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毒熱!闘う競輪記者マッチーが行く!

「競輪の良さは人間臭さ」56歳・遠澤健二の現在

2021/10/08 (金) 18:00 24

 遠澤健二を語る時に「悲運なレーサーシリーズ」に入れるのは、僕の感覚的におかしい。確かにタイトルに手の届く選手であったが、何か悲壮感がなかった。カテゴリー的には「往年の名レーサーシリーズ」だが、それでは面白みがないので、何か案があれば知恵を貸して欲しい。昔、彼女がどんな男性と付き合っていたか興味があるのと一緒で、選手の歴史物を語ると評判が良い。成績だけを見れば遠澤選手はA級2班の56歳の大ベテラン。競走得点も85点ある。当時の制度は違うし、18人のS級S班の選手がいたが、遠澤選手も赤パンツを履いている。

「初代のS班だけど、あれは高知オールスターの決勝の4着の賞金が大きかった。S班の恩恵は1年受けたけど、43歳の時だから全盛時は過ぎていた。それでいて、トカ(高木隆弘)や晴智の前を回っていたから精神的にはきつかったよ(苦笑)。当時の超一流のマーカーがオレを立ててくれた事は嬉しかったけどね」。

 GIの準優勝もあるし、何度も表彰台には載っているがタイトルには縁がなかった。一番惜しいレースは1996年の岐阜オールスターだと言う。

「目標不在だけどジャンでインを斬り、神山君の番手を高橋光宏さんから奪取。4角で番手だし、神山の番手だから、その時は獲ったと思った。それが児玉広志の捲り追い込みに屈した。俗に言う、力んでしまい足が3角に回ると言うやつだった(笑)」。

 外交も良いせいか、人が集まり、渋いマーカーだったが選手や関係者から人気があった。当時、南関同士の競りは? と尋ねると「高松宮記念杯の決勝だけど、朝まで東出剛君と折り合いが付かなかった。結局、東出君が違う番手で勝負したけど、あれも思い出のひとつだね。結局、東出君は無冠の帝王だったけど、オレの経験したGIの決勝の展開があれば間違いなくタイトルを獲っていた。脚があってタイトルを獲れなかったマーク屋は彼ぐらいじゃないかな。最後は親王牌で失格して、そのまま引退になったけど、病状を隠して最後のレースに挑んだと思う。覚悟の走りだし素晴らしい選手だったね」。

 記念は四つ、2、3着が多いからF1の優勝も少なかったと言う。「S級では自力で優勝出来なかった。先行したのも10回ぐらい。当時の補充はノーカウントだったから、その時、逃げたぐらいだよ。怖い先輩も多かったし、小門洋一さんや山田英伸さん、吉井秀仁さんには先行しないから怒られたな(笑)」。

 競輪の良さは人間臭さだと言う。心理戦に勝ち、ハッタリで自分の魅せ方の上手さがマーク屋は大切とも言っていた。ただ「7車になり、引いてカマシだと、出番無し!」と言い、最後は笑ってくれた。S級の白髪3人衆は遠澤選手、山口富生選手、小川巧選手だが、みんな意気揚々だ。このままなら、あと10年は現役生活を続けるだろう。

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毒熱!闘う競輪記者マッチーが行く!

町田洋一

Machida Yoichi

基本は闘うフリーの記者。イー新聞総合プロデューサー、アオケイ・企画開発パブリストの肩書きも持つ。自称グルメでお酒をこよなく愛す。毒のある呟きをモットーにして、深夜の戯言も好評を得ている。50代独身で80代の母親と二人暮らし。実態はギャンブルにやられ、心がすさみ、やさぐれている哀しき中年男である。

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