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すっぴんガールズに恋しました!

【高橋朋恵】目標にたどり着くまで絶対にあきらめない!もう一度仲間の待つビックレースへ

アプリ限定 2021/09/23 (木) 18:00 28

日々熱い戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。このコラムではガールズ選手の素顔に迫り、競輪記者歴12年の松本直記者がその魅力を紹介していきます。9月のピックアップ選手は108期の「高橋朋恵(たかはし・ともえ)選手」。

netkeirin YouTubeチャンネル『ガールズケイリンumajoクラブ』でも持ち前のユーモアで大活躍の高橋選手。一見、明るくマイペースに見える彼女ですが、非常にストイックな一面もあり「意識が高い選手」と評されることも。そんな彼女の競輪学校(現・日本競輪選手養成所)受験と挫折、デビュー後の努力の軌跡、ガールズケイリンフェスティバルにかける特別な想いなど…ここでしか聞けない話が盛りだくさん! そして今回特別に、仲の良い先輩の小林莉子選手(102期)にも話を聞いてみました。

セーラームーン好きが高じて「お仕置きよ!」のポーズで撮られることが多い高橋。今回はレーサーらしい1枚。

1期生のドキュメンタリーを見て「決めた!」

 高橋朋恵は福岡で生まれ、長崎で育った。体を動かすことが大好きで中・高と陸上競技に熱中。短距離種目をやっていたが、ケガが多くなり体重が増えたことで、円盤投げに転向したという。そんな中、部活帰りに何気なく見ていたテレビのコーナーに興味が湧いたらしい。

「夕方のニュースでガールズケイリンの特集をやっていました。競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の登坂の映像が流れていたかな。これから始まる競技ということに興味が湧いてやりたいって思いました」

 決断は早かった。進路を決める高校の面談で「ガールズケイリンをやりたい」と担任に伝え、その年の12月に佐世保記念を現地で観戦、夢の実現へアクションを起こした。

レース後すぐに事務所に飛び込み「選手になりたいです」

「父に佐世保競輪場に連れていってもらい、ゴール前でレースを見ていました! 地元選手の1着インタビューの際、ファンサービスの一環としてユニホームの投げ入れがあり、なんとキャッチできたんですよ。そのユニホームにサインをもらいに行けば、選手になるきっかけがあるかも…と思い、選手会の事務所に押し掛けました」高橋の熱意が選手会にも伝わったようだ。そこで選手になるための手順を教えてもらい、愛好会でお世話になることとなった。

 高校の担任教師もガールズケイリン選手になることを後押ししてくれたと話す。
「体育祭の準備の期間とかになると、午後は自由にさせてくれたんです。『競輪場へ練習に行っていいよ』って感じで。高校3年生のときは午前中の授業が終わると、昼から母に送ってもらったり、バスに乗ったりして競輪場まで行って練習をしていました」

 しかし、周囲の協力と理解を受けて臨んだ106期の試験は落ちてしまった。

今さら大学受験はできない! 背水の陣のケイリン浪人生活

 ガールズケイリン選手への夢は諦め切れず、浪人することを決意した。
「今さら勉強はできないし、絶対にガールズケイリン選手になろうと思いました。浪人時代は練習とバイトしかしていなかったです。親から携帯電話の料金と家と競輪場を往復するための自動車のガソリン代だけは自分で払うように言われていました」

浪人生時代は佐世保競輪場とローソンを往復する日々を送った

 佐世保競輪場のそばにあるローソンで働きながら、競輪学校合格に向けて、日々練習に明け暮れた。夏にはガールズケイリン選手発掘のために開催された「ガールズサマーキャンプ」にも参加。指導者で来ていた佐々木昭彦さん(引退・43期)とは佐賀、長崎の同郷ということで目を掛けてもらい、サマーキャンプ後も武雄競輪場での練習にも声を掛けてもらった。

 万全の準備をして臨んだ2回目の試験は見事合格。108期生として日本競輪学校に入学することができた。
「108期で本当によかったです! 学校生活は楽しかった〜。ただ練習はキツかったですね。持久力がなくて、周回練習で置いていかれることが多くて大変でした」

 競輪学校時代は未勝利。在校成績は15人中11位。思うような成績は残せなかった。

長崎支部初のガールズケイリン選手としてデビュー

 15年7月松戸でプロデビュー。

 予選2走を2着4着で決勝進出。ファイナルの決勝は7着。数字だけを見れば上々の滑り出しだが、本人の感覚は全く違っていた。
「同期だけで走っていた競輪学校の競走訓練とは全くの別物でした。先輩たちはみんなシビアだったし、やっていけるか不安しかなかった」と当時のことを振り返る。

左から遥山夕貴、尾崎睦、高橋。3人とも屈託のない笑顔が眩しい。

 長崎支部初のガールズケイリンレーサーということで、難しい一面もあったと話す。
「女子の控室で耳を澄まして、誰かの足音が聞こえたら(一緒に練習するために)『お願いします』って感じで練習に混ぜてもらっていた。男子選手は自分が頼んだら嫌な顔をしないで練習に付き合ってくれました」。

 余談だが116期となる(当時は高校生の)山口伊吹、高尾貴美歌、出口倫子とはこの頃に出会ったそうだ。

まるで武者修行…出稽古の日々と立川バンクとの出会い

 成績を良くしたいという一心で時間が空けば出稽古へ。武雄、久留米、小倉、玉野、静岡といろんな場所で練習をすることで得ることは多かった。そんな中でも自分に合った場所が東京・立川だった。

「いろんな場所で練習をさせてもらい、試行錯誤しながらやっていました。東京で頑張ってみようと思ったのは、ここで練習をすれば今よりも強くなれると思ったから」。

 19年4月に長崎支部から東京支部へ移籍。移籍1発目の4月10〜 12日の小倉開催は気合を入れて臨んだと振り返る。
「移籍して変な成績だったら、長崎支部にも東京支部にも申し訳ない。良い成績を残したいと思いながら開催に入ったけど、まさか初優勝を決められるとは思っていなかったです。東京は強い人が多いし、いつも練習でモチベーションが上がる。結果を残すことができてよかったです」。

 同年9月には東京支部所属になってから初めての立川開催で優勝。移籍効果はてきめんで、11月伊東、20年3月立川と優勝。自身初のビッグレース出場(ガールズケイリンフェスティバル)をつかみとった。

 しかし好事魔多し。ガールズケイリンフェスティバル出場前の練習中に落車をしてしまい、初のビッグレースでは思い通りのレースをすることができなかった。

信頼する先輩・同期からの「フェスティバル出ないと!」でハッとした

108期の同期が集まればにぎやか! 左から尾崎睦、細田愛未、高橋朋恵、児玉碧衣。

「初めてのガールズケイリンフェスティバルは思い通りのレースができず悔しかったですね。特別な思いがあったので...。」

特別な思いについて聞いてみると、
「東京に移籍する前の話なんですけど、自分がまだ優勝する前に(小林)莉子さん、(山原)さくらさん、(児玉)碧衣ちゃんから『フェスティバル出ないと』って言ってくれたんです」。

「『同じレースを走ったらもちろん敵だけど、一緒に練習をしているからには大きいレースに一緒に出たいと思うよ』って声を掛けてくれたんです。ガールズケイリンのトップレーサーがまだ優勝したこともない私に言ってくれたことが嬉しくて強くなりたいと思う理由の1つになりました」と教えてくれた。

小林莉子に言葉の真意を聞いてみると…

小林莉子の語りぶりから高橋への愛情が伝わる

 後日、小林莉子に話を聞くと、前述の言葉は高橋への期待から発した言葉だという。
「高橋は真面目。成績が上がらないときに立川へ練習に来て、根強く残って練習に打ち込んだ。不器用だけど力はある。私より強い部分もあるんですよ。ムラな部分があって、弱気な気持ちになっているレースを見るともったいないと思ってしまう。高橋朋恵の勝ちパターンを見つけて、車券を買ってくれるファンに覚えてもらえる選手になってほしい」。

 今年の高橋は7月松阪(万協フィギュア博物館杯)、同月伊東温泉(WINTICKET杯)と2場所連続で準優勝と安定感が増している。2回目のガールズケイリンフェスティバル出場へ向けて選考期間は11月から来年4月末まで。年々ガールズケイリンのレベルが上がり、フェスティバル出場の壁は高くなっている。優勝回数4回がボーダーラインになりそうだが、仲間の存在を励みにしてビッグレース出場を目指す高橋朋恵の挑戦を応援したい!

小林の言う通り、勝ちパターンを見つけてビッグレースの常連になってほしい!!

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すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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