2023/06/03 (土) 20:45 60
神山雄一郎選手が、函館競輪場で900勝の偉業を達成した。
普通、“記録に残る男”か、“記憶に残る男”かに選別されるが、神山選手の場合、両方を兼ね備えている。いつしかレジェンドと呼ばれる男になったが、改めて、その足跡をたどる必要はないだろう。
僕が記者を始めて30年は経つが、神山選手がGIを獲れず苦しんでいる姿は目の当たりにしていない。『赤城スポーツ』と言う弱小専門紙におり、先輩が取材の最前線に立っていて、今と違い、ビッグレースの取材は年に数える程だった。当然、地元宇都宮で行われた全日本選抜での“幻のガッツポーズ”は生で見ていない(優勝は海田和裕で雨の海田と当時呼ばれていた)。全盛時は超一流の戦術眼がある自在選手だったが、後に、マーク選手としても大成している。
とにかく、取材していて「調子が悪い」「腰が痛い」「直前に風邪を引いた」とか、一度も聞いた事がない。ネガティブな発言はなく、かと言って、自分を隠している訳でもない。人間・神山雄一郎だが、僕の中では村上義弘選手と共に、“天上人”であるから、論じてはいけないと思っていた。
取材をしていて、数少ないピリッと背筋が伸びる選手だが、それでも毒舌記者としては、時に失礼な質問もした。それにもジョークを交えて、真摯に答えてくれている。レース後に感情を荒げている姿も見た事がないし、人の悪口も聞いた事がない。はっきりしたレースは覚えていないが、木暮安由が関東の一番前。確か平原康多や武田豊樹もいて神山雄一郎は4番手か5番手。それでいて木暮安由が、発進しなかった時は「苦笑い」を浮かべていた姿が印象に残る。
近年、往年の走りが出来なくなり、900勝にリーチが掛かってからも足踏みが続いた。そこで自虐ネタも出る様になり、そこも老いてからの人間の味わいかもしれない。GIの大舞台と同じ様に、F1の負け戦でも一喜一憂して、同じモチベーションで走る。億を稼いだ選手が、10万円の賞金でも、悩み苦しむ。日本全国の有名な練習場所に、1人で現れて、もがいていたとか、逸話はいっぱいある。グランプリは獲れず、万年2着の成績だったが、そこも判官贔屓で、日本人の精神に合い、愛される理由かもしれない。
これから、どんな競輪人生を送るか分からないが、ボロボロの姿になっても走り続けて、後輩達にも背中で魅せて欲しい。競輪界の唯一無二の“人間国宝”である神山雄一郎選手をこれからも応援したい。改めて、900勝達成、おめでとうございます!
町田洋一
Machida Yoichi
基本は闘うフリーの記者。イー新聞総合プロデューサー、アオケイ・企画開発パブリストの肩書きも持つ。自称グルメでお酒をこよなく愛す。毒のある呟きをモットーにして、深夜の戯言も好評を得ている。50代独身で80代の母親と二人暮らし。実態はギャンブルにやられ、心がすさみ、やさぐれている哀しき中年男である。