アプリ限定 2023/01/22 (日) 16:00 145
1月のクローズアップは12月末の代謝制度で競輪界を去ることとなったガールズケイリン120期生・濱野咲、堀田萌那、堀井美咲の3名。夢と希望を抱きガールズケイリン界へ飛び込んだルーキー三人を待ち受けていたのはストレート代謝という厳しい現実だった。三人の心境そしてこれからについて松本直記者がインタビューを交えお届けします。最後には同期からの惜別メッセージも。
東京都新宿区出身で、体を動かすことが大好きだった濱野咲。小学3年生から始めたバスケットボールは中学まで続けたが、高校では野球部のマネージャーを志願し、プレーヤーから裏方へ回った。
「2つ上の兄が野球をしていて、兄が通っていた高校の野球部の方に誘われてマネージャーになりました。将来は体を動かす仕事をしたかったし、マネージャーをやることも経験になると思ったので引き受けました。マネージャー業務は大変でした。毎日泥だらけになったけどとてもやりがいのある仕事でした」
ガールズケイリンとの最初の出会いは高校のスキー合宿。濱野がいるグループに付いたインストラクターが荒井春樹(引退・長野・99期)だったのだ。濱野の母が競輪関係の仕事をしていることもあり、荒井の応援で競輪場へ行くと濱野の気持ちに変化が芽生えた。
「荒井さんの応援に競輪場へ行って、生の競輪を見たら格好良かった。家に帰ってすぐ、母に“競輪選手になりたい”と伝えました。担任も元担任も競輪選手とつながりがあって、話がスムーズに進んでいった。ガールズサマーキャンプにも参加して、競輪を本当にやってみたいと思えた」
試験は適性で受験し、1回目の挑戦で合格。高卒現役組で養成所入学を果たした。120期には吉川美穂、山口真未と自転車競技経験者も多く、練習は付いていくだけで必死だったそうだ。養成所での在所成績は18位。デビューに向けて不安しかなかったがデビュー戦は待ってくれない。
2021年5月、ルーキーシリーズ初戦の静岡でデビュー戦だったが、注目されたのはレースの成績ではなく愛らしいルックス。戸惑いの気持ちがあったという。
「デビュー戦はネットで取りあげてもらったけど成績が悪かったし、つらかったですね」
本デビューは7月の知り合いも多く駆けつけた地元京王閣。好スタートとは行かなかったが、12月の取手で初めて予選で車券に貢献(予選1で3着)し、光が見えたかに思えた。
「取手は悔しかったですね。レースに少し慣れてきて初日は車券に絡むことができた。最終日の一般戦も高木佑真さんに付いていければ2着があったかもしれないのに、判断ミスで佑真さんに接触して落車。過失失格でした。本当に悔しかった」
翌2022年も状況はなかなか変わらなかったが、そんな濱野に救いの手をさしのべたのがガールズグランプリ10年連続出場の石井寛子だった。
「デビューから1年たった頃でした。まさか寛子さんから声をかけてもらえると思っていなかったので嬉しかったです。5月の弥彦で落車をしてもうダメかなと思ったけど、せっかく寛子さんが声をかけてくれたんだし、やれるだけやってみようと」
休む時間もなく石井寛子と練習に明け暮れた。濱野にとってはハードな練習だったが、“クビになりたくない”一心で打ち込んだ。だが、時間が足りなかった。代謝の対象から抜け出すことはできず、1年半で選手生活にピリオドを打つことになってしまった。
ラストランの2022年12月立川は同期の多い開催。苦楽を共にした仲間と最後まで一生懸命駆け抜けたが、駆けつけてくれた大勢のファンに濱野は心揺さぶられた。
「ラストランで結果を出すことはできなかったけど、お客さんの声援が多くてうれしかった。ガールズケイリンの選手になって本当によかったと思いました」とファンへの感謝を口にした。
今後については「少しゆっくりしていろいろ考えたいですね」と未定の様子。「車券を買える立場になるし、競輪場へ同期の応援にいきたいですね」と同期の応援をするつもりだ。
北海道札幌市の出身堀田萌那は妹と2人姉妹の長女として育った。小学生のころに始めた水泳を中学までやっていたが、高校進学は自転車競技部のある北海道科学大学高等学校を選んだ。
「アニメの『弱虫ペダル』にハマって、自転車を始めたかったんです。札幌市内で自転車競技部があるのが北海道科学大学高しかなかったし、いとこが卒業生でいたので進学しました」
合宿で函館競輪場に行くことや、JKAが主催するガールズサマーキャンプに参加することで、ガールズケイリン選手への憧れは強くなっていった。
「バンクを走ることが楽しかった。バンク練習だとタイムが出て、タイムが縮まっていくことをやりがいに感じて、ガールズケイリンを目指してみようと思いました」
高校卒業後は親元を離れて、函館競輪で行われている『ホワイトガールズプロジェクト』に参加して選手を目指すと決めた。
浪人時代は『ホワイトガールズプロジェクト』の練習に打ち込み、1回目の挑戦で養成所120期として合格した。練習仲間の蛯原杏奈と同時に合格したこともうれしかったそうだ。
養成所生活はコロナ禍で大変だったが「本を読むことが好きだったので外出できないことが苦にはならなかった」と振り返る。
堀田にとって不運だったのは卒業記念前の訓練で落車をしてしまったこと。落車以降、堀田が得意にしていた追走が理想通りにできなくなってしまった。
デビュー戦の5月静岡が6、6、5着。デビュー2戦目の同月名古屋で7、7、3着、本デビューのいわき平でも6、6着。最終日はレースカットにより強制帰郷と波に乗ることができなかった。その後も先輩たちとのレースになかなか対応できず、大きな着を叩く状況から抜け出すことはできなかった。
「養成所と実戦のレースは全く違いました。同期だけで走るのと先輩と走るのは別物だった。卒業記念前の落車で追走がうまくできなくなってしまって、レースに対応できなかった。練習は伊藤のぞみさんや同期の蛯原杏奈さんや、北海道の選手とやっていたけど、結果を出すことができず悔しかった」
2022年12月、ラスト開催となった玉野も7、7着。最終日一般戦は当日欠場の選手が出た影響でレースカット。ラストランはできなかったが後悔はしていない。
「ガールズケイリンの選手になれて良い経験ができました。普通の人ではできない経験をすることができたので。学生時代は人と関わることが苦手だったけど、ガールズケイリンに挑戦して少し克服できたと思う。本当に良かったと思います」
広島県広島市出身の堀井美咲。競輪場のそばに自宅があり、母が日本競輪選手会広島支部の事務員をしていたこともあり、母親について行き競輪場に出入りした思い出があるそうだ。中学、高校とソフトテニスに打ち込み、私立福岡大学へ進学した。大学ではスカッシュを始め、好成績を残したが、大学卒業後はスポーツの道ではなく、地元広島に本社がある『株式会社イズミ』に就職することになった。
「大学時代を福岡で過ごしたこともあり、地元に帰りたかったんです。就職活動をしているとき、広島に本社がある会社に入れば地元に戻れると思ったんですが、配属先は福岡の久留米のゆめタウンでした」
中国、四国、九州ではメジャーなスーパーマーケットゆめタウン」での業務内容は総菜の陳列や調理。嫌いな仕事ではなかったが正月も仕事で休みも不定期。自分の時間が作れず将来への不安が芽生えてしまった。そんな時期に広島支部の事務員をしている母からのひと言に堀井の心が動いた。
「ガールズケイリンをやってみれば」
広島支部で久しぶりのガールズレーサー吉岡詩織(116期)誕生のタイミングと重なったこともあり、堀井の挑戦に迷いはなかった。
「大学を卒業してから運動は全くしていなかった。試し乗りでバンクに行ったけどビビりながら乗りました。周りの人もやってみればと声をかけてくれたのでガールズケイリン挑戦を決めました」
118期の試験にチャレンジするも2次試験で落ちてしまった。「2回までは試験を受けよう」と決めていたこともあり、120期で合格をすることだけを考えて浪人生活が始まった。そのタイミングで木村幸希(109期)に師事。吉本哲郎(84期)の練習グループに混ぜてもらい、養成所合格を目指した。社会人時代の貯金を切り崩しながら練習に打ち込み、120期で見事合格。夢のガールズケイリン選手へ一歩前進を果たした。
養成所はコロナ禍でもあり、ずっと一緒にいることが多く、同期の団結力は強かったと振り返った。
デビューは2021年5月の名古屋。3、5、5着と決勝進出こそ逃したが、「堀井、まあまあ戦えるね」と練習仲間からの評価も上々で、堀井自身も手応えをつかんだデビュー戦だった。デビュー2場所目の大宮では最終日の一般戦で初勝利も挙げ、順調な滑り出しを切ったかと思われた。しかしルーキーシリーズ3戦目の和歌山最終日に落車。鎖骨、ろっ骨、肺気胸の大けがを負って和歌山市内の病院で入院することになってしまった。
「和歌山の病院で入院しているときはつらかった。動けるようになる広島に戻って、練習に参加したけど走り方が変わってしまった。落車したことは覚えていないけど、体がビビってしまっていた。レースに復帰してからも前走者と車間が空いてしまうし、ずっとモヤモヤしていました」
9月の防府から戦列に復帰するも、落車をする前の感覚を取り戻すことはできなかった。2022年も苦しい戦いが続き、代謝争いから抜け出すことができず、12月名古屋でラストランとなってしまった。最後の名古屋では7、5、3着。最終日の一般戦で車券に貢献し、悔いなく選手生活を終えた。
「最後の名古屋は“こけてもいいから”ぐらいの気持ちで走りました。そうしたら最終日は3着に入れた。まあやれることはやれたので悔いはないですよ」と選手生活を振り返った。
今後に関しては「まずはゆっくりします。それからですね。広島競輪場は2月の開催が終わると施設整備が入って、2025年に再開する予定。綺麗な競輪場になるはずだし、ガールズケイリンの開催のときレースを見に行きたいですね」と話した。
飯田風音(埼玉)
「養成所からずっと一緒の仲間だったので寂しい、それだけです…」
川路遥香(埼玉)
「同期3人がストレートでの代謝は寂しい。咲とは所属地区が近いので会っていたんですけど、美咲さんとはルーキーシリーズ以来、斡旋の関係で一度も会えずじまいでした。萌那ぴょんも3回ぐらいしか会えなかったので、養成所で1年間一緒に練習してきたから寂しいです」
本多優(群馬)
「堀井さんは地区が遠くてほとんど一緒の開催がなかったですが、堀田さんはラストレースが中止になってしまって…そんなことあるのか…と。
私はさっぴー(濱野咲)と仲が良かったので、まだ一緒にやりたいなって気持ちもありました。養成所時代からも、卒業後もさっぴーがずっと練習頑張ってきたのを知っているので、すごく寂しいです」
西脇美唯奈(愛知)
「養成所の時からまさか120期3人がストレート代謝すると思っていなかったので残念な気持ちがあるのと、やっぱりもっと一緒に戦いたかったという思いがあります。
3人の中で言えば濱野咲と仲が良かったので、養成所時代も楽しかったし、咲って、場を和ましてくれたりとか面白いので。色んな相談に乗ってもらいました。3期目に入って途中クビなのがほぼ決定した時は、あと何回一緒に走れるんだろうかと考えました。(最後の開催となった立川)初日を一緒に走れたのは嬉しかったですし、ラストランも見届けることが出来たので、良かったのかなと思います」
山本さくら(愛知)
「養成所のとき、その3人(濱野咲、堀井美咲、堀田萌那)と同部屋でした。10ヶ月間一緒だったみんながいなくなって心細い気持ちになりましたが、みんなが頑張っていたのを知っているので…。ちょっと言葉がありません。
(堀井)美咲さんとは境遇が同じだったんです。私もルーキーシリーズでこけて骨折したんですね。美咲さんが入院仲間みたいな感じで「大丈夫ですか?」って連絡したところ「怪我したもの同士、言い訳はできないから頑張らないとね」って言ってくれて。養成所のときに喧嘩したことも、励まし合ったりもしてきましたし、境遇が同じだったゆえに、美咲さんがいなくなるのは本当に寂しい」
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。