アプリ限定 2025/10/06 (月) 12:00 43
京王閣競輪場で開催された「開設76周年記念 ゴールドカップレース(GIII)」は10月5日、最終日を行った。決勝の落車事故は残念だったが、脇本雄太(36歳・福井=94期)の衝撃のスピードには鳥肌が立った。
落車を避けて、もうあきらめるしかないか…というほど迂回させられた。中継の画面では画角から外れていたところ、恐ろしいスピードで前団を飲み込んだ。そんな決勝の前、準決10Rの番組が興味深かった。小倉竜二(49歳・徳島=77期)が「これは、ここに付いて、ということですよね…」と神妙に新田祐大(39歳・福島=90期)の名前を見つめていた。
輪史を彩ってきた名レーサーが、なんと連係することになろうとは…。番組の妙に、シビれた。こうしたドラマを演出するのが番組の重要な仕事でもある。規定やセオリーを積み重ねながら、このレースのような離れ業を披露することもできるのだ。
ラインとしては新田と小倉の2車だったわけだが、新田は「2車でも後ろが心強かったので。尊敬する先輩なので」と打鐘から先頭に立って、丁寧にかけた。無論、ただ駆けただけではなく、小倉が番手にいることを武器にする好走だった。
小倉が番手にいるだけで、他のラインは仕掛けてきづらくなる。小倉のやってきたことが、生きていた。レース前の小倉としては「プチっと音がしそう。どんな大きな音になるんやろうか」と離れることにおびえていたもの。だが「カマシやまくりに付いていけるかどうかと思っていたら、まさかの抑え先行でしたね」と振り返る新田の組み立てがあった。
この2人が連係したらどんなことになるだろう。どんなレースを見せてくれるんだろう、というファンの期待に大いに応えるものがあった。
決勝で小倉は中四国ラインの大川龍二(41歳・広島=91期)に前を託した。西日本というくくりで考えれば、脇本の番手もあった。が、中四国ラインの大川がいるとなれば、小倉は黙ってその後ろ。大川も「脇本君に付かせてもらったこともあるんですが」小倉に任されたとなれば、ホイホイと脇本の番手にはいけない。
格的に小倉が脇本の番手、大川が後ろ、ということも考えうるのだが、小倉は前が頑張ってくれる選手を尊重する。これは、誰よりも、と言っていい。大川の落車の後、とんでもない動きを見せていたのにもシビれた。
若いころ、佐々木則幸(49歳・高知=79期)や三宅達也(48歳・岡山=79期)らがずっと小倉の前を走っていた。佐々木や三宅は優しい性格でもあり、他に強い自力選手がいると「小倉さんにそっちの番手にいってもらって」などと話すこともあったが、断じてそういうことはしなかった。一度でも前で頑張ってくれた選手がいれば、メンバー表を見ると確実に1秒以内に「そこ」と決めていた。
2008年3月の名古屋記念決勝で、中川誠一郎(46歳・熊本=82期)がビンビンの自力でいるころ、友定祐己(46歳・岡山=82期)もいて、友定が「小倉さんには中川君の番手に行ってもらって」と話したが頑として聞かず、もちろん友定は小倉に任された以上、前で動いた。
よく言われるのが「もし小倉さんがそういう世界にいたなら、絶対に大親分になっている」という言葉だ。筋を通す生き方を貫いてきて、それだけ、誰からも信頼を集め、慕われている。
真顔で変なことを言ったり、最近では「もう引退です」「競輪のセンスがない」などと口にしたりするのもの。だが、70歳でも走っていてほしいと思うし、走れるほど、競輪センスの塊だと思っている。
いつだったか宇都宮でハコ9(最終4角を番手で回ってきて9着すること)したことがあった。その後の開催では、すれ違う人みんなに「ハコ9のオグラです」「どうも、ハコ9のオグラです」とあいさつして回り、全員を困惑させていたようなお茶目な姿を、ずっと見ていたい。
X(旧 Twitter)でも競輪のこぼれ話をツイート中
▼前田睦生記者のXはこちら
前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。