2020/12/15 (火) 13:57 8
本日から『夜王』こと近藤龍徳選手の連載(月1回)がスタートになります。 固定概念に縛られず、“自分らしく”我が道を進む近藤選手。これからnetkeirinではどんなことを語ってくれるのでしょうか? スーパースターになる男のスーパーコラム! これを読めば、競輪がさらに面白くなるはずです。
愛知の近藤龍徳です。今月から『netkeirin』で連載をさせていただくことになりました。俺はずっと「競輪を盛り上げたい」という想いを持っていて、今回連載の話をいただきました。競輪を知っている人、まだ良く知らない人。俺のことを知っている人、知らない人。いろいろな人がいると思うけど、楽しんでもらえるように“俺らしく”書いていきます。
コラムのサブタイトルに”スーパースターになる男”ってあるけど、もうスーパースターじゃないかって? いやいや、競輪を知らない人に『競輪といえば近藤龍徳』と言われる存在こそがスーパースターだと思うので、そこまでいってやろうと。
目立つファッションやライフスタイル(チャラい?)をしているのも、そのため。強い選手は走りで魅せられるけど、俺はまだ弱いから(笑)。でも自分なりのやり方で、競輪が盛り上げるように、注目してもらえるように行動したいんだ。
直近のビッグレースでは3年ぶりに競輪祭に出場したけど、ナイターになってからは初めて。あらためて、レベルが上がっていることに驚いた。グランプリがかかっていると、みんなこんなにも強いのかと。
今は追い込みでもタテ脚がないと戦いが厳しい競輪になってきているのかな。佐藤慎太郎さんとか、今回決勝3着の稲川翔さんとか見ていてかっこいいと思ったし、勉強になった。
自分は二次予選までいったけど、正直何もなかった……、という感じ。何も残せないまま今年のグランプリを目指す戦いは終わったけど、最後にチャンスがあるGIを走れたのはよかった。でも、その失格になったオールスターの準決勝が、自分にとっての今年1番のベストレースだったようにも思う。最終バック9番手からで、俺、こんな突っ込み方ができるんだっていう感覚。これができるんだったらGIだって取れるんじゃないかって思うくらい手応えがあった。野球で言うなら、最高の球を投げて、ホームランを打たれたような感じ。
失格でお客さんには迷惑をかけたけど、山内卓也さんから「その判断力はお前の武器だ」という言葉をもらって、手応えが確信に変わった。選ばれて参加して、目立つ走りができて、紙一重で3着失格……、まあ、俺らしさはある(笑)。
オールスター後、9月の向日町記念は、体調を崩したこともあって、練習もできていなかった。その時はマスコミにも調子悪いって言っていた。俺は悪い時は正直に言うことにしている。ウソをつきたくないから。
でも、仕上がっていたオールスターが失格で終わり、練習もできていない向日町が決勝2着とは。ここで結果が出るのかって、競輪が分からなくなった。来年は1班に戻るし、気持ちも体調も整えて頑張っていきたい。
競輪祭は、先輩の深谷知広さんが愛知の選手として戦う最後のGIになった。金子貴志さんとの師弟ワンツーはみんなも感動したと思うけど、自分はデビューした時から深谷さんの番手を回るのは俺だって、常にぶち上げてきた。ビッグマウスと言われたりしたけど、それが俺のスタイルだから。
深谷さんがいて、この人に付いていければGIが取れると思っていた。タイトルホルダーが力のあるうちに移籍することって、なかなかない。まして地区が変わるんだから。俺がデビューした時の愛知は、走りで魅せる吉田敏洋さんと、精神的支柱の山内卓也さんがGIでバリバリ活躍していた。深谷さんと俺もそういう関係になりたいと思っていた。ただ、深谷さんの移籍でどうなるのかな……。
俺も来年30歳だけど、GIに行くとまだ俺が一番下。なかなか愛知の若手が育っていない(敏洋さんが怖すぎるせいかな!) 。愛知には強くなるための条件を知っている先輩がたくさんいる。次は俺が伝えていく立場にならないといけないよな。俺が知っていることは何でも教えられる。さあ、どうする!? 次は俺たちの番だぞ。
覚悟の価値は決めてくれ
たとえば平原康多さんなら、100人中99人が好きだと思う。俺はたぶんその逆だ。それは別に構わない。そういう生き方・魅せ方でやってきたから。
でも俺を好きだと言ってくれる1人がいるのなら、その声はちゃんと届いているし、力になっている。俺を嫌いな99人も、まだ俺の事を知らない人も、近藤龍徳の走りを見てください。そして俺の覚悟の価値を決めてくれ。
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近藤龍徳
Kondo Tatunori
愛知県名古屋市出身。日本競輪学校101期卒。競輪一家に生まれ、競輪一家に育つ。学生時代から頭角を現し、高校総体チームスプリント・高校選抜ケイリンで優勝。レースデビューは2012年7月10日の一宮競輪場で、翌日11日に初勝利。その後も活躍を続け、2014年ヤンググランプリを制し、翌年にはサマーナイトフェスティバルで頂点に立つ。自身が目立つことで競輪界を盛り上げると公言しており、最終目標は「スーパースター」としている。ファンからは”夜王”の愛称で親しまれ、競輪の魅力を発信しながら交流を深めている。