2025/10/14 (火) 18:00 11
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが松阪競輪場で開催された「蒲生氏郷杯王座競輪」を振り返ります。
2025年10月13日(月)松阪12R 開設75周年記念 蒲生氏郷杯王座競輪(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①古性優作(100期=大阪・34歳)
②浅井康太(90期=三重・41歳)
③渡部幸訓(89期=福島・42歳)
④園田匠(87期=福岡・44歳)
⑤郡司浩平(99期=神奈川・35歳)
⑥佐藤一伸(94期=福島・38歳)
⑦新山響平(107期=青森・31歳)
⑧酒井雄多(109期=福島・29歳)
⑨武藤龍生(98期=埼玉・34歳)
【初手・並び】
←⑧⑦⑥③(北日本)①④(西日本)⑤⑨(東日本)②(単騎)
【結果】
1着 ⑦新山響平
2着 ③渡部幸訓
3着 ⑥佐藤一伸
10月13日には三重県の松阪競輪場で、蒲生氏郷杯王座競輪(GIII)の決勝戦が行われています。郡司浩平選手(99期=神奈川・35歳)と古性優作選手(100期=大阪・34歳)、新山響平選手(107期=青森・31歳)、犬伏湧也選手(119期=徳島・30歳)と、なんと4名ものS級S班が出場したこのシリーズ。四分戦で各ラインの先頭を任された初日特選から、その激突が注目されました。
四国地区と南関東地区は「地区プロ」の直後であり、出場していた組については、その疲れが懸念された初日特選。新山選手が前受けから突っ張る展開となりましたが、その後ろを取りきった古性選手は、仕掛けるも不発。その上を捲った郡司選手が、ここは1着をとっています。新山選手の番手から粘った渡部幸訓選手(89期=福島・42歳)が2着。逃げた新山選手は粘りきれず、5着に終わっています。
後方の位置取りとなった犬伏選手はいいところなく最下位に敗れるも、その番手から自力に切り替えて最後よく伸びた松本貴治選手(111期=愛媛・31歳)が3着。古性選手はまだ復調途上のようで、犬伏選手については、やはり地区プロでの疲れが抜けていなかったのでしょう。かなりいいデキに感じた郡司選手とは対照的で、2日目以降に不安を残す結果といえます。
その犬伏選手は2日目の第10レースに出走予定でしたが、急性胃腸炎を発症したとのことで当日欠場。残念ながら、3日目以降も欠場となりました。しかし、それ以外のS級S班は二次予選と準決勝を危なげなく勝ち上がり。古性選手は、シリーズを戦うなかで少しずつ調子を上げてきた印象ですね。デキのよさが目立つのはやはり郡司選手で、新山選手もかなり調子がよさそうです。
地元代表である浅井康太選手(90期=三重・41歳)も、初日特選は8着に敗れるも、二次予選と準決勝はいずれも1着で勝ち上がり。準決勝では郡司選手の番手を回るなど、地元記念らしい番組面の有利さはありましたが、それでもデキは上々でしょう。そして迎えた決勝戦は、三分戦で単騎が1名というメンバー構成に。シリーズの随所で存在感を発揮した北日本勢が、ここは4名も勝ち上がりました。
まずはその北日本勢ですが、先頭を志願したのが酒井雄多選手(109期=福島・29歳)。新山選手が番手を回って、3番手が佐藤一伸選手(94期=福島・38歳)で4番手を固めるのが渡部選手という並びです。新山選手が福島3車の間に入るカタチで、いかにも「二段駆け」がありそう。車番には恵まれませんでしたから、北日本勢の前受けを阻むというのが、初手における重要なポイントとなりそうです。
古性選手は自力勝負で、番手に園田匠選手(87期=福岡・44歳)がつく混成ラインに。車番的には前受けも可能ですが、郡司選手が絶好調モードであるのを考慮すると、北日本勢ともがき合うような展開は避けたい。だいぶ復調したとはいえ本調子ではありませんから、北日本勢をヨコの動きで分断するのも楽ではない。となると、ここでどう立ち回るかはけっこう難しいんですよね。
郡司選手もライン先頭で、番手を回るのは武藤龍生選手(98期=埼玉・34歳)。デキは文句なしですが、車番が悪いので初手で後ろ攻めとなる可能性もありそうです。その上で、北日本勢に前受けからの「全ツッパ」をやられてしまうと厳しいですから、それを阻むためにどのように立ち回るのか、注目ですね。そして唯一の単騎が地元の浅井選手で、こちらにも自在の立ち回りを期待したいところです。
それでは、決勝戦の回顧といきましょうか。レース開始を告げる号砲が鳴ると同時に、内から古性選手、渡部選手、郡司選手が出ていきます。ここは古性選手が渡部選手に前を譲って、北日本勢の前受けが決まりました。古性選手は中団5番手からで、郡司選手は初手7番手から。そして単騎の浅井選手が最後方というのが、初手の並びです。こうなると、後ろ攻めとなった郡司選手はけっこう厳しい。
レースが動いたのは青板(残り3周)周回の3コーナー。先頭の酒井選手が誘導員との車間をきって待ち構えるところに、後方の郡司選手が一気のダッシュで襲いかかります。浅井選手はこれに連動せず、最後方の位置をキープ。酒井選手は当然ながら突っ張る態勢ですが、郡司選手は赤板(残り2周)掲示を、酒井選手の前に出て通過します。郡司選手、ひとつ間違えば誘導員の前に出かねない「勝負」に出ましたね。
しかし、酒井選手の前に出切ったことで油断があったのか、郡司選手はここでスピードを落とします。そこを酒井選手が内からすくって、先頭を奪い返しました。後続もこの動きに内外からうまく対応して、4車連係を再構築しつつ打鐘前のバックストレッチに進入。郡司選手は、内から位置を下げていきます。
ここで動いたのが古性選手で、郡司選手に中団を奪われないように外から加速。古性選手が再び5番手に入り、初手とまったく同じ並びに戻ったところで、レースは打鐘を迎えます。先頭の酒井選手は、ここから全力モードにシフト。後方に置かれる展開となった郡司選手や浅井選手は、もうこの時点で厳しい。一列棒状で打鐘後の2センターを回って、最終ホームに帰ってきます。
最終ホームの通過と同時に、後方を振り返ってその動きを確認していた新山選手。後方では、武藤選手が外に動いたところで浅井選手が内から差を詰め、郡司選手の直後に入って最終1センターを回ります。そして新山選手は、酒井選手の番手からタテに踏んで、ここで早々と発進。番手捲りを放った新山選手は、バックストレッチの入り口で先頭に立ち、後続を突き放しにかかります。
ここでも、中団の古性選手や後方の郡司選手と浅井選手は動けないまま。下がっていった酒井選手以外の8車がタテ一列で、最終バックも通過して最終2センターに進入します。ここで中団の古性選手が仕掛けて捲りにいきますが、先頭に立った新山選手もかかっていて、なかなか差を詰められない。北日本の3車が前に出たままの隊列で最終2センターも回って、最後の直線へと向かいました。
中団から捲りにいった古性選手が食らいつきますが、北日本3車の前に出られないままで、30m線を通過。先頭の新山選手が抜け出したままで、松阪バンクの長い直線でも、これはもう捕らえられそうにありません。番手捲りから力強く抜け出した新山選手が、そのまま先頭でゴールイン。その後ろでは、新山選手の直後で粘る佐藤選手に外から差しにいった渡部選手が並び、ゴールラインを通過しました。
力勝負にいった古性選手はよく差を詰めるも4着に終わり、僅差の2〜3着争いは渡部選手のほうが少しだけ前に出ていましたね。後方に置かれた郡司選手は6着までで、浅井選手も存在感を発揮できないままの7着という残念な結果に。初手で前を取った北日本勢がレースを終始レースをリードして、見事に上位独占を決めています。新山選手は昨年11月の四日市記念以来となるGIII優勝で、今年の初優勝でもあります。
現在のルール化で「前受けからの全ツッパ→二段駆け」が有利であるのは、いまさら言うことではありません。それがわかっていても、先頭誘導員の「早期追い抜き」のペナルティが非常に重いのを考えると、他のラインや選手はなかなか打つ手がないんですよね。それを改めて感じた決勝戦で、しかも番手から捲って出た新山選手のデキがいいとなると、こういう結果、こういう帰結になりますよね。
もったいなかったのは、やはり郡司選手。赤板での攻防で、リスクを覚悟で北日本勢を斬ることにいったん成功したのですが、その直後にスピードを落としたところで挽回されてしまった。直後に間髪を入れず古性選手が斬りにくる展開を予測していたのかもしれませんが、いずれにせよ「油断」があったのは否めません。斬られても諦めなかった酒井選手が、いわば“殊勲賞”でしょうね。
古性選手については、やはりまだ本調子ではないのが大きかったと思います。シリーズを戦うなかでかなりデキを戻してきたとはいえ、オールラウンダーとしての能力をフルに発揮できるほどではなく、それがゆえに選択肢が多くはなかった。だからこそ、不利な戦いとなるのを覚悟の上で中団からの力勝負を選び、しかし北日本勢の牙城を崩すには至らなかった…という結果だったのではないでしょうか。
優勝の美酒を久々に味わった新山選手ですが、ファンはやはり「先行」での優勝を期待しているはず。この優勝で弾みをつけて、次の前橋・寛仁親王牌では、さらに力強い走りをみせてほしいものです。古性選手もおそらく、次はさらに調子を戻して出場してくるはず。今回は残念な結果に終わった郡司選手にも、いまのいいデキを維持しての挽回を期待したいですね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。