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すっぴんガールズに恋しました!

【猪子真実】代謝で12年間の現役生活にピリオド 引退直前に144万円車券演出「競輪の神様は見ていてくれた」

アプリ限定 2024/08/25 (日) 18:00 59

2024年6月末、ガールズケイリン2期生の猪子真実が代謝制度により引退した。12年間の現役生活で通算21勝。優勝はなかったものの、5月にはガールズケイリン史上最高配当144万円車券の立役者に。引退後はネット配信などに出演し、競輪の魅力を発信している。今回の『すっぴんガールズ』では、明るい笑顔がトレードマークの猪子の歩みを紹介する。

“普通の社会人”として競輪に出会う

 愛知県一宮市出身の猪子真実。小さいころから運動神経がよく、小学生低学年でソフトテニスを始めると、一宮市内では知られた存在になった。名古屋市内の愛知淑徳高等学校に推薦入学し、インターハイは個人でベスト16、団体では全国3位と好成績を残した。

 高校卒業後は名古屋市内の飲食店に勤めていたが、縁あって地元一宮競輪場でバイトを始めた。金網越しに見る競輪に魅力を感じていたが、当時はまだガールズケイリンは存在しなかった。その後、かばん販売の会社に就職するが、いわゆる“普通の社会人生活”には満足できなかったという。

加瀬加奈子(右)と。1期生の勇気が猪子の挑戦を後押しすることに

30歳でガールズケイリン挑戦を決意

 2010年、女子競輪の復活が決まる。猪子は知人から2012年から『ガールズケイリン』が始まるという知らせを聞き、興味が湧いた。当時30歳だった猪子は1期生募集のタイミングで踏み出す勇気は出なかったが、1期生の応募状況を知ると興味は加速した。

「自分より年上の人も挑戦していたし、自転車競技未経験の人もいた。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の合格タイムを聞いて、これなら自分でもできるかもって思ったんです。一宮競輪場でバイトをしていたときのつながりで笠松信幸さんを紹介してもらい、2期生として競輪学校合格を目指すことになりました」

 笠松信幸は猪子の1歳年上だ。弟子入り時の状況を笠松はこう振り返る。

「自分も中学からソフトテニスをしていて、猪子のことは知っていたんです。一宮市内では有名でしたから。バイトをしているときから面識はあったけど、一度は師匠になることをためらった。でも猪子がやる気だったし、自分ができることがあればサポートしようと思い引き受けました」

 高校卒業後がスポーツから離れていたため、体力を取り戻すのは大変だった。入学試験に向けた街道練習は苦しかったが、新しい人生のスタートラインに立つことをイメージして練習に打ち込んだ。努力は実を結び、試験に合格。ガールズケイリン2期生として日本競輪学校へ入学した。

脚力差に不安覚えた競輪学校時代

 2期生は個性派選手ぞろいだ。自転車競技で結果を残してきた石井寛子に山原さくら、田中まい、三宅愛梨。トライアスロンから転向した梶田舞。スノーボードから転向した猪頭香緒里。2世選手や縁故選手も多かった。自転車競技経験のなかった猪子は入学して早々に周囲との差に驚いたそうだ。

「夢を持って競輪学校に入ったけど、すぐにすごいメンバーの中に入ったなと思いましたよ。やっぱり石井寛ちゃんはすごかった。あとは(山原)さくらと(三宅)愛梨の体の大きさにびっくり。この中で自分はやっていけるのかなと不安になりました」

 1年間の学校生活を乗り切れたのはルームメイトの存在だった。

「部屋は小坂知子と矢野光世との3人部屋だったんです。この部屋のおかげで1年間楽しく生活できました」

同期の石井寛子、小坂知子、梶田舞らと(本人提供)

 競輪学校での思い出は競走訓練で1着を取ったこと。

「(山原)さくらと(田中)まいちゃんが私の前で先行争いをしたんです。2人でバチバチの戦いになって、その後ろで脚がたまっていた私が1着を取れた。うれしくて教官に『私の1着なら大穴ですね』って言ったら『猪子の頭の車券は無投票だよ』って言うんです。今では笑い話だけど、そのときは本当に脚力が無かったんだと思います」

 在校成績は18人中14位。好結果を残すことはできなかったが「でも学業優秀賞は取れました」と少しだけ胸を張って教えてくれた。

デビュー当初は健闘「こんな“底辺の女”が…」

 デビューは2013年5月京王閣。「覚えているのは緊張で口の中がカラカラだったことくらい」と話す猪子は3日間車券に絡むことができず、ほろ苦いスタートとなった。

 2場所目の地元名古屋で最終日に初連対を果たすと、3場所目の和歌山では最終日の一般戦で初白星をゲットした。続く松山でも最終日一般戦で1着。在校14位とは思えない健闘ぶりを見せた。猪子は大笑いでデビュー当時を振り返る。

「名古屋最終日で2着になって『なんかいい感じだな』と思ったら、次の場所で1着が取れた。こんな“底辺の女”がなかなか1着は取れないですよ(笑)」

2013年5月、33歳でデビュー

 その後も8月の弥彦で初決勝と順調にステップアップを続けていった。2年目の8月に取った1着は思い出に残っているという。

「8月の京王閣、まっすー(篠崎新純)の後ろから始めていい位置を回れたんですが、後方にいた石井寛ちゃんに踏み勝って1着が取れました。この1着はうれしかったな。この京王閣は決勝にも乗れたし思い出に残っています。すぐ次の松阪の補充にも行って1着。このころは調子が本当によかったと思います」

 派手に1着を量産するタイプではなかったが、コツコツと練習して鍛えた地脚を武器にレースを重ねていった。しかし次々に新人選手がデビューすると、なかなか思い通りの成績を残すことが難しくなっていった。

何度も訪れた“強制引退”のピンチ

 まだ選手数は少なかったガールズケイリンでも、2015年から『代謝制度』が始まった。これにより半年に1度、成績下位3名が強制的に引退となってしまう。

 猪子にもピンチは何度か訪れたが、その都度レースを読む嗅覚をフルに働かせて好位を確保し、上位着を取って“クビ”を回避した。選手生命を延ばすターニングポイントとなったレースは鮮明に覚えている。2019年4月松戸最終日の一般戦。同期・杉沢毛伊子の先行にマークして2着に入った。

「ハマさん(杉沢毛伊子)の自力は付いて行きやすかった。同じような地脚タイプなんです。このときの2着は忘れられません」

 2021年10月函館2日目の2着もそうだ。

「この時はスタートで誰も出なかったので、意を決して前に出た。そうしたらふーちゃん(奥井迪)が前に来てくれて突っ張り先行。すごく強かったな。自分は付いて行っただけなのにヘトヘトでした。同県の清水(広幸)さんがふーちゃんに『真実を連れて行ってくれてありがとな』って言っていた(笑)。その後からですかね、ふーちゃんと仲が良くなったのは」

(本人提供)

続いた落車が運命の分かれ道に…

 こうしてギリギリのところで代謝を回避してきたが、2022年は度重なる落車に見舞われた。4月の松戸、6月の立川、10月の松山と1年間で3回落車。これが猪子に競走への恐怖心を植え付けてしまう。

「練習は休まずやっているんだけど、落車が続くとレースが怖くなってしまうんですよね…。自分でも苛立ちをコントロールできなかった。10月の松山での落車したとき、(山原)さくらが医務室に来て『真実さん、怒っているから大丈夫』って声をかけてくれて。本当ならシュンとなって泣いてしまうところだけど、イライラして怒るくらいだからまだ気持ちは切れていないと」

 しかし闘争心とは裏腹に、レースになると恐怖心が上回ってしまう日々が続いた。長引く不振で代謝制度の対象となり、猪子の競輪人生は2024年前期をもって終わりを迎えることになった。

「最後のほうは、もう選手生活は終わりだなと察していました。正直『絶対に残りたい』とは思っていなかったけど、周りの人たちは違いました。『絶対に諦めるな』って声をかけてくれて…。だから練習だけは休まずやっていました」

ガールズケイリン史上最高配当を演出

 期末での代謝がほぼ決まっていた2024年5月の青森。最終日に1着を取り、2021年12月以来となる通算21勝目を挙げた。3連単の配当は144万5400円。全210通り中、208番人気の組み合わせで、これはガールズケイリン史上最高配当記録となった。

「ミッドナイトで(不利な)7番車。前の方から始めようと進めた。自分の前にいたダンプ(加藤恵)が踏んでくれて、前方がもつれました。自分は内にいたから脚はたまっていたんです。先頭を走っていたのは(浜地)晴帆で『外帯線を外せ!』と思って見ていたら一瞬外した。あれは見切りで突っ込んだのではなく、外した確信を持って内を踏みました。最後はハンドル投げ。勝ったかどうかはまったく分からなかった。ゴール後は審議のアナウンスがあったからドキドキしていました」

2024年5月22日、青森1Rでガールズケイリン史上最高配当を演出

  レースを終えて検車場に戻ると、仲間たちが迎えてくれた。

「ふーちゃん(奥井迪)が涙ぐんで出迎えてくれたんです。同級生の三ツ石(康洋)君にも『いいもの見せてもらった』と言ってもらえたし、うれしかった。最後まで練習を休まずやっていたから、突っ込んで1着を取れたのかな。競輪の神様は見ていてくれたんだなと」

 開催が終わり、預けていた携帯電話を受け取るとたくさんの連絡が届いていたという。思わぬところで自らの走りがいろんな人に届いていたことを知ることになった。最後までもがき続けた証は、記録にも記憶にも残った。

「携帯の電源を入れたら通知がすごかった。優勝したことはなかったけど、こんなに喜んでくれる人がいるんだと思いました。次の開催に行ったらあまり話をすることのなかった後輩のガールズ選手からも『猪子さん、青森の1着見ました。感動しました』と声をかけてもらえた。コロナ禍以降は生活習慣も変わって後輩との絡みも減っていたのでうれしかった。最後の最後で見せ場を作れてよかったです」

 ラストランは6月の豊橋。大勢のファン、選手仲間、関係者に見送られ無事ゴールを駆け抜けて、12年の選手生活に幕を閉じた。

6月26日、豊橋競輪場でラストランを終えた(本人提供)

地道ながらも悔いのない競輪人生

 12年間で通算21勝、優勝はゼロ。華々しい競輪人生ではなかったかもしれない。猪子は競輪学校在籍時から周囲との力の差を感じながらも自分なりの使命を見つけ、前向きに選手生活を送っていた。

「最初は同期の中で一番最初にクビになると思ったけど、長く続けることができたのは競輪を楽しいと思えたから。私は最終日の一般戦でどれだけ車券に絡めるかがモチベーションでした。ガールズケイリンはまだ成績によるクラス分けがないので、予選は力上位の選手に食らい付いていくこと、3着までになんとか入ることだけを考えて走っていたけど、一般戦は違う。自分で考えながら走って、何とかできたことが楽しかった」

選手仲間とはバンクの外では良き友(本人提供)

 ガールズケイリン2期生としてデビューして12年、選手人生に悔いはない。

「自分の居場所で頑張ろうと思ってできることをやってきたので、悔いはありません。30歳を過ぎてからの挑戦でしたが、私の力は出せたのかなと思います。師匠の笠松信幸さんや練習仲間のおかげで悔いなく終わることができました。ガールズケイリンの選手になれて本当によかった。仕事で全国に行けるし、そのおかげで全国に友だちもできました。できれば19、20歳からやってみたかったかな。生まれ変わってもやれるなら、またガールズケイリンをやりたいです」

 デビュー当初のホームバンクだった一宮競輪場は2014年に廃止となり、その後は名古屋を本拠地として練習を積んだ。仲間たちへ感謝し、今後は愛知のガールズケイリン選手たちに思いを託す。

「名古屋のみなさんには本当にお世話になりました。私の脚力に合わせて前で引っ張ってくれたり、バイク誘導してくれたりと和気あいあいとやっていました。練習も楽しくできました。名古屋では中野咲、當銘直美、永禮美瑠が男子選手に食らい付いて練習しているのを見ています。最初の頃には考えられなかったくらいガールズケイリンのレベルが上がりました。今後はバンクの外から見守りたいです」

切磋琢磨した同郷の選手たちにエールを送った(本人提供)

“第三の人生”も笑顔で歩む

 引退後は競輪、ガールズケイリンの普及活動にも力を注ぐつもりだ。すでに競輪のネット配信やトークショーに出演し、変わらぬ笑顔を見せている。

「私にとって、第三の人生になりますね。まずはガールズケイリンのことを広めたいし伝えたい。自分が選手としてやっているときは選手活動に必死で余裕がなかった。こうやって選手生活を終えてお客さん目線で見ると、ガールズケイリンの魅力がいっぱいあることに気がつきました」

 来年5月に名古屋競輪場で開催される「第79回日本選手権競輪」のアンバサダーにも就任。名古屋を拠点に活動中の8人組のアイドル・プリンセス物語と一緒にGI最高峰の“ダービー”を盛り上げていくつもりだ。

「なにより金網越しで競輪を見ることの良さを伝えたい。私自身が一宮競輪場で競輪を生で見て、かっこいいと思ったひとりなので。これからは競輪の魅力を届けられるように頑張っていきたいです」

 最後に同期から猪子へのメッセージを紹介する。

(左から)同期の梶田舞、小坂知子、石井寛子

小坂知子(岐阜)
「競輪学校の同部屋からの付き合い。もう開催で一緒になることがないと思うと寂しいです。真実ちゃんと同じ開催になれば安心していた。開催後に飲みに行っても私の保護者になってくれたので(笑)。最後の一緒の開催となった函館で優勝できたことはうれしかった。今後は中部のガールズケイリン開催の解説で頑張ってもらいたいですね。来年はオールガールズクラシックが岐阜であるし、真実ちゃんの解説を聞きたい。私も出場できるように頑張ります」

石井寛子(東京)
「競輪学校で初めて会ったときから『まみちゃんって呼んで』って気さくな人でした。104期の和みの存在。開催が一緒になると安心感がありました。助けたり助けられたりといろいろ支え合える存在でした。ごはんも何度もいったし、楽しい思い出がいっぱいあります。長い間お疲れさまでした」

梶田舞(埼玉)
「競輪学校のときから仲良くさせてもらいました。年上なのに優しく接してもらってすごくうれしかった。最後までしっかり走って引退。お疲れさまでした。次の仕事でも頑張ってください」

 競輪場で猪子真実の姿を見かけると、周りにはいつも仲間の笑顔があった。第三の人生も笑顔にあふれたステージが待っているはずだ。今後の猪子真実の挑戦も応援したい。

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すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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