アプリ限定 2021/03/24 (水) 18:00 44
日々熱い戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。このコラムではガールズ選手の素顔に迫り、競輪記者歴12年の松本直記者がその魅力を紹介していきます。
3月のピックアップ選手は“元グラビアアイドル”という異色の経歴を持つ「日野未来(ひの・みらい)選手」です。ガールズケイリンを目指したきっかけや競輪の魅力、現在の目標など盛りだくさんでお届けします。
日野未来は“グラビアアイドル”からガールズケイリン選手になった、という異色の経歴を持つ。ガールズケイリン全体を見渡すと、異業種から転身してプロになった選手は案外多い。しかし『アイドルからプロスポーツ選手へ』という大胆なキャリアチェンジは、各メディアから注目を集めたのは言うまでもない。
日野と競輪との出会いはグラビアアイドル時代までさかのぼる。当時のことを日野本人に聞くと「あるとき、千葉で競輪の仕事が入ったんです。それまで競馬やボートレース、パチンコにパチスロと、仕事でもプライベートでもギャンブルには熱中していた。でも競輪だけは見たこともなかったし、買ったこともなかった。でも生で見るやいなや、一気にハマりましたね。特にラインの結束力に感動したんです。先頭で駆ける人、番手で仕事をする人、3、4、5番手を固める人、それぞれの役割を果たしてゴールを目指す。他の公営競技にはない魅力がありました」と語る。
競輪を初めて見る人は、瞬時に競輪の魅力にハマる人とそうでない人がハッキリしているように思うが、日野は前者だったのだろう。競輪に取りつかれ、車券を買うことに熱中し、どっぷり競輪の沼にハマっていったらしい。
そんな日野がガールズケイリン選手を目指すきっかけは、奥井迪(39歳・東京=106期)の存在なくして語れないという。
「女の子が自転車に乗って速く走る。純粋にすごいと思いました。その中でも奥井さんが逃げ切るレースは衝撃的でしたね。選手になった今は先行のキツさを知っているから簡単には言えないけど、打鐘から先頭に立って、後ろの選手に何もさせず押し切る奥井さんのスタイルは、カッコ良かった。レースを観て感動しながら『私もガールズケイリンをやりたい。先行してみたい』っていうスイッチが入りました」と当時の気持ちを振り返った。
選手になると決めたはいいが、日野がスタート地点で抱えていた難題は数知れず。自転車競技未経験というより運動未経験。加えて、勉強も必要だった。日野は中学卒業後、高校に進学するも芸能活動を理由に退学していた。日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に入学するためには、まずは高校卒業認定試験をパスしなければならなかった。
朝から夕方まで自転車の練習に打ち込み、夜は勉強。資格を得るために頭の中にあらゆる情報を詰め込んだ。「競輪選手になるって決めてからは必死でした。自転車の練習よりも勉強がキツかった。何でもかんでも詰め込むだけ詰め込む方法だったので、今はもう何も覚えていません」と笑う。
苦労の甲斐が実り、日本競輪学校に入学したのは25歳。グラビアアイドルから競輪選手への転身という話題は、好機の目にさらされるなど、ツライ方向に作用することも多かったという。入学式直後の試走会では好成績を出し、期待枠のT教場(滝澤正光校長が直々に指導する)に入った。普通の練習以外にも早朝、夕方の乗り込みは当たり前。「本当につらかったですね。今となっては、あの頃の乗り込みが生きているんだけど、当時はそう思えなかった。T教場にいたメンバーで支え合っていましたね」。
周囲の期待はどんどん高まったが、集大成の卒業記念レースでは結果を残すことができなかった。デビュー前も不安しかなかったと言うが、プロデビューして日野のやりたいことは決まっていた。自分が憧れた奥井迪のように先行勝負。主導権を握ることに迷いはなかった。
しかし、そこはプロの世界。先輩選手の壁は厚かった。テクニック、レースの組み立てのうまさを見せつけられ、逃げてはまくられ、またあるときは逃げることさえも許されず、内に詰まってそのまま何もできないというレースも多々あった。
競輪選手には代謝制度がある。大敗ばかりを続けているとクビになってしまうのだ。周囲の期待と反比例するように日野は大敗するばかり。厳しい現実を突きつけられることとなった。
決勝に進めない…、そんなレースを続けているときにアドバイスをくれたのは尾崎睦(神奈川・108期)だった。
「尾崎さんとの出会いはデビューしてすぐの弥彦(2018年8月)。予選2日間、私が6レース、尾崎さんが7レースだったんです。私は初日、後ろからカマシ先行で6着。2日目が前受けから突っ張り先行で7着。でも尾崎さんは私と同じレースをして1着。しかも連勝したんですよ。そのときに尾崎さんからアドバイスをもらって、最終日に1着が取れました」その後、日野から尾崎にお礼の手紙を渡したことがきっかけとなり、以降親しい間柄になっていったという。
「でもそのあとすぐに静岡で落車、けがをしてしまいなかなか調子が上がらず、成績がドンドン悪くなったんです。地元奈良の2回目(2019年1月)を走ったとき、決勝に乗れなかったのがすごく悔しかった。その開催も尾崎さんと同じ開催。尾崎さんが『先行することも大事だけど、選手を続けることも大事』って話してくれました。練習にも誘ってくれたし、嬉しかったです。尾崎さんの師匠の渡辺秀明さんにもいろいろアドバイスをもらいました。尾崎さんの言葉がきっかけで戦法へのこだわりを変えたら、久しぶりに1着(2019年3月・豊橋)が取れて、決勝(2019年4月・大垣)にも初めて乗れたんです」と尾崎とのエピソードを教えてくれた。
また、女王・児玉碧衣もきっかけをくれた1人。2020年3月の久留米開催で、日野は7着3連発の大敗を喫した。最終バックも取れずの状況に落ち込んでいると、児玉と児玉の師匠・藤田剣次から声をかけてもらった。「久留米に残って練習する?」と。
日野は状況を打破するために久留米で練習を続けた。女王・児玉碧衣との練習は刺激しかなかった、という。また、日野が久留米に滞在している期間中、児玉は食事に至るまで面倒をみたのだとか。「碧衣ちゃんは毎日ご飯をごちそうしてくれたんです。優勝して、たくさん賞金を稼いで、今度は私がごちそうしたいって思ってます」と力を込めて語った。
昨年6月の福井で決勝に乗ると、以降も安定して決勝進出を続けている。今となっては誰から見ても”夢の初優勝”に手が届くところまで来ているだろう。
今年の日野は夢を現実のものにしたいと考えている。「やっぱり優勝したいですね。昨年は決勝に多く乗れた。チャンスはあったけど、なかなか決勝で勝ちきれなかった。最後の粘りを強化して、今年は優勝したい。デビューしたときは先行逃げ切りでの優勝にこだわっていたけど、今は優勝することを一番に置いています。車券を買ってくれているファンの人に貢献したい。自分もギャンブルをするからわかるんですけど、当たった時の嬉しさって、自分が1着を取ったときの嬉しさとイコールなんです。自分が勝つことでファンの人と嬉しさを共有できる。それ最高ですよね。今年こその気持ちで頑張りたいと思います」と抱負を語る。
さらには、初優勝が叶ったとき、日野にはやりたいことがあるという。「優勝賞金をそのままギャンブルに注ぎ込みたいんです。競馬でもボートレースでもいいから、優勝賞金をドーンと賭けたいと思ってます。その様子を動画で配信したら面白いですよね。ファンの人にも楽しんでもらえると思うし、ぜひやりたいです」と笑いながら壮大な計画を明かした。
中学時代は吹奏楽部。運動をすること自体が嫌いだった人間が、競輪に一目惚れして奮起、『買う側から賭けられる側へ』。レーススタイルの理想と現実のギャップに悩み、周囲の支えと自身の努力で苦しんだ時期を乗り越え、優勝を狙えるところまで這い上がってきた。今年こそ初優勝を決めて、元芸能人から『ガールズケイリンレーサー・日野未来』への進化を見せつけて欲しい。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。