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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭のしくじり】「マジック持ってきたぞ!」で始まった記憶の迷子…神山雄一郎氏の引退パーティーの裏話

2025/06/03 (火) 16:30 24

 netkeirinをご覧の皆さんこんにちは、伏見俊昭です。
 今回の直近のレースでのエピソード、神山雄一郎さんの引退記念パーティーでの粗相、そしてユーザーさんから質問に答えていこうと思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

北日本時代に実現しなかった、野田源一との初連係!

 4月末の地元・いわき平FIでは、連勝で決勝まで勝ち上がることができました。
 初日特選では、今やすっかり追い込みに変わりつつある神奈川の嶋津拓弥君が、先行で頑張ってくれたんですよ。準決勝では大阪の谷和也君と連係しました。福島と大阪の選手が連係することって、なかなかないですよね。初日の嶋津君なら「東日本」というくくりで組むこともあるかもしれませんが、谷君との連係は番組さんの粋なはからいでした。 谷君は先行型なので、早めに仕掛けてくれて、また勝たせてもらうことができました。本当にありがたいことです。競輪はライン戦。僕ひとりの力では勝ち切れませんが、ラインのおかげで勝てました。

 続く武雄FIでは残念ながら決勝には進めませんでしたが、初日特選で源ちゃん(野田源一)と連係できたんですよ。今は福岡登録の源ちゃんですが、もともとは秋田籍で、北日本の仲間でした。以前、打ち上げで一緒になったりして、親交があったんです。僕は記憶があいまいで「1回くらい連係したことあったかな?」と思ってたんですが、源ちゃんが記者さんに「伏見さんとは1回も連係したことありません」ってきっぱり言ってたので、きっとそうなんでしょう(笑)。源ちゃんは常に前々に攻めていくスタイルで、僕も大好きなタイプ。だから喜んで連係しました。結果的にはうまくいきませんでしたが、北日本時代にも実現しなかった連係が、今こうして福島と福岡、遠く離れた場所同士で叶ったのはうれしかったですね。

野田源一とやっとのことで実現した初の連係(撮影:北山宏一)

 そもそも今回の武雄、北日本のS級選手が3人しかいなかったんです。予選で坂本紘規(青森)君が敗退してしまって、東日本全体で見ても、勝ち上がったのは関東勢の追い込みタイプが多かったんですよ。だから準決勝は「これは厳しいな」と思っていたんですが……なんと岡山の昼田達哉君をつけてくれたんです。昼田君とは共通の知り合いがいて、よく話す仲ではあるんですけど、まさか連係できるとは思っていませんでした。地元ならまだしも、武雄でですよ。 さらに最終日は、静岡の内山雅貴君の番手を回らせてもらって、1着を取らせてもらいました。本当に、番組さんのはからいに感謝です。いわき平も武雄も日本選手権の裏開催だったこともあって、改めて「点数の大事さ」を感じましたね。やっぱり点数を持っていれば、それだけ優遇してもらえるものなんだと実感しました。

まだまだ勝負師の顔が残る神山雄一郎「初日はなんとか大丈夫」

 その後は宇都宮での開催、「第1回レジェンド神山雄一郎カップ」でした。神山さんの冠レースの記念すべき第1回ということで、僕自身、初日から気合の入り方が違うと感じていました。応援してくれるファンの存在もありましたし、なにより神山カップを盛り上げたいという気持ちでいっぱいでした。その思いが通じたのか、決勝に進むことができました。

5月15〜18日で開催された第1回レジェンド神山雄一郎カップ(撮影:北山宏一)

 前検日には神山さんのあいさつがあり、そのときに少しお話させていただきました。神山さんの引退会見を拝見して「思いが伝わってくる会見でした」とお伝えしたところ、「やっぱり選手のことを考えると、こみ上げてくるものがあって感情があふれちゃったんだよ」とおっしゃっていましたね。

 レースに関しても、神山さんは昔から的確なアドバイスをくださる方で、今回も一次予選からの勝ち上がりをシミュレーションしてくれました。「初日はなんとか大丈夫。問題はやっぱり二次予選。ここが勝負どころ。二次予選さえ突破すれば準決勝はなんとかなるよ」と。なぜ初日は大丈夫なのか、具体的には教えてくれませんでしたが、その言葉に不思議と説得力があって、ニュアンスで伝わってきたものがありました。それもあって、決勝進出につながったんだと思います。おこがましいかもしれませんが、神山さんも“自分の冠レースの初回は、決勝へ乗ってほしい選手の1人”と思ってくださっていたんじゃないかと感じました。

 神山さんは昨年末に引退され、現在は日本競輪選手養成所の所長を務めていらっしゃいますが、今もなお“勝負師”の顔が残っている印象です。候補生たちと一緒に走ったり練習しているそうで、その影響もあるのかもしれません。実際、最終日の模擬レースでは栃木支部の現役選手を相手に見事なまくりを決めて1着。まだまだやれそうな雰囲気でしたね。

自分に暗示をかけながら臨んだ新山響平の番手

レジェンド神山雄一郎カップ3日目には新山響平の番手に(撮影:北山宏一)

 今回の4日間は、北日本の先行選手の番手を回れるメンバー構成で、前の選手たちの頑張りがあっての決勝進出でした。特に準決勝では、現在“先行日本一”といっても過言ではない新山響平(青森)君の番手につかせてもらいました。

 僕も若い頃は「先行日本一」と呼ばれたくて必死に頑張っていました。村上義弘さん、小嶋敬二さん、金山栄二さん、そして同期の太田真一君らと叩き合っていたのを思い出します。もちろん、今と昔では競走のスタイルも違って、アドバイスも変わってきますが、響平君はロングスパートが利いて長い距離を踏める選手。だからこそ、どこからでも仕掛けられるんですよね。

 たとえば赤板から先行しても押し切れる脚力がある。そうなってしまうと別線は太刀打ちできません。トップスピードもあるから、結果的に「何をやっても強い」状態。

 今回、久しぶりにそんな響平君の番手につかせてもらうことになり、正直、走る前はドキドキしていました。心の中では「離れるかも」の気持ちが7割、「ついていけたら決勝に乗れるかも」が3割くらい。実際、名だたるマーク選手でも響平君のダッシュに離れる場面は多々見ていますから、僕も「ちぎれても恥ずかしくないぞ」と自分に暗示かけたりして(笑)。でも、もし離れてしまって響平君が“裸逃げ”の形になり、他の自力選手に番手を奪われるのは一番よくない。そこだけは気をつけようと決めていました。

2022年3月以来ぶりの記念の決勝進出(撮影:北山宏一)

 結果的には響平君が沈んでしまいましたが、僕は気持ちがしっかり入っていたおかげで、決勝に進むことができました。記念の決勝戦に乗るのは本当に久しぶりで、記者さんに「いつ以来?」と聞かれても思い出せなかったほどです。後でデイリーの松本直記者が調べてくれて、「眞杉さんが初優勝した名古屋記念(2022年3月)以来ですよ」と教えてくれました。今回ばかりは松本君の情報、正しかったです(笑)。近況としては、この1年が勝負だと思ってやってきましたが、コツコツ続けてきて本当に良かったと思える瞬間でした。僕ももうすぐ50歳。この年齢で若い選手たちと戦うのは正直、かなり厳しいです。でも、年齢に抗う気持ちで、やるべきことを一つずつ積み重ねてきた成果が、今回の決勝進出につながったのだと思います。

まったく思い出せなかった輪界一のマジシャン

 決勝戦のあとは、神山さんの引退記念パーティーに参加させていただきました。松阪から宇都宮は距離もあるので、記念開催にあっせんしてもらえて本当にありがたかったです。これは神山さんや関係者の方々のご配慮だと思います。

総勢250人ほどが参加する盛大な引退パーティー(写真:本人提供)

 パーティーには、宇都宮記念に出走していた選手が30人ほど参加していました。神山さんにゆかりのある選手が多くあっせんされていたこともあり、非常ににぎやかな顔ぶれでした。選手や関係者を含め、総勢250人ほどが参加する盛大なパーティーで、ナショナルチーム時代にお世話になったスタッフの方々とも久しぶりに再会できました。あれだけの人たちが自然と集まってくるーーそれだけで神山さんの人望の厚さが伝わってきましたね。

 そして…このコラムでもよく話していますが、最近僕は物忘れが激しくなってきてまして(笑)。実はパーティーで、ある方に話しかけられたんですけど、そのときに「この人、誰だっけ?」とまったく思い出せなかったんです。

「油性のマジック持ってきたぞ!」って言われたんですが思い出せない。それでも「どなたですか?」とは聞けず、覚えているふりをして相づちを打っていました。その方が去ったあと、隣にいた同期の小林潤二(群馬)さんに「あの人、誰でしたっけ?」ってこっそり聞いたら、「小林信太郎(茨城・引退)さんだよ」と教えてくれました。信太郎さんといえば、輪界一のマジシャン。宿舎ではよくマジックを披露してくださって、それを見た記憶もありますし、いろいろとお世話になった方です。それなのに思い出せなかったなんて……本当に失礼な話ですよね。

 信太郎さん、あのときは本当に失礼しました。この場を借りてお詫び申し上げます。でも……信太郎さんのことを思い出せなかったなんて、自分でも「これは相当ヤバいな」と思いましたよ(苦笑)。

【読者の質問】Q.レース中にマウスピースを着用しても良いの?

 マウスピースを使っている選手は、今もあまり多くはないですが、一定数はいると思います。僕自身も20代半ば、自力で戦っていた頃にチャレンジしたことがあります。きっかけは、元選手の江嶋康光さんに「噛み合わせが悪い」と指摘されたことでした。左右均等に力が入るようにーーそう思って、いろいろなタイプを試してみましたが、僕には合いませんでしたね。

いろいろ試しては見たが自分には合わなかったマウスピース(撮影:北山宏一)

 マウスピースに限らず、トップレベルの選手って本当に細かいところまで気を配っています。僕もかつて上位で戦っていた頃は、かなり神経質にいろいろなことを気にしていました。たとえば脚。絶対に組んで座らない。電車の中で立っているときでも、左右の脚に均等に体重がかかるように立つようにしていました。とにかく、日々バランスが崩れないように注意していたんです。寝るときも、仰向けがよくないと聞けば横向きで寝る。右ばかりを下にするのはよくないから、次は左を下にーーそんなふうに、無意識のうちに寝返りまで気にしてました。「あ、右。次は左」って(笑)。

 食事に関しても、ナショナルチーム時代は徹底的に体脂肪を落とせと言われていたので、糖質も脂質も取らずに過ごしていました。肉の味付けは塩とコショウのみ。サラダにはドレッシングをかけない、かけても必ずノンオイル。ジュースは飲まず、スポーツ飲料は水で薄めて飲む。そんな食生活で、体脂肪率は最大で7%まで落としました。今は一般的な成人男性くらいの体脂肪率ですが(笑)。

 サプリメントもずっと愛用しています。昔は「ちゃんと食べて寝れば大丈夫」と思っていましたが、シドニー五輪に出場できなかったことで、その考えが変わりました。「自分には何が足りなかったのか?」と考えていたときに、西丸直人(福島・引退)さんから「サプリは重要だよ」と教えてもらったんです。西丸さんはウェイトリフティング出身で、「トレーニングしたら、サプリを摂らないとその効果が激減する」と強調されていました。そこからずっと使い続けているのが「内田バイオ」のサプリです。安心の日本製。ナショナルチームでも「海外製のサプリは絶対に飲むな」と言われていたので、僕も国産以外は口にしたことがありません。そのサプリのおかげもあって、体は一回り大きくなりましたね。


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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