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近藤龍徳の大いなる野望 〜スーパースターになる男〜

【尾張の龍・原点回顧】理屈じゃない! 最後の1ミリのために投げたいハンドルがある

2022/09/17 (土) 18:00 24

 netkeirinをご覧のみなさん、近藤龍徳です。前回コラムから間が空き、追加も含めてレースが続いていますが、結果はまだまだという感じ。今のこの季節は「着」が悪いレースでも手応えを感じながら走れているので、レースには気持ちを入れて臨めています。

 オレの気持ちのバロメーターである「欲しい!」と思ったらすぐ行動の『購買“勝”動』は相変らず絶好調(笑)。モチベーションもすごく高い。9月も10月も気持ち入れて向かうのみ!※ハーレーの進捗報告を書く前にアレなんだけど、原チャリ欲しくなって乗ってます(笑)。

HONDA・DIOタツノリエディションで練習へ(写真:近藤龍徳instgramより)

20年近く投げているもの

 いつだったかコラムの読者から「ゴール前のハンドル投げって効果あるの?」って質問が届いていた。オレはハンドル投げが好きで、レースでもよくやるからかな。ハンドル投げ効果のアリorナシについては現役選手の間でも色々な意見がある。野球で「一塁は駆け抜けた方が早いか? ヘッドスライディングした方が早いか?」って論争があるような感じ。オレの意見としては「タイムを出す」のが目的ならハンドルは投げない方がいいのかな、と思う。リスクもあるしね。

 リスクの一つとして、ハンドル投げは『タメて押し出す』からサドルからケツが瞬間的に後ろにスライドする。1回レースでケツがサドルから落ちたこともあったな(笑)。「効果があるかわからない、なおかつリスクもある」のに何でやるのか? ゴール前横目に見える相手より1/8輪でもタイヤの厚み分でも前に押し出す。最後のわずかな“ひと伸び”を求めてオレは投げてる。

 ハンドル投げは一種の技。競輪のレースではサブのサブくらいのテク。だけど普段から意識して練習してないと絶対にできない。オレは練習でも毎回投げている。ちなみにハンドル投げの代名詞といえば小倉竜二さん。実はオレのハンドル投げのルーツもオグリューに他ならない。オグリューに憧れてやるようになった。かれこれもう20年近く投げてることになる。

小学生時代に小倉竜二選手に憧れ、中学時代にはサインを入手(写真:本人提供)

ハンドル投げの代名詞・小倉竜二選手(撮影:島尻譲)

小さい頃に魅了された小倉“選手”のハンドル投げ

 小学生の時テレビで「競輪祭」を見てた。ゴール前で思いっきりハンドルを押し出して優勝したのが小倉選手だった。完全に魅了された。父に「あれはハンドル投げって言うんだよ」と教えてもらった。その競輪祭の次の日からは友達と遊んでいる時もママチャリでハンドルを投げるようになった。ママチャリから始めたハンドル投げは、今はプロとして投げてる。

「サマーナイトフェスティバル」を獲った時もハンドルを投げた。あの時のハンドル投げは「確信投げ」。横に誰もいないのがわかってても投げるガッツポーズの助走。競輪選手の走りにはそれぞれのスタイルやこだわり、ルーツがある。ハンドル投げに限らず。自分だけの『なんとなく好きなポイント』を見つけてレースを見ると競輪もっとオモロいよ!

近藤龍徳の十八番「確信投げ」(撮影:村越希世子)

将来やりたいことなんてなかった

 小学生時代の話をしたので、今回のコラムは「自分のルーツ」を掘り下げていく回にしよう。中学3年の頃、将来の夢もないし特にやりたいこともない。行きたい高校ももちろんない。

 そんな中、3つ上の兄が岐阜第一高校自転車部にいて、インターハイに出たりしていた。特に行きたい高校もなかったオレは「兄ちゃんすげー! 全国かっけー!」って軽い感じで、オレも岐阜第一高校に行き自転車部に入ることにした。

 高校の自転車部での3年間ではそこそこの成績を残せたのかな。高校3年の時、高校の先輩の永井清史さんと走る機会があった。高校生、大学生、アマチュア、プロが出場する大会だったけど大会名は忘れた。その大会の決勝で永井さんをマークした。普通にぶっちぎれたし「あっプロ無理かも」と心は折れかけた。

 その後日本競輪学校を受験した。しかし不合格! これは恥ずい。ここで折れかけだった心はボッキリと折れた(笑)。オレはあっさり別の道を目指すことにした。しがみつく理由もなかったし、かなり簡単に自転車から離れたんだ。

 それからの2年間はアルバイトをしながら塾で勉強したり、ボクシングジムで体力作りをして、別の道を目指していたけど、結果その道もうまくいかなかった。

身体能力を活かせる場を競輪以外の分野で探した(撮影:島尻譲)

遠回りは今に活きる“スパイス”

 ある日、母校が合宿で名古屋競輪場に来ると聞き、監督に挨拶に行くためにその日競輪場に顔を出した。当然もう自転車には乗ってないから合宿参加者ではなかったわけだけど「タツ、1000TTやれ!」と監督に強制的にやらされた。

 自転車から2年は離れていたけどタイムは1分13秒くらいが出たと思う。このことがきっかけで競輪選手をもう一度目指してみようとなった。フラフラしていたオレを恩師がもう一度この道に引っ張り戻してくれたんだと思う。それが今の道に繋がっている。

 ウチは競輪一家だから、それを知っている人からは「最初からストレートに競輪選手を目指して、競輪選手になった」と思われがち。でも違う。学生が終わった後の2年間、そこにオレなりの遠回りがある。遠回りというか、そもそも別の道を目指してたわけだしな。

 だから「夢だった競輪選手になれました!」って感じではない。競輪が身近にあったのは間違いないけど「夢を叶えた!」ってのは違う。でも自転車から離れていた2年間、社会に出ていろんなものを見たことで、いろんなものを知った。振り返るとアマチュアの“メーカーもん”から即競輪選手になれていたら、自転車しか知らない人間になっていたんじゃないかって思う。

 あの2年こそ、生きていく上ですごくいい経験だったなとしみじみ思う。

遠回りをして自転車に乗っている(写真:近藤龍徳instgramより)

9月も10月も楽しんでやらせてもらいます

 今月はルーツについて書いてきたけど、さいごにこれからの意気込みを少々。次のあっせんは向日町記念平安賞。一昨年は準優勝しているイメージの良い大会だ。今の状態は良い。あとは上手く噛み合うかどうか、展開が向くかどうかで結果は変わるけど、自分は楽しみでしかない。なんとか勝利をもぎ取りたい。

 それじゃ今月はこの辺で!

楽しむことに集中し結果を引き寄せる(撮影:島尻譲)

今月の近藤龍徳語録!!

たまたま見つけた近道は、遠回りした少し先にある

 決まってた道なんて何一つない。遠回りして人より長く歩いた道だろう。胸張って進め。もうちょっとだけ、先だ。その道が自分だけのショートカットになる。


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近藤龍徳の大いなる野望 〜スーパースターになる男〜

近藤龍徳

Kondo Tatunori

愛知県名古屋市出身。日本競輪学校101期卒。競輪一家に生まれ、競輪一家に育つ。学生時代から頭角を現し、高校総体チームスプリント・高校選抜ケイリンで優勝。レースデビューは2012年7月10日の一宮競輪場で、翌日11日に初勝利。その後も活躍を続け、2014年ヤンググランプリを制し、翌年にはサマーナイトフェスティバルで頂点に立つ。自身が目立つことで競輪界を盛り上げると公言しており、最終目標は「スーパースター」としている。ファンからは”夜王”の愛称で親しまれ、競輪の魅力を発信しながら交流を深めている。

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