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【東京五輪】ブノワジャパン5年の集大成 揺るぎない自信と、日本発祥競技で悲願の金メダルをもたらす日/中野浩一特別解説

2021/08/02 (月) 18:00 10

「私が日本に来て5年。メダルなしに終われば、大きな失敗だとしかいえない。ケイリンは日本の種目、私たちのもの。選手たちを信頼している」7月11日に行われた自転車トラック日本代表のオンライン記者会見。短距離チームのブノワ・ベトゥヘッドコーチはこう力強く語った。

 この揺るぎない自信の裏には一体なにが隠されているのか。そこにはブノワがコーチに就任して以来、5年間にわたって従来のナショナルチームの考え方を大きく転換させた改革の歩みがあった。ブノワをはじめとする代表メンバーは「自信」という確かな手応えをつかんでいる。

 本番を目前に控え、日本自転車競技連盟のトラック委員長として日本代表を間近で見てきた中野 浩一氏(前人未到の世界選手権10連覇の大偉業を達成)の解説をまじえて、ブノワジャパン5年間の軌跡をたどりたい。(構成:netkeirin編集部)

「選手たちを信頼している」と力強く語るブノワコーチ(提供:日本自転車競技連盟)

 話は5年前の2016年10月31日にさかのぼる。

 東京都内でこの日「日本自転車トラック競技(短距離)の強化育成新体制発表記者会見」が行われた。その席上で、外国人コーチの起用を含めたトラックナショナルチーム(短距離)の新体制が発表された。

 新たにコーチに就任したのは、前述したブノワとジェイソン・ニブレットの2名。特にヘッドコーチのブノワは、これまでフランスやロシアなどでコーチを務め、リオ五輪までは中国ナショナルチームでその手腕を振るっていた。

 近年の中国短距離勢、特に女子の活躍は目覚しく、リオでも女子チームスプリントは世界記録で金メダルを獲得するほど成長していた。当然、ブノワの元には日本だけでなく、フランスやロシア、中国からコーチのオファーがあったという。

ブノワ招聘の舞台裏

 中野氏がブノワ招聘のいきさつを振り返る。

「当時、JCF会長をしていた(橋本)聖子さんは『東京オリンピック・パラリンピックでは5つ以上のメダル獲得を目指したい』と公言していました。ケイリンは日本発祥のスポーツです。ですが、国内の競輪では勝てても、世界のケイリンでは勝てないという現実に直面していました。『いま改革に着手しないと手遅れになる』と言い続けました。ちょうどブノワ就任前の2月に世界選手権があったのですが、そこで彼には『コーチとして名前が挙がっている』と伝えました」

「メダルを狙える力は十分にある」と期待を寄せる中野 浩一(撮影:竹井俊晴)

 日本発祥のケイリンは、2000年のシドニー五輪から正式にトラック種目に追加されたものの、入賞したのは2008年の北京五輪で銅メダルに輝いた永井清史選手ただひとりだけ。メダルはおろか、6位入賞さえもなかったのだ。

 このままでは、母国での五輪開催でメダル争いを演じることに現実味を帯びてこない。一方で、日本発祥の種目であるだけに、金メダル獲得は日本にとって悲願なのだ。世界で通用するためには一体なにが必要なのか。その解決策、答えがブノワの招聘だった。

 そこからの動きは早かった。JKAなど関係団体も巻き込み、何人かの候補者のうち、「総合的な判断」でブノワ招聘を決めたという。そして冒頭の記者会見へとつながった。

迷信のようなトレーニングに唖然

 着任早々、ブノワは日本選手の練習方法に驚きを隠さず、こう話したという。

「迷信のようなトレーニング法を信じていることに唖然としました。競輪の文化は貴重ですが、この練習方法だと世界では勝てない。ケイリン選手に重要なのは長距離を走り抜く持久力でなく、短時間でスピードを上げられる瞬発力」

 ブノワは早速、改革に取り組んだ。まず練習時間を見直した。1日8時間近くに及んだ練習時間を大幅に短縮した。以前はトラックを数十周も走り続けていたのを、全速力で2〜3周走るスタイルに。走行中に計測したデータを細かく確認し、映像でフォームやコース取りをチェックすることで、選手のポテンシャルを引き出した。

 さらにブノワは選手の練習環境にも切り込んだ。ナショナルチームのメンバーを伊豆に移住させる提案をしたのだ。練習の拠点である伊豆ベロドロームは五輪の本会場でもある。確かにその地へ移住することは、本番を見据えてもホームの利が働くことは明らかだ。

 それに何より、五輪までの時間を有効に使えるメリットがあった。実際、海外の有力選手は五輪に合わせた練習スケジュールを組んでいる。それに対し、日本のナショナルチームはこれまで限られた時間の中で「世界」と戦ってきた。このデメリットを解消することにもつながる。

 だが一方で、懸念点もあった。競輪選手はレースの成績に応じた賞金で生計を立てている。伊豆に移住し“五輪シフト”を組むことで出走できるレースが制限され、収入減の恐れがあった。

 しかも、である。人気選手が出走するレースが少なくなると、競輪場の収益にも大きな影響を及ぼすことも危惧された。ブノワの要望はそんな死活問題を根底から揺るがす危険性も秘めていた。

 この点に関し、中野氏は迷いなく話す。

「自分が選手の立場なら、絶対に伊豆に行くよ。強くしてくれるわけですからね。そもそも、競輪を走りながらメダルは獲れない。それは過去を見ても明らかです。メダルを獲った選手もいましたが、それは単にその選手がたまたま強かっただけの話です。組織として環境を整備して強くなったわけではありません」

 さらに、五輪での活躍は結果的に競輪界の発展にも寄与すると強調する。

「僕の現役時代は2万人を超えるお客さんが競輪場に集まることもありましたが、いまは国内の競輪人気がどんどん低迷しています。レースの売り上げだって当時に比べて減少している。でもね、東京五輪でメダルを獲得したら状況は大きく変わると思います。メダリストが競輪場で走るとなったら、どれだけ速いのか実際に生で見てみたいと思うんじゃないでしょうか。つまりケイリンの強化は競輪の発展につながると僕は思っています」

 そして、ブノワ最後の改革は選手のスピリットに及んだ。ケイリンで勝つには、個の闘争心の必要性を説き続けた。

 中野氏が付け加える。「ブノワにとって、競輪文化であるラインの概念はわかりにくかったと思います。『人のことを気にするな』という部分にこだわりをみせました」

左からブノワコーチ、小林優香、脇本雄太、新田祐大(提供:日本自転車競技連盟)

 こうしてコーチ就任から改革を進めたブノワジャパンはオリンピックイヤーを迎えた。前哨戦となった5月の自転車トラック種目の国際大会ネイションズカップでは、代表組が活躍し、金メダル8個、銀メダル5個、銅メダル7個と、20個のメダルを獲得した。

 五輪本番では、海外から有力選手がやってくる。脇本雄太や新田祐大、小林優香らはどう迎え撃つのか。

 最後に中野氏は勝敗の行方を左右するポイントをあげた。
「1年間延期となったことで、選手らはどういう環境になって、どのような気持ちで過ごしてきたのか。それが結果につながると思います。そういう意味では、日本選手はしっかりしたトレーニングをしてきたと思います」

 自転車トラックは8月2日に開幕する。果たして日の丸フラッグを中央に掲げる悲願を達成できるのか。日本勢の戦いに目が離せない。

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