2022/04/01 (金) 18:00 6
netkeirinをご覧の皆さま、近藤龍徳です。3月初旬に地元の名古屋記念「金鯱賞争奪戦(GIII)」、その後は四日市で「スピチャン杯 スポーツ報知賞(FI)」、岸和田で「サテライト大阪カップ(FI)」を走ってきました。今回はレースを振り返りながら、オレの考えも書いていきます。近況報告になればいいな。
名古屋記念は地元なのに感触が良くないまま入ることになってしまった。どうにもこうにもならんから、気分を変えるため、暖かい沖縄へ。「とりあえず100kmくらいロード行くか」とあてもなく走ったり、パンクしてやる気なくしてみたり。とにかく空回りの日々を過ごしてました。冗談抜きで何にも手につかないって状態。近藤龍徳、人生何度目かの“ほっといてくれ期”の到来(笑)。読者のみなさんはそんな時ってありません?
地元記念に行く前は「これで戦えるのか?」って気持ちだった。でもなんとか準決勝までは行くことができた。もちろん地の利があるし、番組だってある。いわゆる選手がよく言う“恵まれました”ってヤツ。4日間ずっと手応えを探しながらのレースになったけど、“ほっといてくれ期”の出口が微かに見えるような悪くない感覚は感じられた。
準決勝を振り返れば、裕友や眞杉君もいて、厳しい戦いだった。GIIIの準決勝だけあって相手も強烈。自分のできる限りのことはしたけど、強い相手に対して、現状のオレじゃここまで。オレがもう1車でも前を引っかけれてたら。裕友に掬われないように内を締めれてたら。あえて“たられば”を並べてみたが、自分の都合いいようにならどんだけでもいけちゃうんで、ハイここまで。
地元戦が終わり四日市ナイターへ。ここでは準決勝6着。中部地区3人がそれぞれバラバラに戦うことを選択。とりあえず前を取ってから動きを見ていくことにしたが、レースがなかなか動かなかった。残り1周で動き出した時には、何もできず。無策が功を奏することもあるのが競輪。今回の無策は無策過ぎたで終わった。何がしたかったのか伝わらないレースになってしまった。
ただ初日、あのコースはオレの十八番。最終日はトシの捲りにマークして2着。シリーズ通して、思うよりも動けた。「何ともならん」ってところからは脱せたかな。
競輪選手は“着”をシビアに見られる。自分自身、着だけを見て判断して「調子の悪さ」を頭に刷り込んでしまうようなところもある。「調子いい・悪い」って言うけど、そもそも“調子”って何だろうな(笑)。感じが良くても着が悪いこともあるし、その逆もある。
結果っていうものに向き合えば向き合うほど理不尽に思えてくる。確かなのは『脚力はすぐ落ちるけど、テクニックは簡単に錆びない』ってこと。これに気が付いたのは沈んでるオレ。こんな時にしか見えないものがあるんだなと思うとやっぱ理不尽だよなあ(笑)。
とはいえ、FI戦でも予選敗退が続いている現状。9月に地元名古屋で「共同通信社杯」が開催される。それに出場するためにはFI優勝が絶対条件。今のままじゃ無理だ。現状を受け止めてやるしかない。
名古屋は藤井侑吾君とかこれからの若手がいる。いつだったか先輩から「乗っかっていくのが大事」って言葉を聞いたけど、今その意味がよく分かる。若手の上を目指す熱量と同じ熱量でやらないと置いてかれちゃう。何とか乗っていこう、“これから”の気流に。
最近思うけど、歳を重ねるごとに、自分に言い訳するのがうまくなってる。そんな大人にはなりたくないと思ってたんだけど。
若い時にトントン拍子で結果が出て、その頃を振り返れば“何も考えずに”その位置にいた。そういう過去の自分にまとわりつかれる時もあるけど。ただオレは自分の過去を否定しない。名古屋記念が終わってからは良い方角に気持ちが向いている。ダービーまであっという間だ。ここで負のスパイラルを断つ。早く笑って「お待たせしました」って言いたいね。変わらず応援してくれる人達に。
空からは地上に咲く一輪の花が見えない
この場所からは見えないだけ。死角もひとつの景色に変えてやれ。
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Kondo Tatunori
愛知県名古屋市出身。日本競輪学校101期卒。競輪一家に生まれ、競輪一家に育つ。学生時代から頭角を現し、高校総体チームスプリント・高校選抜ケイリンで優勝。レースデビューは2012年7月10日の一宮競輪場で、翌日11日に初勝利。その後も活躍を続け、2014年ヤンググランプリを制し、翌年にはサマーナイトフェスティバルで頂点に立つ。自身が目立つことで競輪界を盛り上げると公言しており、最終目標は「スーパースター」としている。ファンからは”夜王”の愛称で親しまれ、競輪の魅力を発信しながら交流を深めている。