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【伏見俊昭の警鐘】「真剣に戦う選手を裏切る行為は許されない」今こそ求められる厳格なルール

2025/03/11 (火) 18:00 25

 netkeirinをご覧の皆さん、こんにちは。伏見俊昭です。
 今回は、松戸でのレースを振り返りながら、新田祐大君との連係エピソードをお届けします。さらに、競輪界を揺るがせたドーピング問題についても、率直な思いをお話ししたいと思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

気合いが入った松戸FIでの「オリンピックライン」

 2月の松戸FI(2月25〜27日)は、「全日本選抜競輪(GI)」の裏開催だったため、GI級の選手はいないはずでした。ところが、SSと遜色のない実力を持つ新田祐大君が参加していました。本来ならGIに出場できる選手ですが、グランドスラムを達成してからちょっと流れに乗れてないというか…。誘導員早期追い抜きの失格したりとか不運も続いていますね。ただ、決して脚が落ちたわけではなく、実力は十分にあります。あっせんが出るのは約1ヶ月前。そのときから松戸で新田君と一緒だと分かって、僕自身もすごく練習に身が入りました。点数的にも初日特選でいきなり一緒のレースに乗れる可能性が高かったので、より気合いが入りましたね。新田君の踏み出しは圧倒的で、気持ちが入るどころか神経をすり減らされるくらいです。

 松戸入りして初日特選では予想どおり新田君と連係することになりました。さらに、まさかのせーちゃん(中川誠一郎)が3番手についてくれることに! 実況の人も「オリンピックライン」と呼んでくれました。なかなか、オリンピック出場経験のある3人で競輪でラインを組めるなんてないですからね。僕も当然気合が入りましたよ。ただ、その気合が少し空回りしてしまいました。出走前には「大体、こんな流れで行きます」って感じである程度の打ち合わせをするのですが、新田君の踏み出しが予想以上に良すぎてちょっと口が開いてしまったんです。そこで狙われる形になり、高久保(雄介)君に入られてしまいました…。事前にあのタイミングで行くという話はしていても離れてしまったのは…決して油断をしていたわけじゃないんですけどね。

新田祐大ー伏見俊昭ー中川誠一郎のオリンピックライン(撮影:北山宏一)

2日目は「班目一門の同門ライン」でワンツースリー

 2日目も番組さんが新田君と同じレースに組んでくれました。この日は3番手に佐々木雄一君。オリンピックラインの翌日は、「班目一門の同門ライン」です。同門3人で連係するのも珍しいことなので、また気合が入りましたね。初日の反省を踏まえ、より一層踏み出しに重点を置いて挑みました。勝負どころの残り2周半からは、神経を研ぎ澄ませながら全力で走りました。新田君は最終ホームから後ろの動きに合わせて仕掛けてくれましたが、その踏み出しにもしっかりとついていけました。そして3人でワンツースリーを決めることができました。

 最終日の決勝も新田君との連係です。このレースには橋本壮史(茨城)君が乗ってきました。関東勢は一人だったので、東日本ラインとして橋本君の番手に新田君がついてもいいようなメンバー構成でした。僕は新田君を信頼しているので、彼が橋本君の番手でも、自力でも構わないと思っていました。しかし、新田君と橋本君が話をした結果、橋本君は「同県の後輩に勝ち上がらせてもらったので、決勝では自分の力を出し切りたい。一人で頑張りたい」と、律儀に僕にも説明してくれたので、別線勝負になりました。

新田君との連係でGIレベルの感覚を思い出した(撮影:北山宏一)

 もし「橋本君ー新田君ー僕」の並びで走れたら、“隠れ福島ライン”になっていたんですよ。橋本君は茨城籍ですが、福島県の学法石川高の出身。ナショナルチームに負けず劣らずの礼儀正しい好青年です。今回は連係できませんでしたが、「また次回、機会があればよろしくお願いします」と言ってくれました。決勝は、新田君が優勝、僕が2着でワンツーを決めることができました。準決勝ではゴール前で全然詰めることができませんでしたが、決勝では準決勝での経験を生かし、新田君の踏み出しにしっかりついていけました。開き直ったわけではありませんが、気持ちが入っていたおかげで詰め寄ることができ、今後につながるレースになりましたね。3日間、新田君との連係は気持ちも入ってよかったんですが、これか毎回となると、自分の身体がもたないですね。今の僕にはいつも自分だけの競走スタイルの星野洋輝クラスの番手が一番合っていますね(笑)。

選手から見る333、400、500バンクの違いは?

 読者の方から「実際に走る選手から見る333、400、500バンクの違いは?」というご質問をいただきました。この流れでお話ししますね。

いわき平のホームバンク以外では武雄競輪も走りやすい(撮影:北山宏一)

 今回の松戸は333バンクでした。同じ333バンクでも、場によって特徴が異なります。松戸は直線が短いほうですね。逆に直線が長いのは伊東温泉かな。走った感覚でいうと、奈良が一番短く感じます。今回のレースでも新田君につけきって2着でしたが、選手仲間から「400バンクだったら抜いてましたね」と言われました。うーん…そうかもしれないけど、まぁ、タラレバの話ですからね(笑)。

 バンクの直線の長さによって、先行有利か追い込み有利かが変わってきます。仕掛けのタイミングが一番多いのは500バンク。直線が長く、カント(傾斜)の角度が緩いので、交わしやすく、まくりやすいですね。僕は一番オーソドックスな400バンクが好きです。いわき平はホームバンクでもあり、直線が長くて走りやすい。あとは武雄も好きですね。武雄も直線が長いんですよ。何か大きなレースを勝ったとか、特別な思い入れがあるわけではないですがね。

偽りの強さだったのか…怒りも感じたドーピング問題

KEIRINグランプリ2024(撮影:北山宏一)

 北井佑季君が禁止薬物を使用していたとの発表がありました。昨年末のKEIRINグランプリ2024開催時のドーピング検査で陽性反応が出て、S級S班を剥奪され、現在はあっせん停止中です。

 僕はナショナルチーム時代、何度も検査を受けていました。五輪開催時も抜き打ちで尿検査や血液検査を受け、数えきれないほどでした。ドーピング検査で陽性になると、年単位で出場停止になったり、プロライセンス剥奪などの重い罰則が課せられます。だからこそ、ものすごく気をつけていました。薬なんかうかつに飲めませんし、サプリメントもすべて専門の先生に申告していました。先生には「海外の製品は何が入っているかわからないから、飲むなら国産にするように」と言われていました。風邪をひいても、どんなに苦しくても、自分の免疫力と治癒力で対応するしかなかったんです。そんな過敏なほどの注意を払ってきたからこそ、北井君のニュースを聞いたときは、残念な気持ちだけでなく、怒りも感じました。

 近年の医学の進歩で、検査によって「どのくらいの薬物を、どの程度摂取したか」まで分かるらしいですね。だから「うっかり」というのは考えづらい。陸上100mのベン・ジョンソンのように、ドーピングによって実際に記録が伸びた前例もあります。楽をして強くなりたい、という気持ちが生まれるのかもしれません。でも、一度でも薬物を使用したら終わりだと思います。真面目に努力している選手に対して失礼であり、侮辱行為だと思います。現段階の情報では、北井君は数ヶ月のあっせん停止後に復帰する見込みです。でも、それは甘すぎるのではないでしょうか。短期間で復帰できるのなら、「自分もやってみよう」と安易に禁止薬物に手を出してしまう選手が出るかもしれません。競輪界の未来のためにも、もっと厳しい罰則が必要だと思います。

競輪界の未来のためにも、もっと厳しい罰則が必要(撮影:北山宏一)

 僕が若いころ、どんどん力をつけて結果を出し始めると、周囲からドーピングを疑われたことがありました。先輩には「ドーピング疑惑が出たら一流の証だ」と冗談めかして言われました。でも、今では笑えない話ですね。

 ドーピングで最も恐ろしいのは副作用です。薬で一時的に強くなり、賞金を稼ぎ、スポットライトを浴びることができて、そのときはそれで満足でしょうが、その後には必ず副作用がついて回る。自ら寿命を縮める行為です。「ドーピングをしたら明日死にます。でも、やらなければあと10年生きられます」と言われたら、誰もがやらないはずです。命よりも大事なものなんてないですよね。僕は神に誓って、一度も禁止薬物に手を出したことはありません。当たり前のことですが。

 今回の騒動に、憤りを感じている選手は多いでしょう。平原康多君もnetkeirinのコラムで「ドーピングが事実なら、もうライバルとしては見られない」と書いていました。薬を使っている選手と戦わなくてはならないなんて、納得できるはずがありません。

 僕は北井君の番手を回ったことはありませんが、3〜4番手で連係したことはあります。彼の強さを実感していましたが、あれは偽りの強さだったのでしょうか…。

あの強さは…(撮影:北山宏一)


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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