2023/03/04 (土) 12:00 40
2023年最初のGI「第38回全日本選抜競輪」に出走した脇本雄太は、持病に襲われつつも決勝で先行して4着。古性優作が近畿ラインの力で優勝と、シリーズを支配した。豊橋記念からぶり返した痛みとの戦いはどうなのか。また太田海也の「ネーションズカップ第1戦」男子スプリントで銀メダル獲得をどう見ているのか。ワッキー自身のナショナルチーム時代の苦労話や、必要なものを回顧した。(取材・構成:netkeirin編集部)
高知競輪場で2月26日に最終日を行った「第38回全日本選抜競輪」の決勝戦は「やるべきことはやった、という感じです」と振り返る。「新田(祐大)さんとの2分戦はやりにっかった〜」と悶えながらも、近畿の強さを見せつけた。
「古性君もケガに悩まされていたし、やってきたことがつながったんだと思います。自分もまた調子を戻して、ラインで決められるようにと思います」
今、ワッキーの体はどうなっているのか。明らかな異変は「豊橋記念の準決の後ですね」と振り返る。翌日の決勝は前受けから逃げて、そのまま押し切った。しかし「腰痛が出ていて弱気な部分もありつつ、でした。突っ張りも考えて…と待っていたら来なくて。そんなにみんなにプレッシャーをかけるつもりはなかったんですけど…」というのが本音だ。
今や“魔王”とすら呼ばれ、恐れられる強さを誇る。戦う前から、他の選手への圧力がある。
実際には「僕のケガには2パターンあって、ナショナル時代に無理してなったヘルニアと、五輪後に無理して起きた腸骨の骨折があるんです」という深刻な状態だ。奈良記念の初日には「ヘルニアの方が来た」とレースを終えてからの欠場を余儀なくされた。
全日本選抜も不安があった。まくり追い込みで上がりタイム13秒6で勝利という初日を終えると「結構、痛かった」。2日目のスタールビー賞では「自分がどんな状態にあるんだろうと思いながら走った」。壊れそうな体と相談しながら、何ができるのかを模索していた。9着大敗。だが、敗戦の中ではい上がる道を模索していた。
「シッティングで全力の踏み込みができないとわかったんです。スタンディングだと大丈夫という感じ。今節どう戦うかの示唆はあった」
準決と決勝は長い距離を臆さず踏んだ。ラインを生かし、ラインでの勝利を得た。強気、に見えた。「いや、弱気だからこそ、長い距離を踏むっていう感じでした」と明かす。リアルに「不発が怖くなっていた」。だからこそーー。
「古性君ならなんとかしてくれるっていうのがあった。弱気を事実ととらえ、考えると、言い方は難しいけど頼みにした、ってこと。お互いに信頼してますし、その辺りは汲み取ってくれていると思う」
深い関係性をさらに進化させる2人。気になる古性が前のパターンという話も、今年は出ていた。あるの? 「対戦相手の構成で、古性君が前の方が持ち味が出る時、は後ろでいいと思う」。ある程度、明確に意識しているものがある。さらには「発進しなくてもいい先行選手がいた時に、番手が古性君、僕が3番手、もある。いっときの村上(義弘)さんの形ですね」という。
すべては「ラインで決める、ということを考えた時に」が発想の原点になる。ただ、「近畿にそういう先行選手も出てきてないし、今はその時じゃないかな。自分も後ろを回る準備をしている段階だし」が現実的な分析だ。
2月、インドネシアのジャカルタで「ネーションズカップ第1戦」が行われた。2024年パリ五輪に向けて、本格的に世界各国が動き出した。最大の驚きは太田海也の男子スプリント銀メダル獲得だろう。「すごいと思う。まず決勝に勝ち上がったことが快挙!」と手放しで喜んだ。
スプリントで大事なのは予選のハロンと呼ばれる200メートルフライングダッシュタイムトライアル。この数字が肝だ。「海也は持ちタイムを自分でフルに生かしている」。まだ自転車を初めて日は浅い。が、一緒だったころに感じていたことがある。
「躊躇のない走りをするな〜と思ってました。距離が長くなると、まだ早い、と思ったりするんですがそれがない。深谷(知広)君がスプリントで銀メダルを取ったころは、経験と自分の脚力を全部理解して走っていた。深谷君とはまた違った感じですね」
躍動する力に感心しつつ、あのころを思い出す。「ネーションズカップをインドネシアでやるっていうのも過酷なイメージですが、きつかったのは真夏のオーストラリアかな。あそこは基本的に空調がない」と苦笑いを浮かべる。世界を渡り歩き、結果を残さないといけない。戦いはバンクの外にもある。
「シドニー以外は整っていなくて、熱い時期なんかは熱中症になるんですよ。天井に扇風機があって、風がありますし。タテに来る風があって上バンクに行くのが怖かったですもん」
海外遠征にはつきものの長距離移動もある。「乗り換えが大変なのはぶっちぎりでチリ。僕がワールドカップで優勝したところですけど」。さらには会場とホテルの距離も重要だという。会場によってバラバラで「バス移動か、自分で自転車で移動か、ですね。どっちがいい? 完全に自転車です!」という。
「シャトルバスが30分間隔であったりするんですが、乗れないこともある。自分で時間の自由さを持てるのが大きいんです」
1日に何本も走るのが自転車競技ではよくある。例えば「ケイリンでレースの間が3時間空くとかもあります。その3時間の間にホテルで休めるかどうか。帰れずにドームの中で待たないといけないこともあるし、他の競技もやっているから居場所もそんなにない…」。インフィールドに缶詰めにされ「他の競技もどうしても見ちゃう。精神が落ち着かない」というリスクがあったという。
そんな海外での戦いに順応できたのは、なぜかーー。「偏屈だから!」と一笑に付す。フランスは「気候も良かったし、施設も充実していた。移動も良かった。食べ物も不自由しなかった」というが、他の地域ではそうもいかない。「イギリスはね、おいしくないんですよ。まずいわけじゃないけど、味がない。絶対に調味料を持って行ってました」と対策が必要だった。
「イギリスは大体オリーブオイルかバルサミコで単調になる。だからドレッシングは絶対必要。あと、醤油。醤油があれば、なんとかなる」
この対策への意識が“偏屈”だからこそ、瞬時にできた。まず「自分でリラックスできる環境をつくらないといけない。僕は外に出歩く方じゃないので、ホテルの部屋の環境を整えた」。頑強な自分を持つワッキー。自分の空間へのこだわりが強いため、海外に行ってもその空間作りに長けていたのだ。
とはいえ、それだけでは完璧ではない。サポートの重要さを痛いほど知っている。「競技だけに集中できることは本当に大事なんです」。ある時、というかインドネシアで痛い思いをしたという。
「腹を壊した、っていうか盲腸になったんです。ワハハ。日本から来たドクターがいたから助かったんですけど、代わりに新田さんに走ってもらったな〜。あれは、ヤバかった」
こうした緊急時もあるが、日常的に「メカニックやマッサージをしてくれる人、ドクターもそうですし」とサポート体制があることは必須だという。
そして日本人ならではの課題があったと振り返る。「時間、です」。レースが始まる時間の管理が、競技では求められる。
「日本の競輪だと16時30分発走、とか決まっているでしょう。管理されることに慣れ過ぎているんです。アップの時間は何分とか、細かく決めている選手もいますし。それが競技だと、落車で何分遅れるとか、ちょっと早くなるとかが平気である。そういう時間の管理をするのがヘッドコーチなんですが、ブノワはすごくマメで完璧でした。全選手の時間を把握して、あと何分だとか伝えてくれた。朝食の時間とかも教えてくれた」
もし自分で時間の管理に気を配っていたら、「焦る。コーチがやってくれたら焦らなくていいし精神的にすごく楽」。ブノワの「何かが起きた時に対処する能力が高い」というサポートに支えられた。
もはや懐かしむほどの自転車競技だが、5月に開催される「全日本トラック」に出場する予定だ。「ケイリンに出るつもりです。まあ、いい刺激をもらえれば、って感じですけどね。立ち位置としてはもうアドバイザーみたいなもんなんで」。自転車競技の一線を退いたとはいえ、レジェンドの走りを、伊豆で見られるかもしれない。
脇本雄太
Yuta Wakimoto
脇本雄太(わきもとゆうた)。1989年福井県福井市生まれ、日本競輪学校94期卒。競輪では特別競輪9勝、20年最優秀選手賞を受賞。自転車競技ではリオ、東京と2度オリンピック出場、20年世界選手権銀メダル獲得。ナショナルチームで鍛えられた世界レベルの脚力とメンタルは競輪ファンからの信頼も厚く、他の競輪選手たちに大きな刺激を与えている。プライベートではゲーム・コーヒー・麻雀など多彩な趣味の持ち主。愛称は”ワッキー”。