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震災から10年…あの時いわき平競輪場で何があったのか

2021/08/10 (火) 12:00 8

海水浴場が有名な薄磯の被災状況(提供:いわき市)

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生した。未曽有の大災害は、空中バンクで有名ないわき平競輪場のある、福島県いわき市にも甚大な影響を与えた。長時間続いた揺れの大きさは震度6弱。468名の命が失われ(震災関連死を含む、2021年2月15日現在)、住宅の損壊などによる避難者は19,813名にも及んだ。あれから10年、今年のオールスター競輪は、そのいわき平競輪場を舞台に行われる。当時を振り返り、いわき平競輪場ではどのような出来事が起こっていたのか。担当者に話を伺った。

設備を生かして震災復興の拠点に

 東日本大震災による被害はいわき市においても甚大で、建物の倒壊・一部損壊はもちろん、大きな揺れによる液状化でマンホールが浮上するなどの被害も見られた。しかし、2006年に修繕されたばかりだったいわき平競輪場はガラスの破損がある程度で済み、震災復興の拠点として様々な役割を担った。

提供:いわき市

 これは、バンク下に位置する駐車場に全国各地から送られてきた支援物資が貯蔵された様子だ。いわき平競輪場を中継地点とし、市内各地の避難所などに配送された。広大な土地が確保されているため、フォークリフトや民間トラックを利用したスムーズな搬入・搬出が可能だった。

自衛隊の大型車両(提供:いわき市)

 その他にも自衛隊が行う炊き出し支援の拠点となったり、選手宿舎が医療ボランティアの宿泊先として活用されたりした。

 震災後、大型受水槽や自家発電設備を増設し防災施設としての機能を向上させた。2021年現在も、いわき平競輪場は市の防災計画において支援物資の輸送拠点・集積場所に位置づけられている。

復興支援開催、選手個人の支援も

 選手・関係者による支援や、競輪界からの支えもあった。

 選手会宮城支部・福島支部の選手がボランティアを行った。さらに、競輪場のある自治体から応援として人員が派遣された。選手個人では福島支部所属の伏見俊昭選手、成田和也選手らが義援金を送っている。

 2011年3月12日から6月1日までの約3か月間復興の拠点となっていたいわき平競輪場は、6月2日の高松宮記念杯(群馬・GIII)で場外開催を再開。その後、当競輪場で開催された2011年11月のFI、2012年1月のGIII記念を「東日本大震災復興支援競輪」と命題し、収益の一部を復興支援へと充てた。JKAは当開催の広報活動を行ったほか、義援金や選手のあっせんなど多方面から支援した。

いわき市を盛り上げ、支える場に

提供:いわき市

 原子力発電所事故による風評被害も大きかったいわき市だが、震災2年後には震災前年度の売上を上回り、その後右肩上がりで成長している。

 来場者の数も震災前と変わらない。特に震災直後から始まった日本初のバンク内ビアガーデン「BeerCafe70wind(ビアカフェ セブンティ ウィンド)」が好評で、選手によるトークショーや様々なイベントが行われ、多くの人で賑わいを見せた(現在はコロナウイルス拡散防止のため休止中)。

 2011年度から2020年度の10年間で拠出された40億円は、消防車両の購入、学校施設の地震補強費、災害時情報提供強化費などの防災関連事業に充てられ、市民を支える財産となった。

 今年も8月10日からオールスター競輪がはじまる。残念ながら無観客開催となってしまったが、震災を乗り越えたいわき平競輪場の姿を、また選手たちの熱い走りをぜひ感じて頂きたい。

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