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山田裕仁のスゴいレース回顧

【大阪・関西万博協賛競輪 回顧】もっと初手にこだわった作戦づくりを

2025/06/16 (月) 18:00 9

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが富山競輪場で開催された「大阪・関西万博協賛競輪」を振り返ります。

北日本ラインの3番手を務めた飯野祐太が優勝!(写真提供:チャリ・ロト)

左から車番、選手名、期別、府県、年齢

①岡本総(105期=愛知・37歳)
②岡崎智哉(96期=大阪・40歳)
③飯野祐太(90期=福島・40歳)
④村田祐樹(121期=富山・26歳)
⑤佐藤一伸(94期=福島・37歳)
⑥柿澤大貴(97期=長野・35歳)
⑦須永優太(94期=福島・37歳)
⑧嵯峨昇喜郎(113期=青森・26歳)
⑨谷和也(115期=大阪・26歳)

【初手・並び】

←④①(中部)⑨②(近畿)⑧⑤③⑦(北日本)⑥(単騎)

【結果】

1着 ③飯野祐太
2着 ⑤佐藤一伸
3着 ⑦須永優太

難解なレース多かった裏開催

 6月15日には富山競輪場で、大阪・関西万博協賛競輪(GIII)の決勝戦が行われています。岸和田・高松宮記念杯競輪(GI)を直前に控えての「裏開催」で、しかもデイの富山とナイターの四日市という、中部地区のリレー開催でもあります。同日程で選手が分散するので、出場選手のレベルは正直なところ、かなり薄かったですよね。当然ながら、難解なレースも多かったように感じました。

 富山の開催における競走得点トップは、柏野智典選手(88期=岡山・46歳)。ここでは「格上」の存在ですが、自力ではなくマーク選手で、しかも今回の舞台は短走路の富山333mバンクですからね。機動力のある「前」に恵まれないと厳しい面は否めず、柏野選手が力を出せるかどうかは、中四国の選手の頑張りや“運”次第といった側面があります。ちょっと厳しい戦いとなりそうですよね。

初日特選は“単騎の源さん”が会心捲り!

 初日特選は、単騎で勝負した野田源一選手(81期=福岡・46歳)が、最終バックから豪快に捲って突き抜けました。佐藤一伸選手(94期=福島・37歳)の仕掛けにうまく乗った岡崎智哉選手(96期=大阪・40歳)が2着で、岡崎選手マークの岡本総選手(105期=愛知・37歳)が3着。連係した松本秀之介選手(117期=熊本・25歳)が叩かれたのもあって、柏野選手は6着に終わりました。

左から岡本総、岡崎智哉(写真提供:チャリ・ロト)

 初日特選を快勝した野田選手はかなりデキがよさそうだったのですが、残念ながら準決勝で4着に敗退。同様に柏野選手も準決勝で5着に敗れて、決勝戦に駒を進めることができませんでした。このシリーズで大きな存在感をみせたのが北日本勢で、初日特選組である佐藤選手以外に3名が勝ち上がり。地元勢では、村田祐樹選手(121期=富山・26歳)が勝ち上がってきました。

4車の北日本を「いかに封じるか」

左から村田祐樹、嵯峨昇喜郎、谷和也(写真提供:チャリ・ロト)

 三分戦で単騎が1名というメンバー構成となった決勝戦。中部勢の先頭は地元の村田選手で、その番手を岡本選手が回ります。岡本選手が1番車と車番に恵まれたここは、初手でどういった立ち回りをするか、思案のしどころですよね。オール連対という結果で勝ち上がったように、村田選手のデキは上々。2車ラインとはいえ、レースの組み立て次第では上位争いも可能でしょう。

 同じく2車ラインの近畿勢は、谷和也選手(115期=大阪・26歳)が先頭で、番手が岡崎智哉選手(96期=大阪・40歳)という大阪コンビ。谷選手は先行に対するこだわりが強いですから、思いきったレースを仕掛けてくる可能性もありそうですね。準決勝を打鐘からの先行で押し切ったように、谷選手もデキはなかなかいい様子。富山の333mバンクならば、果敢な逃げから粘りきっても不思議ではありません。

 4車となった北日本勢は、いかにもデキがよさそうな嵯峨昇喜郎選手(113期=青森・26歳)が先頭を任されました。番手を回るのが佐藤選手で、3番手が飯野祐太選手(90期=福島・40歳)。そして、ライン最後尾を須永優太選手(94期=福島・37歳)が固めるという布陣です。いかにも「二段駆け」がありそうな並びですから、それをいかに封じるかが、他のラインが優勝する必要条件となるでしょう。

 そして、唯一の単騎勝負が柿澤大貴選手(97期=長野・35歳)。ここに入ると機動力では見劣ってしまうので、できるだけ前々で流れに乗り、うまく展開をついての一発狙いとなりそうですね。各ラインの先頭が好調なだけに、熾烈な先行争いが繰り広げられてもおかしくない決勝戦。北日本勢がすんなり主導権を奪う展開になるのか、それとも誰かがそれを阻止するのか? では、決勝戦の回顧といきましょう。

単騎戦となった柿澤大貴(写真提供:チャリ・ロト)

前受けは中部勢、単騎・柿澤は最後方

 レース開始を告げる号砲と同時に、1番車の岡本選手がいい飛び出しをみせます。そのままスタートを取りきって、中部勢の前受けが決まりました。その直後3番手に谷選手がつけて、北日本勢の先頭である嵯峨選手は5番手から。そして最後方に単騎の柿澤選手というのが、初手の並びです。基本的には車番のとおりで、中部勢は小細工なしに、初手前受けからの組み立てを選択しました。

小細工なしに初手前受けを選択した中部勢(写真提供:チャリ・ロト)

 青板(残り3周)掲示の手前で、後方の嵯峨選手が位置を上げようとしますが、それに先んじて中団の谷選手も動く姿勢をみせます。村田選手と谷選手が内外併走で1センターを回って、嵯峨選手はその後ろで様子見の状況。空いていた内をすくって、ここで最後方にいた単騎の柿澤選手が位置を上げます。先頭の村田選手は誘導員との車間をきって、ほかの動きを待っています。

 バック通過で誘導員が離れるのに合わせて、後方にいた嵯峨選手が一気に動いて先頭をうかがいます。村田選手は抵抗せずに引きますが、中団の谷選手も嵯峨選手に合わせて動いたことで、後方8番手となってしまいました。再び一列棒状となり、一気にペースが上がって赤板(残り2周)掲示を通過。4車ラインの北日本勢がそう無理せず主導権を奪えたとなると、後方の村田選手はかなり厳しいですね。

地元・村田(4番車・青)は後方8番手に後退(写真提供:チャリ・ロト)

ガンガン飛ばす嵯峨、他ラインは…?

 先頭の嵯峨選手がガンガン飛ばして、後続を少し引き離しながら打鐘前のバックストレッチに進入。ここで後方8番手の村田選手は徐々に位置を押し上げて、柿澤選手を外からパスしたところで、レースは打鐘を迎えます。村田選手はそのまま仕掛けて、後方から捲り発進。しかし、最終ホームに帰ってきたところで中団の谷選手も合わせて仕掛け、3ライン併走で最終1センターに進入します。

 ここで北日本ラインは、佐藤選手が早々に前へと踏んで、嵯峨選手の番手から捲って出ました。ほぼ同じタイミングで、谷選手が外の村田選手を軽くブロック。村田選手は外に振られますが、すぐに態勢を立て直して再び前を追います。しかし、連係する岡本選手がここで離れてしまい、外で浮くカタチに。また、谷選手はここで脚をなくして、それを察知した番手の岡崎選手は、北日本勢の後ろに切り替えました。

嵯峨(8番車・桃)の番手から捲っていく佐藤(5番車・黄)(写真提供:チャリ・ロト)

最後は北日本同士の闘いに

 最終バック手前では、嵯峨選手の番手から発進した佐藤選手と、それをマークする飯野選手が抜け出し、3番手は須永選手と村田選手が内外併走。単騎での捲りとなった村田選手ですが、それでも北日本勢に必死に食らいつきます。先頭が佐藤選手、2番手が飯野選手と、大きく隊列が変わらないままで最終2センターを回って、最後の直線へ。ライン戦を制した北日本勢が、上位独占を狙える態勢です。

 番手から捲った佐藤選手が必死に粘り込みをはかりますが、外に出して差しにいった飯野選手の伸びがいい。その後ろでは、内を突いた須永選手や、その外からは岡崎選手も追いすがりますが、前を捉えられるような伸びはありません。佐藤選手と飯野選手のマッチレースとなりますが、ゴール直前で外からグイッと伸びた飯野選手が、佐藤選手を差してゴールラインを駆け抜けました。

ゴール直前で佐藤(5番車・黄)を差し切った飯野(3番車・赤)(写真提供:チャリ・ロト)

もったいなかった村田の走り

 2着が佐藤選手で3着が須永選手と、北日本ラインの2〜4番手を回っていた福島勢が確定板を独占。谷選手から切り替えて前を追った岡崎選手が4着で、地元の村田選手はよく食い下がるも6着という結果に終わりました。北日本勢が労せず主導権を奪えれば、二段駆けからこういう結果になるのは見えていましたよね。それを阻めなかった以上、中部勢と近畿勢が苦しい戦いとなるのは当然です。

 もったいなく感じたのが、村田選手の走りです。あの展開で、しかも外で浮かされるカタチになってからも上位に食らいついていたわけで、デキは本当によかったと思うんですよ。タラレバにはなりますが、「北日本勢に前受けさせて自分は中団」という初手の位置取りならば、もっと際どい勝負に持ち込めたのではないかと。後方に置かれるリスクを回避するという意味でも、正攻法を避けたほうがよかった気がしますね。

初手にこだわった作戦立てを

 2対4という“数の利”がある北日本勢に外から被せられ、内で詰まらされるようなカタチを避けたかったのかもしれませんが、突っ張り先行でもしない限りは、前受けからでも相応にリスクはあります。車番に恵まれて選択肢があったここは、初手での位置取りにもっと工夫があってよかったはず。それでも北日本勢の前に屈する結果となったかもしれませんが、優勝できる確率をもう少しは上げられていたはずです。

 前回の当コラムでも強調したことですが、現在の競輪は「初手での位置取り」が本当に重要で、そこで失敗すると最後まで挽回できずに終わってしまいます。各選手やラインは作戦を立てる段階から、そこに「もっと」こだわってほしいものです。今回の村田選手は前受けから正攻法で勝負するという作戦だったわけですが、そこにはまだまだ詰められる余地があったはず。混戦模様のレースならば、なおさらですよ。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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