプリ限定 2025/07/23 (水) 18:00 14
関東を一枚岩にした関東ゴールデンタッグは、平成最強と謳われました。2人が確立したイデオロギーは、関東の若手に脈々と受け継がれています。平原康多コラム「勝ちペダル」はこれが正真正銘の最終回。前回に引き続き、戦友・武田豊樹選手との対談で締めくくります。お二人のサイン入りグッズのプレゼントもありますので、最後までじっくりご覧ください。※応募にはnetkeirinアプリ(無料)のインストールが必要です。
【インタビュー・編集=松井律(日刊スポーツ)】
▶︎前編はこちら
ーー2人が連係するようになってから細分化されていた関東が、大きなレースでは「1つにまとまろう」という流れが出来たように思います。当時、2人が前を任せてもいいと思えた若手は誰かいましたか?
武田 その当時はいなかったですね。僕ら以外に関東でGIを勝ったのだって長塚(智広)ぐらいでしたよね。のちに茨城から10人もGIに参加するようにはなったんですけど、当時は自力でタイトルを獲るような若手選手は見当たらなかったです。
平原 僕も武田さん以外に付きたいと思う選手はいなかったし、そういう気持ちも全然なかった。それなら自分でやろうと思っていました。
ーー確か平塚記念だったと思うのですが、武田選手が弟子の牛山(貴広)さんに前を任せなかったレースが強烈でした。簡単に前は回さないという意地が見えましたし、厳しい師弟関係だなと感じました。
武田 そうですね。やっぱり自力選手としてのプライドがあったし、あくまでも先頭で勝つことが目標でしたから。
ーーあの時は武田選手がまくって勝ちましたよね。レース後、「勉強になったろ?」と牛山君に言ったシーンが忘れられません。
武田 シビアにやらないといけない面もあったし、そうするからには周りから言われないように自分も準備をしておかなければいけなかった。でも、あれから牛山は強くなってダービーの決勝にも乗りましたもんね。
ーーそうでしたね。その後は、吉澤純平選手が徐々に頭角を現してきて、2人の機関車も務めるようになりましたね。
武田 純平もGIの決勝にも乗りましたね。別府(19年全日本選抜)は獲るチャンスだった。そこで勝っていたら、またその後の選手人生も全然違ったとは思うんですけど、あそこまで行ったのは弟子の中では純平ぐらいかな。よく頑張っていました。
ーー武田選手のお弟子さんは、他にも今井裕介さんや小原唯志選手がいます。平原さんは弟子を取ろうと思ったことは?
平原 形上は弟(啓多)がそうですけど、僕は武田さんみたいに面倒を見られるタイプではなかったですよ。心の余裕がなかったのだと思います。
ーーでも、埼玉の若手のセッティングを見てあげたり、練習メニューを考えたり、同じようなことだと思うのですが。
平原 面倒を見ているつもりは全然なかったです。僕は指導するとかじゃなく、仲良くやろうみたいな感じなので。逆に面倒を見てもらっていたかもしれません、ははは。
ーー宿口陽一選手は感謝していると思いますよ。
平原 あいつの兄貴(潤平)が同級生だったこともあって、昔から身近な存在ではありました。かなり陽一にはうるさいことも言いましたから。
ーーそのおかげでタイトルも獲った(2021年高松宮記念杯競輪)じゃないですか
武田 すごいですよね。やっぱりこの世界に入ってきて結果を残せるというのは、本当にすごいことだと思います。
ーーGIは何十回決勝に乗っても勝てなかったり、1回勝つのがやっとのような世界。それを一発でツモってしまった宿口選手は強運だと思います。
平原 それは彼が持っている星のようなものだと思います。
武田 本当に奥が深い世界ですよね。
ーー少し話は逸れますが、お2人は他地区の選手の優勝にも貢献しましたよね。高松宮記念杯でしたか、武田選手の後ろで村本大輔さんが勝ったこともありました。
武田 他地区でも後ろに付いてくれるのはうれしいものですよ。どうしても競走って不安になる部分もあるじゃないですか。そこで一緒に作戦を考えてくれたり、戦いにいくのに仲間がいて一人じゃないのは、素晴らしいことだと感じます。
ーー他地区が付いて張り切ってしまう選手は多いように思えます。
武田 神山さんが引退の時に「競輪には素晴らしい選手がいっぱいいる」と言ったじゃないですか。きっとそういうことですよね。深谷(知広)君なんかは、本当にいい選手だと思います。どの競輪場で誰がついても、同じマインドでラインを連れていこうとする。なかなか出来るものではありません。
平原 僕も深谷に付いたときは、すごく気持ちが伝わりました。
ーー関東は今、眞杉匠選手と吉田拓矢選手が頑張っています。彼らは関東ゴールデンタッグの後継者になれますか?
平原 これは眞杉本人にも直接言っているんですけど、僕はSSに上がる前の眞杉が一番強かったと思います。付いていて、これは強くなる選手だなと感じました。でも、SSに上がって、勝たないといけない立場になって、以前のようなスケールを感じなくなりました。
ーータテ足は今でも強烈ですが、ヨコに強いイメージが定着しましたね。
平原 結果を求められる立場ではあるんですが、スケールの大きなレースをしても結果を出せる強さを身に付ければ、もう一段階上がれる。彼にはその力があります。
ーー厳しい言葉は期待の表れですね。では吉田選手はいかがですか?
平原 タクヤも今後はどうやったら眞杉の前を回れるか?を考えていかないといけないでしょうね。きっと本人もそう思っていると思います。
ーー吉田選手は先日の取材で「眞杉には負けたくない」とはっきり言っていました。
平原 それはいいことなんじゃないですか。来年は2人でSSになるでしょうし、小さい競走をしてしまうと、関係がうまくいかなくなってしまうと思うので。お互いの走りをリスペクトし合える関係になって欲しいですね。
ーーその2人に続く第三の男は誰になりそうですか?
平原 僕は森田優弥には期待してしまいますね。
ーーでは、総大将だった平原さんの代わりに関東のまとめ役になるのは?
平原 いろんな立ち位置があるとは思いますが、まとめ役はタツオ(武藤龍生)でしょう。口うるさく言うのはカミタク(神山拓弥)とか、みんなが役割を持って欲しい。それには、自分がちゃんとやっていないと聞いてもらえないし、説得力もなくなります。個々が肝に銘じて頑張っていかないと、全体は良くならないですよね。
ーー武田選手はどう感じますか?
武田 今は眞杉と拓矢以外にも強い選手はたくさんいますよね。
ーー当時の武田&平原のように関東が一枚岩になってタイトルを総なめにしていくには、何が必要ですか?
武田 難しいけど、やっぱり…ここかな(胸を指さす)。なんかまだ物足りないなって部分はあります。仲良しグループではダメなので。
ーー今の関東は、眞杉選手を中心に合同練習をしたり、合宿を張ったり、まとまっているように見えます。
武田 そこが不思議なんですよね。僕はたとえ康多でも一緒に練習したことはなかった。グランプリ前に一度だけ後閑信一さんに誘われてやったことがあるだけなんです。
ーー全ては見せたくなかった?
武田 やっぱり自分で強くなるために考えてトレーニングをしているし、自分の間合いとかペースとか、そういうのを大切にしているのだと思います。
ーー人が考えたメニューでは納得できない感じですか?
武田 そんなこともないんですけど、一緒に過ごして、普段の毎日を全て見せてっていう感じはちょっと…。
ーーそういえば、武田選手は昔から私生活が秘密のベールに覆われていましたよね。結婚しているかも分からなかったし、白亜の豪邸に住んでいるとか、家にでっかいピザ窯があるとか噂をされていました(笑)
武田 そうだったんですか(笑)。あえて公表する必要もないけど、別に隠していたわけでもないんですよ。そんなに聞かれなかったし。
平原 ピザ窯はあると思います、ははは。
ーーパパにべったりだった娘さんは大きくなりましたか?
武田 今では中学生になって反抗期ですよ(笑)
ーーでも、2人で一緒に練習したことがないというのは驚きでした。
武田 本当に練習したことはないんです。でも、自分の調子が悪かったりすると、康多には街道練習はどういうコースを行ってるの?とか、僕から聞くことはよくありました。
ーー検車場では2人が笑顔で話しているシーンをよく見ました。あそこはシャッターチャンスだったんですよ。
武田 現場に行けばいっぱい話していましたよ。こないだ飲み過ぎちゃったよとか、たいした話をしていないことも多いんですけど(笑)
ーー今日は武田選手がとてもリラックスして話している感じがします。平原さんが現役でなくなったというのもあるんですかね。
平原 それはあるかもしれませんね。
ーーここからは平原さんの引退までのお話を聞きたいのですが。致命的だったのは足のしびれですか?
平原 僕が一番意識しているポイントが左足なんです。軸足というか、極端に言えば、左足一本で踏んでいたような感覚です。そこに力が入らなくなってしまった。軸足が利かない状態です。
ーー軸のない状態で戦っていたんですね。
平原 そうですね。最後の2年は右足で踏んでいました。
ーーまず昨年、神山雄一郎さんのA級陥落が決まって引退が囁かれました。それが真実になったわけですが、神山さんの引退を2人はどう感じましたか?
武田 ちゃんと聞かされたのは、ラストランの取手の前でした。年齢が年齢だったので、不思議ではなかったですね。
ーーそれでも、まだ全然走れる状態だったわけじゃないですか。
武田 A級になっても走りたいというのは聞いていたし、どうなのかなと気にはしていました。いざ辞めるとなると寂しいですけど、人が決断したことに対しては、なかなかこちらが言えない部分はありますよね。
平原 僕が知った時には、養成所の所長になるという話もあったので、それはすごく適任だなと感じました。自転車が大好きな人だし、自分も乗りながら生徒を教える。きっと第二の人生としては幸せな選択なんじゃないかと思えました。
ーー養成所は厳しい所ですけど、滝澤(正光)さんから神山さんという流れは、お2人の人間性を見ても、ほっこりとするいい引き継ぎだったなと思いました。
武田 これから入ってくる子がうらやましい。1年で10年分は教えてくれるんじゃないですか。僕も生徒になりたいです(笑)
ーー神山さんの引退からほどなくして今度は平原さんの引退になりました。
武田 玉野あたりで、もしかしたら…と感じていた部分があったので、着信があった時には覚悟しました。
ーーそれでもすぐには受け入れられませんよね? 聞いた日の夜は寝られなかったとも言っていました。
武田 受け入れることは出来ないんですけど、どれだけ苦しんでから決断したのかとかを考えたら、よく頑張ったなという気持ちでいっぱいになりました。
ーーあの時、武田選手に話を聞かせてもらって、印象的だった言葉があります。「引退は逃げたわけではなく、やり切ったんだなと思えた」と。
武田 僕も落車の多い選手だったので、関節が悪くなって自分のパフォーマンスが出来ない時期は走っていて本当に苦しかった。康多はただのS級選手じゃなく、SSだったじゃないですか。一番いいタイミングで決断出来たんじゃないかとも思えたし、ホッとした部分もありました。
ーー潔いと言えばそうなんですけど、もったいないという気持ちがあったのも事実です。
武田 新たなステージに行くわけですし、康多なら、またそちらでも活躍出来るでしょう。
ーー年下の平原さんが先に辞めるというのは、考えてしまうこともありましたか?
武田 そうですね。自分の年になると、そういうことは毎日考えます。年は僕が上ですけど、キャリアも同じぐらいで一緒に走ってきましたから。神山さんが辞めて、康多まで辞めて、なんか自分が最後に残っているのが不思議な感じもあります。でも、そんな中でも自信を持って、まだ自分のキャリアを重ねていきたいです。
ーーS1とSSはそんなに違うものですか?
武田 違いますよね。重たいですよ。勝てないことが続くと、辞めないといけないのかな、なんて考えることもありました。
ーー競輪界の横綱ですからね。
武田 そうは言っても、そこまでS1の選手と力の差があるわけじゃないから大変ですよね。
ーー平原さんが引退して、関係性が変わったりという部分はありますか? 辞めてからすぐ一緒に食事に行ったという話は聞きました。
武田 僕としては、いち早く一緒に飲んで話したかったので、いい時間でした。関係性の変化というのは、今のところ感じないです。
ーー平原さんが武田選手と一緒のGI参加になった時、「今回は自分以外にも(後輩に)言ってくれる人がいるから気が楽」と言っていたことがありました。
平原 昨年のダービー、平のダービーです。
ーー今後は武田選手が伝えていかなきゃいけないと思うことはありますか?
武田 応援したい選手もいっぱいいるので、聞かれたり、自分が気付いたら、なるべく何でも伝えてあげたいです。
ーーここまで眞杉選手は、平原さんの話をすごく聞いていたと思うのですが。
平原 聞いたフリをしているだけかもしれないですよ、ははは。でも、そういう関係がいいのかなと思って接していました。タクヤと眞杉には自分が思ったことをかなり言ってきたつもりです。今回もここではっきり言いましたし。それは彼らのためにと思ってのことです。
ーーそれは伝わると思います。質問もあと少しになりますが、平原さんにとって武田選手とはどういう存在でしたか?
平原 最初から最後まで、今もずっと目標です。選手という面だけでなく、私生活も含め、いろいろと見習ってきました。
ーー「武田さんは唯一無二」と言っていましたが、そこは競輪じゃない他の世界をいろいろ経験されているということもありますか?
平原 そうですね。話していても、他の選手とは全然違いました。いろんな角度から物事を見ているのがスゴいです。
ーーでは、武田選手にとって平原さんはどんな存在ですか?
武田 競輪は絶対に一人では勝てないので、同じ強さで康多がいてくれたことは本当に大きかった。数え切れないほどの思い出があるし、彼のおかげでいい競輪人生になったと思います。また一緒に走りたいですけどね(笑)。
ーー最後の質問です。平原選手から1つもらえるとしたら?
武田 柔軟性ですね。GIというのは、全国のガキ大将のような強い男の子の集まり。本当に大変な環境にいるわけです。そういう舞台でも康多の柔軟性は素晴らしかったです。
ーー逆に平原さんは武田選手からもらえるとしたら?
平原 我慢強さ一択です。
武田 ははは。
(※文中敬称略)
見ている側にとっても、2人の絆はどこか特別なものに映っていましたが、今回の対談を通してその理由が少し分かった気がします。年齢差を感じさせないフラットな関係性、そして互いを認め合いながら築かれた強い信頼。勝つためだけではなく、ラインを組むことで周囲にも影響を与え、関東の未来を変えた2人。平原康多と武田豊樹が並び立つ姿は、ただのタッグではなく、競輪界の歴史に刻まれる“唯一無二の存在”でした。
応募期間:2025年7月23日(水)〜8月6日(水)23:59まで
※当選者の発表は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。 電話やメールでの当選結果のご質問にはお答えできませんので、ご了承ください。 賞品の発送は、2025年7月末までに順次行う予定です。 当選の権利は、応募者ご本人のみ有効です。 譲渡や他の賞品との交換はできません。 当選者のお名前、住所などは一切公表いたしません。ご注意 本キャンペーンは、専用フォームよりご応募を受付けています。電子メール、Faxからのご応募は受付けておりません。住所の記入ミス、登録後の住所変更等の事由により賞品が届けられない場合、また、ご応募に関して不正な行為があった場合は、当選を取り消させていただく場合があります。
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。