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太田りゆ“ノーメイクな私の本音”

【太田りゆの原点回顧】ルーツは小学校の帰り道! そのころから練習ノートにはタイムも反省も後悔も“大きな夢”も記録してきた

2022/03/30 (水) 12:00 13

今回のテーマは太田りゆ選手の“ルーツ”について(写真:本人提供)

 ネットケイリンの読者の皆さんˎ₍•ʚ•₎ˏこんにちは、太田りゆです! 3月は京王閣競輪で完全優勝することができました。これで4場所連続となる優勝ですが、結果や現状に甘んじず、今はひたすら強くなることに集中してトレーニングを頑張っていこう思います!

 日ごとに暖かくなり、苦手なロード練習に行くのも「桜が見れる♡」と思うと楽しみな季節になりました(¨)♡✿*❀٭春は卒業や入学とか『人生のターニングポイント』の多い季節ですよね。

 振り返ってみると私にもいろいろなターニングポイントがありました。そこで今回は私の競輪選手/自転車競技選手としての『原点』について書いてみたいと思います。(最近、実家にあるわたしのノート=練習日記を読み返してみたのです!)

ノートにはタイムや目標、優先順位の高い課題、自身の弱点などを記録(写真:本人提供)

“タイム計測”が遊びだった小学生時代

 まずは簡単に私のスポーツ歴から。小学校4年生から地元のスポーツチームでバスケを習っていました。中学・高校は陸上競技をしていて、種目は800mが専門でした。

 小学校の時に母に「腕時計を買って」とお願いしたことがあります。その腕時計で、学校からお家まで走って行って、そのタイムをノートに毎日書いては、速くなっていくことをひたすら楽しんでいました。

 タイムを縮めるために、走るのを速くすることだけではなく、さまざまな事を考えていました。信号のタイミング(この時間に出たら何個目の信号が赤になるから止まらないと行けないとか)や、ランドセルの肩紐の長さ(短くした方が揺れなくて走りやすい)、登下校の靴(なるべく軽く底の薄いもの)にまでこだわりました(^_^;)

 誰に言われたわけでもなくて、それは私にとって楽しい遊びでした( ¨̮ )笑 ランドセルを忘れて、体操服の入った巾着だけを持って学校に行ってしまったこともあります。のび太くん以外にそんな人がいるのか? と疑われるかもしれませんが、そのくらい私は本当に走ることがとにかくとにかく好きでした(`・ω・ ;)! 今考えたら、少しどころか、かなり変わった子だったと思います。

 でも「強くなるために、速くなるためにどうすればいいか?」と『自分で考える事』を子どもの時から習慣にしていたという“原点”は、今の私にとっても大きな意味があります。

デートもしたいしメイクもしたい

愛猫の“こじろう”は18歳、りゆ選手の中学・高校を目撃している(写真:本人提供)

 中学、高校では本格的に陸上競技を始めました。陸上競技は体幹を当たり前のように、かなり鍛えます。これは今考えても自転車に乗る上で相当役立っていると感じます。中学生の頃は部活以外の時間でも毎日自主練をしていて、トレーニングに没頭していました。

 800mが専門だった私は本番よりも長い1500m(近くの公園の外周1周の距離)の距離を全力で走る練習をしました。もちろん、これもノートに記録して。本番よりも長い距離を全力で走ることができれば自信を持って走れると思いました。みんなと同じことをしても、人より強くなることはできないと考えての行動でした。この時は県大会で優勝するかしないかを争う位のレベルだったと思います。

 そして高校に入り、身体の成長とともに思うように走れなくなりました。私は筋肉質で、中距離にしては身体が重たかったのです。しかも、そんな時に私には彼氏ができて、陸上そっちのけで「デートに行きたい!」と思うようになりました(;´∀`)

 友達ともたくさん遊びに行きたいし、メイクもしたいし、先生の言うことは聞きたくないし(笑)。思うように走れないし、練習はやりたくないし、他にやりたいこともたくさんあって、練習を何となく“流す”ようになりました。「適当にこなせばいいや」って。すると「県大会には出れるけど、それ以上ではもう戦えない」そんなレベルになりました。ものすごくもったいない事をしたな、と反省しています。

 アスリートになって今思うことは『適当にやるくらいならやらない方がいい。やりたいことをやった方がいい』ということです。適当にやる3時間、全力でやる3時間、人生の時間は同じだからです。こんな感じで、陸上競技で『基礎体力』を身につけ、『向上心』と『反省と後悔』を学びました。これも私にとっての大切な原点であり、財産です。

競輪学校でも継続! 進化する“練習日記”

 その後、体育大学に入学、休学をして、競輪学校に合格。競輪選手になることを決意しました。さまざまな事情から私は絶対に強くならなければなりませんでした。とにかくお金が必要だったのです。断固たる決意でした。

 自転車に関しては完全に初心者の私は目の前のすべてが勉強で、競輪学校中は毎日休むことなく細かく練習日記をノートにつけていました。その日やった事、タイム、自分の感覚、教わった事、次やった時はどうだったか、自分の気持ち、起床時間、睡眠時間、毎日体温、摂取した炭水化物の量、体重、天気などです。

競輪学校時代から体に関するデータを細かく記録し、必要に応じてグラフ化されている(写真:本人提供)

 内容は見せられないくらい細かく、とにかく熱く書いています。読み返すと、入学して間もない5月の時点で、すでに競技のDVDを雨の日に見せて貰って、じっとしていられないくらいの気持ちが書いてあります。「私もあの世界で走ってみたい!」と。

理想に対する“今”がぎっしりと詰め込まれている(写真:本人提供)

 その後、10月にはセレクションに合格してHPD(ハイパフォーマンスディビジョン)になったこと。250のドームで走るのが怖くて、競技をやる自信がなくなっていることが書いてありました。でも11月には「だんだん怖くなくなって楽しい!」とのこと(笑)。12月には梅川風子とグランプリを見に行って「ぜったいGP出るぞー!」とも書いてあります。その直後にアジア選手権の日本代表に選ばれたことも。

 2016年の最後のまとめページに『200mって本当に10秒台で走れるの?』とあまりに高いタイムの壁を疑問視して、自分に問うような内容もありました。「3年後には10秒台で走れてるよ」と10秒台をイメージすらできていなかった当時の私に教えてあげたいです。

「200mって本当に10秒台で走れるの??」への回答はすでに見つけている(写真:本人提供)

 さまざまな経験を経て、私は競輪選手/自転車競技選手になりました。この練習ノートこそが私の原点です。小学校の頃は大好きな遊びとして、今はプロアスリートとして、私はただただ速く走ることを目指してます!

「ドームで走るのが怖い」から5年後、チャンピオンズリーグで五輪チャンピオン、世界選手権チャンピオンを撃破(写真:本人提供)

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太田りゆ“ノーメイクな私の本音”

太田りゆ

Ota Riyu

埼玉県上尾市出身。112期生のガールズケイリン選手。2017年7月、高松競輪場でレースデビューし、初勝利を飾る。同開催では3連勝を果たし、デビュー場所で完全優勝という快挙を成し遂げる。また日本代表・自転車競技選手としても活躍しており、2019年にはワールドカップに出場し、ケイリン種目で銀メダルを獲得。2020年11月には全日本選手権女子スプリントで優勝。国内外のハイレベルな戦いに華麗なダッシュで挑み続けている。趣味はメイクとファッション、パワーの源はコカ・コーラ。

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