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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭と後輩】大事な準決勝前に伊藤奎からの異臭攻撃にノックアウト!? そしてのろのろ台風に翻弄された松山ナイター

2024/09/26 (木) 18:00 17

 netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは、伏見俊昭です。
 今回は台風に翻弄された松山ナイターとかわいい、かわいい?同県の後輩の話をしようと思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

のろのろ台風に翻弄された松山ナイター参戦

 9月1〜3日に開催されていた松山ナイターFIに参加しました。参加はしたんですが、8月下旬に日本にやってきたのろのろ台風10号のせいで、松山競輪場に行くまでが一大事でした。普段から多くの移動があるので台風とかの気象状況には競輪選手はみんな敏感です。交通手段がなくなれば競輪場にたどり着けませんし、開催が中止になって延期されると翌日からのスケジュールにも影響します。

 当初は台風10号が発生したときは、「松山の前には抜けて行っているだろう」と楽観視していましたが、超のろのろで全然進まない。開催4日前くらいになって「ヤバいんじゃないか」って思い始めて2日前には「もう本当にヤバい」って焦りだしました。

交通手段を求めてあの手この手

 松阪から松山競輪場に行くのはセントレア空港から松山空港に飛んで、そこからタクシーのルートが一般的です。前検日当日の朝の便を予約していたんですが、台風情報を見る限り、前検日に四国に上陸しそうなんですよ。それじゃ、前検日には飛行機が飛ばない可能性が大。そうこうしているうちに翌日の前検日前日の松山便は欠航が決まってしまいました。参加する福島の選手に連絡したら「羽田発の16時までの便に乗れた人は松山にたどり着いたけど18時以降は欠航になったし、明日も多分飛ばないから一旦、いわきに帰って前検日当日の便が飛ぶかどうか、そこに勝負をかけるしかない」って言われました。これで前検日当日の便が欠航になって松山に行けず、欠場になると直前欠場にカウントされてしまうんです。1期間に2回、直前欠場するとペナルティーとして競走得点から3点引かれてしまうのでこれは大勝負ですよ。

 前検日前日の便はもう欠航が決まっているのでこれはもう電車で行くしかない。普段なら松阪から名古屋に出て新幹線を利用するのですが、この日、東京〜新大阪間は運転が中止になっていました。なので、まずは松阪から近鉄特急でなんば駅に出てそこから新大阪駅に行きました。新大阪から九州方面は運行本数を大幅に減らしてはいましたが動いていたのでこだまに乗って、なんとか岡山駅まで到達しました。ここまでくれば、翌日の前検日に特急か高速バスで2時間半くらいで松山までたどり着けます。

大ベテランの地元選手に救われ、やっとのことでたどり着いた松山競輪場

ピンチを救ってくれた小川巧さん

 しかし、翌日、高速バスも特急も運休してしまいました…。
 身体の状態もいいし、調子もいいから欠場はしたくない。もちろんペナルティーも嫌なので絶対、松山に行きたい。こうなると最後の手段はレンタカーです。でも、レンタカー屋さんも開くのが早くても午前9時くらい。それから運転して競輪場に向かうといつもより入るのが遅くなって、前検日のルーティンが狂うのもできれば避けたい。どうしたものかと考えていたら、「あっ、ここは岡山。ジュン(岩本純)がいるじゃないか」って。とはいえ、ジュンは岡山市ではなく倉敷市在住だし、さすがにそこから松山まで乗せてくれとは言えません。なので、松山参加の岡山選手の誰かの車に乗せてもらえないか頼んでもらおうと思ったんです。

 その中に昔、三宅伸さんを介して一緒に食事とかに行ったことのある小川巧さんがいたのでジュンに聞いてもらったんです。そしたら小川さんが二つ返事でOKしてくれて。瀬戸大橋は2輪車は通行止めになっていたけど車は大丈夫でした。でも小川さんは「瀬戸大橋がダメでも広島ルートで行ける」って全然焦ってなかったですね。小川さんも台風だから前日に松山入りしているかもしれないと思ったんですが、そんな不安はまるでなかったようです。2時間半くらいで松山競輪場について本当に小川さんには感謝しかないです。結局、福島勢も当日便が飛んで無事に到着。他の地区の選手も誰一人、遅刻もなく、全員、定刻までに競輪場入りしていました。すごいですね。

車中で聞いた川口満宏のS級復帰

来期、S級に復帰する川口満宏さん

 車中で小川さんといろいろなお話ができたのもよかったです。小川さんは57期で今年58歳の大ベテランですが、A級1班で活躍されています。とにかく若々しい。やっぱり、普段から身体を動かしている人はそうじゃない方と比べると、若々しさが違う感じがしますね。小川さんの同級生の川口満宏(58期)さんが来期のS級の点数を取ったそうなんですよ。小川さんが「同級生のアイツ(川口)が頑張ってるからなぁ」って。川口さんは来期、S級に復帰すると最年長記録になるみたいですね。いい話も聞けました。

 ジュンに連絡してから気づいたんですけど、小川さんの連絡先、携帯の電話帳の中にあったんですよ。昔に連絡先交換していたんですね。普段から連絡するわけじゃないから覚えてなかったんです。ジュンに連絡する前に電話帳、確認すればよかったですね…。

番組さん、ボクを自力選手扱いしないでください!

 その松山は初日予選1着で2日目準決勝を迎えます。準決勝は12Rで地元の橋本強君がいる地元番組。

 そこである疑問が…。ボクは小畑勝広君ー鈴木庸之君の関東3番手を回り、尾形鉄馬君が4番手を固めてくれました。鈴木君が「今度、伏見さんの番手、つかせてくださいよ〜」と8月の取手FI決勝で、ボクが先行したのを見て茶化してきました。まあ、選手仲間に冗談まじりでそう言われるのは全然かまわないんですけど、番組さんとなると話は別です。このレースは地元の主役・橋本君のためのレースで本線は久田裕也君ー橋本君ー月森亮輔君が本線です。“その別線に東日本4車ラインをぶつけるか?” という疑問が湧きます。もしかするとボクのバック数「1」を見て、ボクを自力選手扱いして3対2対2の3分戦を想定したのでしょうか。もしそうだったらこの場を借りて書きますが、あれはたまたま先行しただけで、自力宣言とかしてないですから。番組さん、ボクを自力選手扱いしないでくださいね(笑)

たまたま先行しただけで、自力宣言とかしてない(撮影:北山宏一)

 今回は台風も抜けていい天気で3日間、無事に開催できましたが、この台風で打ち切りになった開催もありましたね。打ち切りになったら仕方ないですが、例えば、5Rまでレースをしてそれ以降が中止になると残りのレースは抽せんでみなし着順を決めることがあります。4Rまでだったら翌日、初日だったら初日、2日目なら2日目をやり直すんですけど。そこで予選で大本命の選手が抽せんで負けて「やってらんねえ」って途中欠場することもあります。これもペナルティーに換算されちゃいます。

 一方で、主催者側も配慮をしてくれています。今回みたいに気象状況で交通手段に運休との影響が出そうなときは2日前くらいから選手宿舎を開放してくれて事前に入った選手はそこに泊まることができます。自分で予約したホテルに泊まる選手が多いですが、選手が安心して準備できるよう、うれしい配慮ですね。今回、S級で優勝した恩田淳平君は「2日前に松山入りしていた」って言っていました。レース以外の不安を払拭して万全に準備したのが優勝につながったんでしょうね。さすがだと感心しました。

今年初の地元戦では身体はよく動いた

 松山の後は今年初の地元戦、いわき平FI。初日予選は大川剛君、2日目準決勝は小松崎大地君のおかげで1着で決勝に進めました。優勝は小松崎君。ラインで決められなかったのが残念ですが、身体はよく動いてくれて良かったです。

 今回は金成和幸君の一番弟子である伊藤奎君(115期・25歳)がいたんです。金成はゴール前で立ちこぎをするんですけど、ケイも一緒でそのフォームがそっくり。性格も似てて金成をさらにヤンチャにした感じの若手です。何事にも物怖じせず、ボクにも平気でズカズカ来ます。今回はあっせんが出たときにボクが前泊するならその日に一緒にご飯でも食べましょうよと連絡をくれました。普段なら実家に帰ってゆっくりして前検日当日に競輪場入りするんですが、誘ってくれたので前日にまっすぐいわきに入りました。

大事な準決勝前に伊藤奎からの異臭攻撃!?

昼食は7Rより前ならレースの後、8R以降ならレースの前に食べるのがルーティン(撮影:北山宏一)

 開催が始まって、準決勝の日のことです。ケイにやられました…。その前に開催中はいつ選手が食事をとっているかについて書きますね。昼間開催なら朝食は6時半くらいから10時くらいまで食堂が開いているのでその間に食べます。早いレースの人は6時半オープンしてすぐ食べたりしていますね。一番重要なのは昼食の時間です。食堂は10時から14時半くらいまで開いています。ボクの場合は7Rより前ならレースの後、8R以降ならレースの前に食べるのがルーティンです。

 準決勝の日は12Rだったので早々に食事を済ませ、アップに取り掛かりました。アップの後はストレッチをするんですが、それは走り終わっている同県の後輩に手伝ってもらっています。この日はケイに手伝ってもらいました。ストレッチも無事終了してまあ、そこでケイに「ありがとう」って言ったり、世間話みたいなのもするわけです。するとストレッチ中には感じなかったんですが、ケイからすごいニンニク臭がするんです。「あれ?」って思ったらケイがこそこそゲップをしているんです。その臭いがまあ強烈で(笑)。ニンニクの臭いって食べた人と食べてない人で感じ方が全然違いませんか?とにかく臭くて大事な準決勝の発走前に気持ち悪くなっちゃいました。その日の昼食はラーメン。聞けばケイはすりおろしニンニクをスプーン2杯も入れたとか。「すいませ〜ん」って口では言っているんですが、なんか小馬鹿にしたように笑っていて、ケイにとってはしてやったりみたいな感じなんですよ。

ニンニク臭を撒き散らした伊藤奎君(photo by Shimajoe)

 準決勝はなんとか1着で決勝に乗れました。そしたらケイが「あれ(ニンニク臭)でリラックスできたから1着取れましたね」って言ってくるんですよ。「あれで走る直前までずっと気持ち悪かったんだぞ」って言ったら「いやいや、あれが良かったんですよ〜」ってニヤニヤしていました。「オマエ、ゲップに厳しいアメリカだったら死罪ものだぞ」とさらに言ってやったんですが「いやいや〜ここアメリカじゃないですから〜」って。何を言っても全部、言い返されましたね。

 最終日に「あのゲップは本当に失礼なんだぞ。埋め合わせとして駅まで送ってくれ」って命令して送迎してもらいました。するとその車の中で「いやー、今回は本当に疲れたな〜、疲れたな〜」ってずっと言っていました。地元戦で疲れるのはわかるので「地元だから疲れるよな」と一応、ねぎらってみたらなんと!「伏見さんに気を使いすぎて疲れたんですよ〜」とか言いやがるんです。今回、福島は7人参加で宿舎は3人部屋と4人部屋の2部屋がありました。ボクは3人部屋でケイは4人部屋。でも、こちらが呼んでもいないのにケイはずっとボクの方の部屋にいたんですよ。それなのに気を使って疲れたってどういうこと? まあ、そういうヤツだっていうことは重々、わかってはいるんですけどね(笑)。

お酒の場でも破天荒な伊藤奎

「一気しましょう!」と煽ってきた後輩の櫻井正孝君(写真提供:チャリ・ロト)

 昔、ケイと打ち上げかなんかで飲みに行ったときのことです。ケイはまだ若いんで「一気しましょう、一気!」って煽ってくるんです。ボクは普段、お酒を飲まないし、当然、飲み会でも一気なんてしないから「一気はやめよう」と言ったんですが「伏見さん、ボクと乾杯できないんですか?」とか言い出すし、一緒にいた櫻井正孝(宮城)君も「一気しましょう!」って言うし、まあ、場の雰囲気を壊すのも嫌だからしょうがないなあって付き合っていました。

 ひと段落して落ち着いてソファに座っていたらとなりに座っているケイがなんかおとなしいんですよ。でもここで声をかけたらやぶへびだと思い、そのままにしていたら、いきなりケイがリバースしたんですよ。なんていうかそういうときって口を押さえてトイレに駆け込むとか器とか入れ物を探してギリギリまでガマンするイメージがあったんですが、何の前触れもなく、ノーモーションでいきなりダバーって(笑)。いまだにこんなことするヤツがいるのかってとにかく驚きました。ケイに「トイレに駆け込むとかなんとかならなかったの?」と聞いたら「急に来ました」って全然悪びれる様子もなくシレっと言われました。とりあえず、部屋の外に出て水を飲ませたりしましたが、なんかヘラヘラ笑っていましたね。ボクもいろいろな酔っ払いを見てきましたが、これが過去イチ最悪でしたね。

 それからは一緒に飲むときは帽子をかぶせて「吐くときはそれに吐くんだぞ」ときつく言い聞かせています(笑)。ちなみに師匠の金成君は選手の競走得点にめっぽう詳しいことは以前に書きましたが、ケイは点数には全然、興味がないようです。


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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