2024/08/30 (金) 18:00 34
netkeirinをご覧の皆さんこんにちは、伏見俊昭です。
今回は直近の競走やパリ五輪を振り返ってお話ししたいと思います。
8月は松戸記念(燦燦ダイヤモンド滝澤正光杯)と取手FI「レジェンドカップ・サンスポ賞」の2場所を走りました。松戸は勝ち上がりこそ二次予選で失敗しましたが、好調は維持できていたので、残る2走で1着を取ることができました。最終日は同県の後輩・伊東翔貴君が頑張ってくれたおかげで、最終BSからまくる形にはなったけど勝つことができました。
松戸は元々、たくさんのお客さんがいらしてくださる競輪場ですが、記念最終日が日曜日だったこともあり、すごく大勢のお客さんが入っていました。自分がまくっていくときの場内の歓声、どよめきは走りながらでもはっきり聞こえてきて、1着でゴールした後の歓声もすごかったです。歓声はここ何年も浴びていなかったので、 昔を思い出して鳥肌が立ってしまいましたね。後輩の頑張りが一番ですが、最後は自力で良い走りができての1着。“追い込みでの勝ち”と“自力での勝ち”は感じられ方も違うんだな…としみじみ思いました。
昔はこの歓声を浴びたくて自力で頑張っていたし、何より、グランプリで逃げ切って優勝したときのウイニングランで浴びた歓声は、自分の身体の中からどんどんアドレナリンが湧き出てくるのを感じました。『これで次も頑張れる』って。松戸最終日の自力での1着は忘れ去られた自分の感情を思い出させてくれました。その後の取手までの約2週間の練習にもすごく身が入りましたね。
そして迎えた取手FIのレジェンドカップ。今年初の初日特選スタートは北日本4人(大森慶一、五日市誠、酒井雄多)がシードされました。こういう時、同県で並ぶか…直近4ヶ月の競走得点で並ぶのか…意見が分かれます。自分の中では点数がいいかなと思うのですが、生粋のマーク屋は『近況のレース内容を重視』っていうのもあるようです。
ボクは前検日は早めに競輪場入りして、ゆっくり準備をしながら記者さんの取材を受けるのがお決まりなんですけど、大森君はいつも来るのが遅いんですよ(笑)。結局、大森君が来る前に地元の芦澤大輔君が「酒井君の番手ジカ」ってコメントを出したんです。メンバーを見た時点で芦澤君なら番手に来るだろうなとは思っていたので想定通り。点数順に並ぶとボクが4番手になるんですが、番手は競りなのに同県の後輩(大森君)に任せていいのかと自問自答していました。遅くに到着した大森君に、「酒井君には先行してもらったりお世話にもなってるし、番手で勝負させてくれ」って志願しました。相手の芦澤君は百戦錬磨のマーク屋で厳しい戦いになるとは思ったけど、自分のやれることをやりたい、と思っていましたね。結果、7着だったけど気持ちの入ったレースができました。
2日目準決勝は同県の後輩・真船圭一郎君が先行してくれて大石剣士君がまくってきたので、番手からまくって1着。後輩の頑張りを無駄にしたくなくて、出ていかないと共倒れになっちゃうので苦渋の決断で踏ませてもらいました。
最終日の決勝は先行選手不在の組み合わせに。同県の後輩・中田雄喜君がいたので彼の意思を確認してからと思ったら「伏見さんの後ろを固めます」って即答されました(笑)。まあ、中田君も追い込みなので無理に前でやってほしいとは思っていなかったんですが。「じゃあ、前でがんばるよ」ってことになりました。2対2対2対1に分かれて前回りはボク、芦澤君、東龍之介君と単騎の大森君の争いです。このメンバーじゃ誰が先行するのか、どういう組み立てになるのか全然わからない。赤板で誰か抑えにいくって発想はあるのか…とにかく全く何もイメージが浮かばない!
その中でも自分が前回りってコメント出したあとに志村太賀君や桐山敬太郎君が「決勝は伏見さんの先行ですね」って茶化してくるんです。「最年長だし先行なんか無理だよ」って返答したら「今回はレジェンドカップだから」って。うーん、そんなの関係ないし、そもそもボクはレジェンドじゃないし。ボクの中ではレジェンドは神山雄一郎さんしかいないです。神山さんの足元にも及ばないのにレジェンド扱いされても困りますよ。準決勝で頑張ってくれた真船君も「伏見さんの先行が見てみたいです」って言ってくるし。「先行なんかもう何十年もしてないし、行ったところでバックまでもたないよ」と返事をしておきました。とにかく周りが「先行、先行」って煽ってきましたね。
“魅せるレース”をするのか、“勝ちにこだわる”のか、迷いました。
勝ちにこだわるとレースが小さくなる。魅せる走りだとどうしても着が悪くなる…。葛藤しました。昔、自分がバリバリ先行していた頃は先行だけは譲らないって思っていました。まくりを併用するようになってからは、次に繋がる走りでしょぼいレースをしないようにと心がけて走っていました。追い込みになってそういう気持ちを忘れていたので、自力で戦っていた頃のイメージを思い出しながら色々シミュレーションしたんですが、そういう時ってなぜか失敗シーンしか浮かばないんですよね。先行したらバックまで持つのか、抑え先行になったら誘導を切りに行って脚が一杯になるんじゃないかとか、ネガティブなことばっかり。それならまくれるかどうかはわからないけどショートまくりで一発狙った方がいいのか。とにかく考え抜きました。
決勝は結局、カマす展開になって逃げの決まり手がついて、2着で悔しいというよりもやり切った感がありましたね。このメンバーで先行で戦えたということを、お客さんに見せられたのはうれしいです。そして自ら先行したことで先行選手の気持ちが改めてわかりました。先行って難しい…。練習みたいに力まずに踏めればいいけど、相手がいるので合わせられないように強めに踏むとか、どこから踏めばペースを保てるとか。決勝は身体の反応に任せて踏んだだけなので、どこから仕掛けようとかは意識がなかったんです。このスピードだったら出切れるなとは思いました。ホームで出切った後はペースがわからなかったです。最終BSでは誰かまくってくるんじゃないかとか、2センターから内に誰か入ってくるんじゃないかとか、頭をよぎっていました。
最終4コーナーを回ってからは、まあ長かった。500バンクかと思いましたよ(笑)。年齢的に体力も落ちているし、先行は超久々で脚は一杯でとにかく苦しくて。それでも最後まで踏み切る、力を出し切りたいって無我夢中で踏んでいました。そんな中、最後にハンドルを投げたら選手が横並び状態。ゴール後の歓声は松戸とは違って、苦しすぎて何も聞こえませんでした。周囲の選手はなんかみんな笑っていました。後輩たちは「すごい、すごい」って茶化してきましたが、特にすごくはないですよ。もちろん、自力に戻す気持ちはないし、こんなレースは最後かなと思っています。そんなこんなで取手の3日間は充実していましたね。
今開催のタイトルは「レジェンドカップ」。確か、初回大会にも呼んでもらったんですが、その時はケガしていたので欠場しました。前にも書きましたがボクにとって現役のレジェンドは神山さんだけ。初回は神山さんもあっせんされていましたが、レジェンドカップってどういうあっせん?? 初回はタイトルホルダーを集めていましたけど、今回はイケイケの若手も多かったので疑問です(笑)。
だったらレジェンドではなくマスターズにして、40歳以上の選手だけで争わせるってのが面白いんじゃないですかね。S級でもA級でも年寄りだけの開催があってもいいかも、と思います。ボクが先行した決勝みたいにレースはそれなりに成り立つはず。そもそもボクは今開催がレジェンドカップって知らなかったんですよ。前検日に志村君が「今回、伏見さんの開催ですね。レジェンドカップですよ」って言ってきたから気づきました。いやいや、レジェンドカップやるなら毎回、神山さんを呼んでくださいよ!って感じですね(笑)。
首は幸いにも痛みも出ず良い感じです。でも、今はテニス肘になってしまいました。初めての発症は2、3年前。左手の中指を使う動作、例えばクリップバンドを締めるとかで痛みが出たんです。整骨院の先生に診てもらったら「テニス肘だね。腕を使い過ぎるとなるよ」って。鍼や電気で治療して痛みが引くまで半年くらい掛かりました。それが再発してしまったようです。以前の首の深刻な症状に比べたら、自転車に乗る分には違和感もストレスも少ないし、握力が落ちないように筋トレも欠かさずやっているので、今回も鍼や電気で治療する予定です。前回が半年で治ったので年内に治らなかったら、首を治してくれたPRP療法にすがります(笑)。
トラック自転車競技は直近で日本選手団が良い結果を出していたし、世界との差が縮まっているのはすごく感じていたので、メダル獲得のチャンスは十分あると思っていました。男子チームスプリントは予選で日本記録を更新するタイムを出していたので、上2チームは抜けている感はあったけど、銅メダルはイケるんじゃないかと。結局、スタートで第一走者の長迫吉拓君が滑ってしまって残念な結果に。五輪には本当に魔物がいますね。長迫君はちょっと早く出過ぎた感じなんでしょうか。発走機はロックされているのでコンマゼロいくつ…くらいで出られたら最高なんですけど、若干早かったのかな。ボクはそこまで発走機スタートをやったことないからわかんないけど、長塚智広君はそのタイミングの取り方がうまいっていつも見てました。でも世界との差が縮まっているのは確実なので、次のロス五輪ではメダル争いしてくれるでしょう。
男子ケイリンは太田海也君の降格は厳しいな…という印象です。太田君が決勝に乗れていれば、中野慎詞君と2人でメダルが取れたんじゃないかな。監督がもちろん抗議したけど、覆ることはないので受け止めなくちゃいけないけど…それにしても厳しいな、と。太田君はスプリントでも降格しているし、運が味方してくれなかった。運だけのせいにはできないけど、太田君は世界のトップと互角以上に渡り合える脚力がありますから。この結果を今後にどうつなげていくか、期待したいですね。
五輪後の身の振り方は「4年後に向けて頑張る」と即答する人と「ちょっと考えます」という人に分かれます。ボクはシドニー五輪で落選した後は『すぐに次も!』とは言えなかった。4年は長くて想像もつかない。その中でアテネ五輪も目指すって思うまで1年かかりました。その1年間、競輪で結果を出すことができたことで、気持ちに余裕ができ、この状態ならあと3年アテネ五輪に向けて自信を持って過ごせると思えたのが大きかったです。それにもちろん、『このままでは終われない、リベンジしたい』という気持ちも強かった。そう思えたのも若さですね。
競輪と競技との両立は難しいです。競輪を走ると競技での長期的なトレーニングのスケジュールは組めません。競輪は落車もあるし、もちろんケガをすれば走れません。他の競技のようにスポンサー収入だけで競技に専念できるのが理想。もちろんスポンサーとはwin-winの関係じゃないといけないので、柔道、水泳、レスリングのように宣伝効果があるメダルを獲得できる選手が大勢出てくる必要はありますね。
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伏見俊昭
フシミトシアキ
福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。