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【伏見俊昭のオールスター競輪】GI初優勝の歓喜と仲間を失う悲哀。オールスターで経験した悲喜

2021/08/09 (月) 18:00 16

(PHOTO:島尻譲)

 netkeirin をご覧の皆様、こんにちは。伏見俊昭です。
東京五輪の話題でメディアは盛り上がっていましたが、競輪では初のナイター開催となる「第64回オールスター競輪」が始まります。今年は僕の地元であるいわき平競輪場での開催でということもあり、僕自身も気合が入っています。
「オールスター競輪」というのは僕が初めてGIで優勝できた大会でもあったので、とくに思い入れの強いレースです。今回はそんな「オールスター競輪」の悲喜についてお話しします。

初めて出場した「第40回オールスター競輪」

 初めてオールスター競輪に出場したのは24年前の1997年第40回の平塚大会です。この大会はほかのGIとは違い、ファンの方に選んでいただいて走れる開催。そのため頑張って走らないといけない。『選んでくださった方に少しでもいい着順を、いいレースを見せられるように』と思うようになったのもこの大会からです。選んでくださった方のファンの想いを背負って走っていましたね。

シドニー五輪落選から目指したGI初優勝

第51回オールスター競輪での表彰式のインタビュー/(PHOTO:村越希世子)

 岐阜競輪場で行われた2001年9月の第44回オールスター競輪でGI初優勝を果たしました。この大会では初めてドリームレース(ファン投票の得票数が1〜9位となった選手)に選んでもらえたんです。前年の2000年に行われたシドニー五輪の代表選考から漏れ、以前よりも競輪としっかり向き合うようになりました。戦法も確立し、成績も安定していたので、その努力をファンの方に評価していただけたと感じられてとてもうれしかったです。

 そのドリームレースでは僕の後ろに同期の太田真一君、そして神山雄一郎さんがついてくれました。小嶋敬二さんの先行を僕がカマシて。僕自身は4着だったんですが太田君、神山さんがワンツーで今回はやれるという手応えも得ました。

 実はこの時、事故点がパンパンでスタートけん制も全くできない状況だったので前受けから攻めるしかなかったんです。当時は今のように誘導のスピードも上がらず、抑えに行っても脚を使うわけでもなかったので、自分としては後ろ攻めからの抑え先行のほうが好きだったんですよね。でも前受けから突っ張るか、引いてカマすかまくるか、しかなくてやることは決まっていたので、結果的にそれがよかったのかもしれません。シドニー五輪の落選をきっかけに、次の五輪までには「絶対GIを優勝する」と決めていました。常に表彰台の真ん中に立つことをイメージし、練習を重ねていたので優勝できたときは、一つの目標を成し遂げたという想いに溢れ、うれしかった。

 タイトルホルダーになって一流選手の仲間入りができた、格が一つ上がったかなと感じ、その頃から責任感を持って常に1着を目指して走るという意識もさらに強くなりました。

故・内田慶さんに背中を押された2回目の優勝

第51回オールスター決勝表彰台(中:伏見俊昭)/(PHOTO:村越希世子)

 今は閉業してしまった一宮競輪場で行われた2008年第51回オールスター競輪は競輪選手人生で忘れられないシリーズとなりました。

 初日に内田慶が落車事故で帰らぬ人になった…。

 慶は福島県の学法石川高校に在籍していたこともあって僕にすごくなついてくれていて、かわいい後輩だったんです。常にニコニコしていて明るくて時にはちょっとおバカな感じも出して、おちゃめなにくめない存在でした。また、中距離競技の強さは凄まじく、競技者としても一目置いていました。

内田慶さん/(PHOTO:村越希世子)

 その日の夜はみんな、言葉も出ない状態でした。前の日まで仲良くしゃべっていて、一緒にご飯を食べていた選手仲間が落車事故で亡くなるなんて…全く受け入れられませんでした。多分、みんなもその事実を受け入れるのが怖くて、何も言葉が出なかったんだと思います。

 開催を中止するという話もありましたが、続行されると決まり、自分がどういう精神状態になるのか不安もありました。でも、自分はプロの競輪選手。レースではしっかりとプロ意識を持ってしっかり集中して走らなければいけないと言い聞かせました。

ゴール前で凌ぎを削る伏見俊昭(左)/(PHOTO:村越希世子)

 結果、この大会で優勝することができたのですが、この勝利は慶の後押しがあっての優勝としか思えなかった。直前の北京五輪のケイリンではメダルを期待されながらも予選で敗退し、一緒に出場した永井清史君が銅メダルを獲得しました。五輪でも結果を残せて、力を証明してオールスターでも優勝したならともかく、予選敗退の自分と銅メダルの永井君、どちらが優勝に近いかと言ったらそれはもちろん永井君に決まっています。でもそれなのに僕が優勝したというのは、慶の後押ししかないと今でも思っています。慶の魂と一緒に走っていて「頑張れ」って背中を押してもらったような気がしています。

レース後のウイニングランでハンドルに顔をうずめながら泣く伏見俊昭/(PHOTO:村越希世子)

佐藤慎太郎と新田祐大が引っ張る地元・福島のオールスター

 今回は地元福島から10人が参加します。なかでもS級S班の佐藤慎太郎と新田祐大が福島を引っ張ってくれるでしょう。祐大は8日まで五輪に出場していたので、9日前検入りするハードスケジュール。

東京五輪代表・新田祐大/(PHOTO:島尻譲)

 祐大はもう異次元の選手ですからね。あんなダッシュ力を持った選手は今までに見たことがないです。「すごい」としか言いようがないですね。

 彼はもともと強かったですがロンドン五輪の後、爆発的に強くなりました。ロンドン五輪で結果を残せなかったことで何かが変わったんでしょう。僕もシドニー五輪の代表落選で変わったように、人は挫折することで、成長していくんでしょうね。

佐藤慎太郎/(PHOTO:島尻譲)

 もう一人の慎太郎は年齢は一つ下ですが、あの年齢でGI優勝争いをしているなんて尊敬します。

 慎太郎は勉強熱心で、ナショナルチームの練習方法も早くから取り入れていました。そういうところが今のスピード競輪に対応できている理由なのかなと思います。見習わなくちゃいけないところがたくさんあります。

10日からオールスター競輪に出走する(PHOTO:島尻譲)

 今回もファン投票で選出していただいて出場することができます。近況では成績も競走得点も下がってしまっていますが、それでも支持してくださるファンの方たちがいてくださるということはまだまだプライドを持って走らなくてはと思っています。ファン投票で選んでいただいて走るオールスターはやっぱり特別な大会です。

 ナイター、6日制になって勝ち上がりも変更されましたが1着を目指して走り切ることに変わりはありません。1回でも多く1着を取ることができるように頑張ります!


伏見俊昭blog「Legend of Keirin」

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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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