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【競輪×競馬 特別対談】30代で引退決断した山口真未さんと水口優也騎手 緻密な現役プランと命がけの現役生活

2025/06/30 (月) 18:02 14

華々しい活躍を見せるアスリート。しかし必ず引退の時は訪れ、セカンドキャリアを考えなければいけません。元ガールズケイリン選手の山口真未さんは、競輪の世界に入る時から「2024年に引退する」と決め、逆算して戦っていたといいます。一方、6月29日にラスト騎乗を終えたばかりの競馬・水口優也騎手は、下半身不随を覚悟した落馬事故がきっかけでセカンドキャリアを前向きに考えるようになったとか。今回お二人のご協力のもと、netkeirin×netkeibaの初コラボ対談が実現。初対面ながら、運命的な出会いであることがのちに判明するのですが…、まずnetkeirinでの前編では、各競技でのプロデビューまでの違いや、30代での引退を決めるまでの心境を語り合います。(取材・構成:大恵陽子、撮影:稲葉訓也、対談日:2025年6月25日)

元ガールズケイリン選手・山口真未さん(右)と競馬・水口優也騎手

「スポーツタレント発掘事業」で競輪の世界へ

ーーまずはお二人が選手・騎手を志したきっかけから教えてください。山口真未さんは、元々は陸上競技をされていたとか?

山口真未さん(以下・山口):中学生からずっと陸上をしていたんですけど、大学4年生の時にアキレス腱を断裂してしまいました。自分のキャリアプランとしては、高校の体育教員志望だったので、大学院に進学して陸上を続けながら勉強して、ゆくゆくは教員採用試験を受けようと考えていました。でも、怪我で気持ちが一度沈んでしまって大学院では陸上を続けにくくなり…。でも、まだスポーツはやりたいという気持ちが消えずにいた頃、スポーツ分野のタレント発掘事業という、他種目への可能性を見出す事業のトライアウト参加する機会があって、自転車競技の適性が出たことがきっかけで参入しました。

水口優也騎手(以下・水口):そういう事業があるんですね。面白い。

山口:それから自転車競技を始めて、2024年のパリ五輪出場を一番の目標に掲げました。選手として出場出来ても出来なくても、そこまではやると決めていました。自転車を始めた頃は競輪に行く道は考えていなかったんですけど、短距離の自転車競技では「強化=競技と競輪の二刀流」というのが日本の流れでした。そのため、コーチや身近な人の勧めもありましたし、正直、活動資金など経済面でも競輪選手になった方が繋がるという利点もあって競輪の世界に入りました。

水口:競馬の場合は、騎手になりたい人は競馬学校に入ることがマスト。それ以外の道は最近、数名いる程度なので、「適性が」という話を聞いて興味深いなと思いました。他競技から新たな道を探すのもいいことじゃないかなと思います。

山口:競輪もそうですし、自転車競技自体が他のスポーツから転向してくる人が多いです。日本競輪選手養成所は約10か月の訓練期間。他のスポーツで基盤がしっかりできていれば、デビューしていきなり一流選手相手に戦うこともできますし、自転車は交通手段としても身近なので、スポーツ未経験者でもやっていくうちに強くなっていける可能性があると思います。

水口:競馬学校は3年だから、公営競技の中でも長い部類かもしれないです。競馬は馬と一緒にレースをするので、乗ることだけじゃなくて馬とのコミュニケーションも取れるようにならないといけません。でも、競馬学校に入るのに乗馬経験は必要ないんです。

山口:なぜジョッキーになろうと思ったんですか?

水口:父が競馬好きで、幼い頃から競馬場によく行っていました。小〜中学校ではサッカーをやっていたんですけど、試合中に当たり負けしてしまったりして、体が小さいことに自分で気づいてくるんですよね。その体格を最大限生かせることは何かと調べてみると、騎手だったんです。

山口:競輪の場合はむしろ増量しなくちゃいけない選手がいたり、そこまで体格に決まりはないかなと思います。ただ、ガールズケイリンでは自転車のフレームサイズが既存品で決まっていて、男子選手のように一からカスタマイズして作れません。私の場合は身長が高くて手も長いので、乗車フォームが窮屈になってしまいます。それを動きやすい体重にコントロールしながら体を作るということはありました。

限られた選手人生、引退までの緻密な現役プラン

ーー山口さんはデビュー戦でいきなり1着だったんですよね?

山口:ルーキーシリーズという、新人選手だけで走れる機会があって、そこで1着でした。地元・静岡競輪場でのデビューで、結構緊張したことを覚えています。

水口:僕もデビューの時はすっごい緊張していて、何も覚えていないです。今だから思えるんですけど、上がり症でした。

ーーアスリートと緊張の向き合い方は気になります。

水口:今でもやっぱり緊張します。昔からサッカーでも学祭の発表会でも緊張していたタイプで、唯一緊張しなかったのは勉強だけ(笑)。緊張を「よし、頑張ろう!」と思えるようにはなっていますけど、いろいろ考えて緊張する方ではあります。人それぞれ、どう噛み砕いてそれを楽しめるか楽しめないかかな、と思います。

山口:私も基本的には緊張するタイプなんですけど、陸上をやっていた時に徐々に慣れました。その流れで競輪も大丈夫かなと思っていたらすごく緊張してしまって、種目が変わると戻るんだなって思いました(笑)。

ーー山口さんは競輪選手としてデビューする前からパリ五輪が開催される2024年で引退、と決めてらしたとのことですが、逆算してプランなどは考えていましたか?

山口:かなり考えていました。競輪選手として活動できるのは3年8か月。選手としての命は短いので、1年目はまず覚えてもらえるように色んな戦法で爪痕を残して、2年目は自分で仕掛けて風を切るレースをやって、最後の年は1着にこだわりました。最初の2年で「何でもできる選手」という印象を残し、最後の年はどんな手を使ってでも1着を取りに行きました。「こういうことをしてくるだろう」と思われている裏をかくような心理戦もしていました。

水口:僕の場合はキャリアプランは全く考えていなくて、できるところまでやろう、と思っていました。騎手はそういう人がたぶん多いんじゃないですかね。

ーーその中で、今回引退を決めた理由は?

水口:一つは4年前に調教中の落馬で胸椎を骨折したことです。落ちた瞬間、下半身が分離したと思って探すくらい、足の感覚が全くありませんでした。手術前に主治医から「歩けるようになるかは50:50」と伝えられて、そこで引退も含めて人生プランを考えました。足が動くようになったとしても果たして復帰できるのか、復帰できてもこの怪我や後遺症と付き合いながらあと何年騎手をできるのか。当時29歳で、一つの目安として、35歳までに調教師になるのか他にやりたい仕事が見つかるのか、たくさんの選択肢の中から考えようと決めました。

山口:競輪は怪我がきっかけでの引退や、成績がかなり落ちて代謝制度で引退を余儀なくされるケースが多いと思います。自分が車券の対象ということを理解して、特に男性選手はゴール前でいかに狭い隙間に突っ込んで一つでも上の着順を目指すか、という覚悟でやれないと、という話も聞きます。命があるので、怖くて怪我をしたくないという思いもあるでしょうけど、ファン目線で考えると、そこを意識できるかどうかは大切かなと思います。

水口:公営競技は怪我が付き物ですよね。それを怖がっていてはできません。ただ、命を張っている仕事ですけど、迷惑をかけてしまう人もいるので、僕の場合は一つの人生の目安かなと思いました。競馬は自分が安全に乗っていても、走るのは馬なので予期せぬ事故もあります。そう考えると、元気なうちに引退を、と思いました。

(文中敬称略)

netkeibaではお二人が引退後のセカンドキャリアについての考えを語りあい、意気投合。ぜひ両サイトで対談をお楽しみください。また7月7日18時には、対談の後編をお届けしますので、どうぞお楽しみに!

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