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毒熱!闘う競輪記者マッチーが行く!

悲運なレーサーシリーズ〜本田博選手編

2022/09/02 (金) 19:30 57

 悲運なレーサーシリーズに登場した過去の選手は新田康仁、前田拓也、會田正一など、時代に合わずタイトルを獲れそうで獲れなかった選手ばかり。その時代に輝いた選手であるが、巡り合わせが悪く悲運であった。僕の中で基準があり、本田博選手も当てはまる。

 記念競輪は3回優勝したが、意外にもGIの決勝には乗っていない。当時、GII開催だった、ふるさとダービーは玉野で2回決勝に乗っている。FI開催も後ろの優勝は多かったが、本人は10回ちょっとしか優勝していないそうだ。

 本田博は「当時は先行する事に喜びを感じていた。山本真矢さん、海田和裕君、同期高谷雅彦君と壮絶にやり合っていた。結局、GIの準決でも井上茂徳さん、平田崇昭さん、西川親幸さん、森内章之さんの前で発進役。しかも、神山雄一郎さんのアテ馬が多く、レースをさせてもらえなかった。突っ張るふりをして、俺の脚を消耗させるのが上手かった」。

 本田博選手の性格は温厚で、俺が俺がではなかった。もっと、ガツガツしていればタイトルホルダーになっていたかも。声を荒げているのを見た事がないし、叱っている姿も一度も見た事がない。

「負ければ、自分が弱いし練習をやれば良いと思っていた。同期で一番頑張っているのは内藤宣彦さん。同班だったけど、自主練習はやらず、当時は怠け者だった(笑)。高谷君は支部長をやりながら、来期はS級に復帰。超地脚なのに、今のダッシュ競輪に順応出来ている。金古将人君は中央の選手会の執行部。名古屋オールスターで優勝しているけど、当時は、あんなに太っていなかったね(笑)」

 自らの選手生活はカントダウンが始まり残り少ない。「年末だから、あと4ヶ月。今、考えても楽しい競輪人生だったよ。20代後半に後ろから突っ込まれて落車。それから体のバランスが悪くなり、踏めなくなった」。

 第二の人生の事を尋ねると「実は嫁の実家がお茶の栽培農家。後継者がいないから、自分が継ぐ事になりそう。バイオ茶と言い、スポーツ選手に人気がある。肉体労働だけど、頭が良くないから、色々と覚えるのが大変です(苦笑)。今は群馬で選手をやっていた森山哲郎君が畑を手伝ってくれる。彼は、元々、宮崎出身なので」。

 当時、ハイタワーズと言う言葉もあった。横田努、沢田義和、稲村成浩の総称だ。器用でなく不器用な本田博選手だったが、人間味のある心根の優しい人だった。

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毒熱!闘う競輪記者マッチーが行く!

町田洋一

Machida Yoichi

基本は闘うフリーの記者。イー新聞総合プロデューサー、アオケイ・企画開発パブリストの肩書きも持つ。自称グルメでお酒をこよなく愛す。毒のある呟きをモットーにして、深夜の戯言も好評を得ている。50代独身で80代の母親と二人暮らし。実態はギャンブルにやられ、心がすさみ、やさぐれている哀しき中年男である。

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