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すっぴんガールズに恋しました!

【大浦彩瑛】根性で会社員から競輪界に“転職”! 人生懸けた挑戦で一流目指す「まだまだ伸びしろある」

アプリ限定 2025/06/06 (金) 18:00 15

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は3月に初優勝を挙げ、4月にもオールガールズクラシックの前座戦で優勝した大浦彩瑛選手(29歳・神奈川=126期)。デビュー時には126期唯一の既婚者として注目された。大浦選手にはガールズケイリン挑戦を後押しした夫、そして師匠とともに目指す大きな目標がある。

陸上部で活躍した学生時代

 大浦彩瑛は京都府京田辺市の出身。6歳上の姉、4歳上の兄と3人きょうだいの末っ子だ。

 幼いころから水泳や体操で体を動かし、小学生になると京田辺市にゆかりの深いハンドボールを始めた。走るのが速かった大浦は、中学では陸上競技部に入部。大会で好結果を残すと、高校は陸上競技の強豪・府立西城陽高校へと進学した。

(本人提供)

 部活に打ち込む一方で、将来像はいまひとつ見えなかったという。大学進学を選んだが、そこに明確な理由はなかった。

「同級生の多くが大学へ進学していたし、自分もその流れに乗って…。大学4年間で自分のやりたいことを見つけられればいいかなと思っていました」

 兵庫県の武庫川女子大学へ進学して栄養学を学んだが、やりたいことは見つからなかった。

「中高の陸上競技時代、体のために揚げ物を避けるなど食事制限をしている時期がありました。だから自分はスポーツと栄養に興味があるかもと思い食物栄養科を選びましたが…。悶々とした日々を過ごしていました」

 退屈な日々のなかでも、気分転換になっていたのはボランティア活動だった。

「自分自身の成長につながるかなと思い、私も小さいころに参加していた青少年野外活動センターでボランティア活動をしていました。キャンプを引率して、子どもたちと自然の中で交流していました」

一般企業に就職も“心のモヤモヤ”拭えず

 大学4年間を終え、大浦は機内食を製造する会社に就職した。

「食品メーカーも志望しましたがレベルが高くて手が届かず…。縁あって東京の機内食を扱う会社で働くことになりました」

 仕事は機内食をトラックで空港へ運んでキャビンアテンダントへ引き渡し、食べ終わった機内食を回収して会社に戻るという配送業務がメインだった。入社後すぐにトラックを運転するための大型免許を取るなど前向きに取り組んだが、モヤモヤした感覚はなかなか拭えなかった。

「仕事は淡々としていましたけど、心のどこかに違和感がずっとありました。普通の仕事は自分に合わないなという思いが強くなっていき、どんどん気持ちがふさいでいって…。仕事を変えないと、と思い転職を決意しました」

検索でヒットした『ガールズケイリン』

 ふと陸上競技をしていたころは悩みがなかったことを思い出した大浦は、体を動かすことを仕事にできないかと模索しはじめた。

『女子のプロスポーツ』、『未経験でも稼げる』…インターネットで検索すると、最初に出てきたのが公営競技選手だった。最初に見つけたのはボートレーサーだったが、モーターが動力になること、視力が悪かったことから選択肢には上がらなかった。そして、次に出てきたのがガールズケイリン選手だった。

(撮影:北山宏一)

「元々自転車は好きだったんです。大学卒業後、上京するのにも友だちと2人、自転車で来ました。京都からリュックサックを背負って、4日間かけて東京まで…。前職がうまくいかないときも、気分転換に2泊3日で東京から仙台まで自転車で行きました」

 並外れた行動力と、やると決めたときの根性はガールズケイリン選手にもってこいの長所。実際、本人の決断の後押しにもなったはずだ。

124期で不合格 会社辞め福田知也に弟子入り

 最初の受験は日本競輪選手養成所124期の試験だった。陸上で鍛えた体力を活かし、自転車未経験でも受けることができる適性試験で受験。このときはまだ会社員で、ほとんど準備できなかったというがなんと1次試験は合格。2次試験でワットバイクを使った試験があると聞き、あわてて選手会に問い合わせた。急いでワットバイクの練習を始めたが、2次は不合格となってしまった。

「ワットバイクにほとんど乗ったこともないような状態だったので、さすがに厳しかったですね。どちらにせよ年内で機内食の仕事は辞めるつもりだったし、次の試験に向けてしっかり準備しようと切り替えました」

 師匠・福田知也との出会いもこのタイミングだった。福田にとっては初めての弟子で、しかも女子である。その経緯を聞くと…。

「適性の1次試験が受かっているなら、素質はあるはず。自分もワットバイクの練習をしているので、ワットバイクの数字の出し方は教えられるかなと思った。弟子を持つのは初めてでしたが、自分自身も刺激をもらえるかなと思って大浦を迎えました」

師匠の福田知也(左)と

 大浦に師匠と練習を始めたころのことを尋ねると「師匠との練習はキツかったですね。最初のころは吐くことも多かった」と振り返る。それほど苦しい練習だったのだろう。

 福田も大浦に厳しく接したことを認める。それは大浦がただ養成所に合格するためではなく、その先の活躍も見据えた練習メニューを組んでいたからだ。

「自分は試験前に仕上げるつもりだったので、大浦は大変だったと思いますよ。『普段通りやれば試験を受かるレベルまでやろうと思う。それでもついてこれる? 』と聞いたら大浦は『やる』と。体が耐えられるギリギリの内容でした。吐いても絶対に最後まで練習メニューをこなすから、根性あるなと思っていました」

 大浦は会社員時代に結婚しており夫と暮らしていたが、アマチュア時代は大浦に収入がなかったため、練習前には牛乳配達のアルバイトをして家計の足しにしていたという。

「当時は生活が苦しくて、鶏の胸肉と卵を食べて体作りをしていました」

 新しい世界に飛び込むために生活を切り詰め、厳しい練習に耐えた大浦。126期の入試でも1次試験を通過。リベンジとなる2次試験も師匠と一緒に対策を練って本番に備えたが、前年と内容が変わり大浦は青ざめた。

「試験内容が変わっていて、全然やっていない内容だった。元々あがり症なのもあったし、まったくうまくいきませんでした。全然手応えがなくて、帰り道で師匠に電話して『もう来年は適性で受けたくない』とずっと泣いていました」

 大浦は合否を待たずに諦めをつけ、3回目の試験を技能で受けるため再び自転車に乗り始めた。しかし126期生合格発表の日、期待せず結果を見ると合格者に自分の名前があった。

「まさかですよ。名前を見つけてビックリしました。もうダメだと思って次の年に向けた練習を始めていた時期だったので、急いで4月の入所に備えた練習に切り替えました」

(本人提供)

126期で養成所入所 実力認められT教場へ

 2023年5月、126期で日本競輪選手養成所へ入所。既婚者の候補生は大浦ひとりだった。まだ自転車を扱った経験が浅く、最初は苦労が多かったそうだ。

「最初のころは自転車の整備が本当に苦手で、みんなができることができなくて泣いていることもありました。まさか私が自転車整備でつまずいているとは誰も思わなかったみたいで、他の候補生から『妊娠したのかな』と心配されていて(笑)」

 それでも少しずつ養成所の生活や、自転車の取り扱いにも慣れていき、練習を順調に消化。最終的には在所成績8位、卒業記念レースでも決勝進出を果たした。

 師匠の福田は特に細かなアドバイスはせず『T教場(滝澤正光所長が自ら教える選抜クラス)に入れたらそこから落ちないように頑張れ』とだけ伝えていたという。大浦自身もきっちり応え、卒業するまでT教場メンバーとして過ごした。

「最後までT教場にいたのは自分と豊田美香、伊藤優里、磯村光舞の4人だけでしたね。養成所の生活は自分には合っていたと思います。決められた練習メニューをやれば自然と結果がついてきた。楽しい1年間でした」

同期とはデビュー後も支えあう(本人提供)

デビュー控えた大浦へ師匠からの金言

 養成所生活を終え川崎に戻ると、デビューに向けてバンクでの練習がスタートした。師匠の福田はワットバイク中心の練習のため、弟子の大浦と一緒に練習する機会は少なかったそうだが、大浦は周囲の練習仲間から高い評価を受けていた。

 卒業前の記録会でも超新星と名高い仲澤春香に次ぐタイムを出していたことで、周囲の期待は高まるばかりだった。まだ1走もしていない状況で期待され、逆にプレッシャーを感じてしまった大浦。しかし師匠の福田は冷静だった。

「最初からうまくいくとは思っていませんでしたよ。一緒に練習をした選手からの評価は聞いていたけど、そんなに甘くないですから」

(撮影:北山宏一)

 厳しい言葉にも聞こえるが、大浦の力が足りないという意味ではない。深いところで弟子を理解し、気負い過ぎないように言葉を選んだ。

「大浦は自分と似ているところが多かったからよくわかるんです。あがり症なのも、デビュー前の評価が高かったのも同じでした。だけど自分はデビュー後うまくいかず、勝てなかった。だから大浦には自分の経験を話しました。すぐに結果は出ない、長ければ1年はうまくいかないだろうと。半年で力を出せるようになればいいね、と声をかけました。実際、デビューしたら大浦は弱かった。でも自分は彼女の力を分かっていたから心配していませんでした」

 大浦もこの言葉があったから、重圧に負けることなくレースに臨めたと話す。

「卒業前の競走訓練でもうまく走ることはできなかったので、自分でもそんなにうまくいくとは思っていなくて…。周りで一緒に練習してくれる人たちは『行けるよ、勝てるよ』って声をかけてくれて、もちろんありがたかったです。でも私は本番に弱いタイプなので、ちょっとプレッシャーになっていた。師匠の言葉で救われました」

デビュー後2度の落車で心にしこり残る

 デビュー時は28歳。2024年5月に富山で迎えたデビュー戦は1、2、4着。デビュー2戦目の平塚は5、1、2着。同3戦目の函館は落車失格と山あり谷ありのルーキーシリーズとなった。

「デビュー3戦目の函館で落車失格をしてしまいました。ルーキーシリーズは落車が多く4戦目の選手が足りず、落車失格している自分にも追加の連絡があったんですが、師匠と相談して追加は受けず、本デビューに備えることになりました」

 ここでも福田は大浦に助言した。

「大浦は追加に行きたがっていた。デビューした以上はプロなので、判断は任せようと思ったけど、ここだけは行かなくいいのではと言いました。まだここで焦る必要はない。落車しても走って調子を崩す人を何人も見てきていたので」

 師匠福田のアドバイス通り、体を整えることに専念すると、7月の本デビュー戦では3、2、6着で決勝進出。続く地元川崎でも2、5、6着と2場所連続決勝進出と順調なスタートを切った。大事をとり休養したのが正解だったのだろう。

 デビュー1年目は優勝こそできなかったが、少しずつレースに慣れ、キッカケもつかめてきた。しかし前記の函館、12月の静岡と2度の落車があり、それが心に引っかかっていた。

「先行はアクシデントのリスクが少ないと思います。人に迷惑をかけるのは苦しいので、今年は落車したり、させることなく走れるようにしたいと思います」

3月に強豪破り初優勝

 2025年に入ると1月の平塚で1、1、2着の準優勝。決勝でも上位に食い込み初優勝が見えてきた。

「師匠が梅川風子さんからセッティングのことを聞いてきてくれました。平塚からは新しいセッティングで走っていい成績につながりました」

オールガールズクラシック初日(撮影:北山宏一)

 3月の岐阜では1、2、1着で、石井寛子や日野未来を破って初優勝を挙げた。さらに4月岐阜のオールガールズクラシック前座戦でも優勝と、いよいよ勢いに乗ってきた。しかしレベルの高いGI戦を間近に見て、本人は冷静に分析している。

「自転車に乗っているときの力みがなくなったのが一番大きいですね。4月の岐阜でも優勝できてうれしかったけど、課題も見つかった。GIレベルだと強い選手でもまくり戦法ではリスクがあるのだと感じました。自分も武器がまくりだけだといずれ通用しなくなる。そのあたりはよく考えて練習と競走に臨んでいきたい」

 師匠の福田も同じ考えを持っている。初弟子の大浦を一流選手に育てるため、厳しくも熱い思いで接している。

「平塚で山原さくらさんをまくったレースを見て、そろそろ優勝はあるかなって思っていました。今は展開がハマったときが勝ちパターンで、相手にうまく走られてしまうと負ける。常に長い距離を踏むレースをしなさいと口酸っぱく言っています。先行していけば、まくりは自然と決まると思うので。マークされてから勝てる選手が一流。その位置を大浦には目指してほしいですね」

目指すは『ガールズグランプリ』

 大浦彩瑛の目標は『グランプリに出て、優勝すること』。デビュー時から掲げているが、この目標を口にすることは勇気のいることだ。しかし大浦はこの目標をはっきり宣言する。まだ課題は多いが、信頼する師匠とともにレベルアップに向き合うつもりだ。

 順調に成績は上がり、いよいよGI初出場も視界に入ってきた。8月の女子オールスター、11月の競輪祭女子王座戦は射程圏だ。GI出場が叶えば、グランプリ出場も夢ではなくなる。

 会社員時代に結婚し、ガールズケイリン挑戦を夫に相談したときは驚いていたというが、収入面で苦しかったアマチュア時代も支えあってきた。選手になったからにはトップを目指すというのは、夫婦でともにする目標だ。

「ガールズグランプリ出場が目標です。デビュー前に夫とも話をして、グランプリに出ることを一つの区切りだと思っています。夫は家事も手伝ってくれるし、サポートもしてくれています」

 社会人経験を経て、大きな挑戦を選んだ大浦彩瑛。その選択に後悔はみじんもない。

「競輪選手になってよかったと思っています。収入面で余裕が出てたこともですし、なにより毎日楽しい。レースに行けば勝負ができる。刺激のある生活ですね」

 師匠も認める根性の持ち主で、勝負師の一面を持つ大浦にとって、ガールズケイリンは天職なのかもしれない。

「まだまだ自分には伸びしろがあると思っています。まだ自転車にうまく乗れているという感じはありません。感覚頼りで漕いでいる部分があるので、これから頭と体が一致してくれば」

 師匠の福田知也も昨年10月の川崎でGIIIを優勝と競走得点は上昇中。師弟揃ってGIの舞台で活躍する日は近そうだ。

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すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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