2025/04/16 (水) 18:00 25
netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは。伏見俊昭です。
今回は、豊橋FIでの単騎戦での振り返りと選手生命も危ぶまれた大ケガからの復帰した後輩のお話しをしたいと思います。
前回のコラムでは、ドーピングについて取り上げました。反響は思った以上に大きかったですね。その中で、ちらっと耳に入ってきたのが北井佑季選手を擁護する声。「厳しすぎるんじゃないか」という意見もありました。おそらく、北井選手と親しい選手だったり、ドーピングの重大さを深く理解していない人たちが反発しているのかな、という印象を受けました。もちろん、選手の数も多いですし、いろんな意見があるのも分かります。ただ、僕としては間違ったことは言っていないつもりですし、それをどう受け取るかは、それぞれの見解に委ねられるものだと思っています。実際にユーザーの皆さんからは「言ってくれてありがとう」「よくぞ言ってくれた」という声もいただきました。
北井選手は、選手会からああっせん規制もかかって、反省する時間を与えられました。今度は薬に頼らず、肉体ひとつで勝負する場に戻ってきてくれたらいいなと思っています。
今回、JKAがドーピング違反を正式に発表したことは、競輪界にとって明るい未来が開けた出来事ではないでしょうか。競輪は公営競技であり、ギャンブルです。つまり、お客さんとの信頼関係のうえに成り立っている世界です。その信頼を損なうような行為をあえて公表するのは、リスクも当然あります。しかし、この発表によって、競輪界がドーピングと戦う姿勢を明確に打ち出すことができたはずです。今では、競輪場の検車場にも「ドーピングは絶対ダメ」というポスターが掲示されているんですよ。
3月は大宮、豊橋のFIを2節走りました。豊橋では準決勝で敗退してしまいましたが、最終日は1着で締めくくることができました。しかも決まり手はまくり。自力での決まり手は、昨年8月の取手FI決勝以来ですね。もちろん、自分に目標とする選手がいて、その選手が不発だったり、厳しい展開になってしまった時に自力の決まり手がついたケースはこれまでにもありました。でも、自分が前で戦う状況でのそれは、本当にあの取手以来です。
普段の練習では先行やまくりの練習もしていますが、それを本番の競走で発揮できるかというと、なかなか簡単なことではありません。それに漢字の競輪の基本はライン戦。3対1や2対1といった戦いでは、やはりラインがある方が圧倒的に有利です。だからこそ、その中で自分が納得のいく3番手、4番手を回れないようなときは、自分で戦うしかないわけです。あのレースでは、2分戦の中で自分だけが浮いた形となり、単騎で走らざるを得ない状況でした。竹内雄作君を合わせて、緒方将樹君の先行をしっかり2コーナーからまくれたというのは、「まだイケるな」と思わせてくれる内容でしたね。内に詰まって脚を余らせて負けてしまうような、悔いの残る走りだけはしたくなかったんです。最近のレースの中では、自分の力を出し切れて、すごく納得のいく走りができたと思っています。
今年はデビュー30年の節目の年です。僕は早生まれなので50歳になるのは来年ですが、同級生は今年50歳の大台に乗ります。若い頃は、自分が50歳になるなんて全く想像していませんでした。でも、50歳を過ぎても若手相手に自力で勝てることにも、これから挑戦していきたい気持ちもあります。とはいえ、もちろんメインはライン戦。あまり余計なことを書いて、毎回自力の番組を組まれてしまっても……それはそれでちょっとしんどいですけどね(笑)。
4月前半は、追加で伊東FIを走りました。調子自体は悪くなかったんですが、なんだか噛み合わなくて、3日間がそのまま終わってしまったような感じでした。
その開催には、同県の鈴木誠君も出場していました。マコトは84期で、自分のひとつ下。彼が学法石川高校の自転車部だった頃からの付き合いです。高校時代からいつもニコニコしていて明るくて、本当にいいやつなんですよ。一緒に練習もしましたし、バカなことをやったこともある仲です。だからマコトが頑張っていれば嬉しいし、自分にとっても力になるし、応援したい存在です。そんなマコトが、2023年6月の大垣記念3日目に落車して、腰椎骨折という大ケガを負ってしまいました。自分もその開催に参加していたので、落車の衝撃を間近で見ていて……。最初の診断では、選手生命も危ういと言われるほどの深刻なケガでした。
その後、手術を受け、半年ほどで実戦復帰できる見通しが立ったのですが、マコトは真面目すぎるくらい真面目なので、無理をして練習してしまったんでしょうね。結果的に再手術が必要となり、最終的に約1年半の長期休養を余儀なくされました。それでも、苦しい状況の中でマコトは落胆する様子を見せず、しっかりリハビリに取り組んでいました。身近な選手のケガって、やっぱり他人事じゃないんですよね。「頑張れ」っていうのは失礼かもしれませんが、それでも「頑張って復帰してほしい」「このまま終わってほしくない」っていう気持ちでいっぱいでした。
だから、昨年12月の松戸で復帰して、走っている姿を見たときは、本当に涙が出そうになりました。大ケガを乗り越えてリハビリをして、負傷前のような納得のいく仕上がりにもっていくのがどれだけ難しいかは、自分もよくわかっています。マコトは今年1月からA級1班に降格しましたが、復帰後はまだ1着を取れていません。1着って、選手にとって何よりの良薬なんですよね。1着を取ることでアドレナリンも出て、調子がグッと上がっていくような気がします。
伊東の最終日、マコトは同県の後輩・大高彰馬君の番手を回りました。大高君が丸々2周を先行してくれたんですが、マコトは抜くことができず、そのまま流れ込んで2着でした。自分としては福島ワンツーだし、マコトもあれだけの大ケガから復帰している最中。これから体もどんどん動くようになって、同じ展開ならきっちり差して1着、というレースも増えてくるだろうから、焦らなくてもいいと思っていたんです。
でも、敢闘門から引き揚げてきたマコトの目頭が赤くなっていて、悔し涙を浮かべているのがわかりました。後輩があれだけ頑張ってくれたのに、以前の自分だったら抜けていたのに…という、歯がゆさや悔しさがにじみ出ていました。マコトの性格からして、今も全力で練習しているのは間違いないです。それでも1着が取れないことに、涙を流せるーーそんなマコトの強い意志を見せてもらったように思います。本人とはこの件について話していませんが、一緒にレースを見ていた山崎芳仁君も「悔しそうですね」と言っていました。山崎君にとってマコトは同門の兄弟子。マコトの姿に「感動をもらえました」と話していて、自分と同じ気持ちだったんだなと感じました。
S級でも戦えていた選手が、わずか1年半でA級の敗者戦で前の選手を抜けなくなってしまうーー。そんな現実を見ると、やはり負傷のリスクはとても大きいと感じます。競輪選手である以上、落車は避けられないものですが、それでも一件でも事故が減ってほしいという思いは強くあります。そのためにも、落車が起きた際の判定基準をもう少し厳しくしてほしいという気持ちはありますね。今の競輪はスピード重視なので、プロテクターを嫌がる選手が多いんです。だからこそ、なおさら危険性が増してしまっているとも思います。僕は、競輪界からドーピング違反者がゼロになること、そして落車事故が一件でも少なくなることを、心から願っています。
今月から「KEIRIN ADVANCE(ケイリンアドバンス)」がスタートしますね。競輪と違ってラインがなく、純粋な力勝負になるので、自力選手が有利なのは間違いありません。そうなると、やはり若い選手が有利になります。年を重ねた選手にとっては、アドバンスではかなり不利になりますよね。だからこそ、アドバンスでは年齢別のあっせんがあってもいいんじゃないかと思います。例えば、アンダー30とか、30〜40といった区分けですね(笑)
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伏見俊昭
フシミトシアキ
福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。