2022/07/26 (火) 18:00 30
こんにちは、平原康多です。
宮杯の落車で負った右半身の打撲と擦過傷。特に擦過傷が酷く、帰り道の車中で痛み止めが切れた瞬間から悶絶でした…。それからサマーナイトまで1か月、急ピッチでケアと練習を繰り返したんですが、なかなか良い状態まで戻す事は出来なかったです。バランスが崩れてしまい左のペダルに全く力が入らず、右脚だけで走っている様な状況でした。
このあとは弥彦記念、オールスター(西武園)と、縁の地でのレースが続くので、今回はコラムの中身をガラッと変えて、自分が小さかったころの話を少し…。
中学2年まで、岩室(新潟県岩室町)という所で育ちました。田んぼだらけで自然がいっぱいなところです。
その後、狭山に引越したんですが、狭山の都会でもなく田舎でもない、丁度良く住みやすいところが好きですね。
少年時代はほぼ毎日、外で駆け回ってました。新潟にいたときは釣りをよくしていました。今だから言えるけど、よく学校サボって海釣り行ってましたね(笑)。
小さい頃から野球、サッカー、水泳とスポーツをやっていました。運動神経は良かった方だと思います。勉強は可もなく不可もなく…でした!
今は184cmある身長も、小さい頃は高くはなかったです。中学2年くらいから伸び始めました。
そんな自分ですが、楽しいと思った事はとことんやるというのは、昔から変わらないところかなと思います。
さて、これから弥彦記念、オールスターと続きますが大きな事は言わず、先ずは自分の状態をしっかり戻して、最高のパフォーマンスを出せるように努力するだけだと思います。それで結果が良ければ最高ですね。
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。