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【中野浩一独占インタビュー】「世界のナカノ」が明かした日本選手権競輪と競輪界へのホンネ

2021/05/06 (木) 12:00 21

netkeirin初登場の中野浩一。40年前のダービーで悲願のタイトルを手にし、「どうしても獲りたかった」と述懐

日本最強を決める日本選手権競輪が5月4日から6日間の日程で、京王閣(東京都調布市)を舞台に熱戦を繰り広げている。そんなレースの真っ只中、競輪界の超レジェンド、中野浩一さんが『netkeirin』に初登場。日本選手権競輪に対する思いや、今の競輪界に感じていることなど、「世界のナカノ」が独占告白。次々と明かされるぶっちゃけトークに、果たしてどんな話が飛び出したのやら。一同大興奮のインタビューをお届けします。

(撮影:竹井俊晴、聞き手:netkeirin編集部、文中敬称略)

 世界選手権10連覇。歴史に名を刻む前人未到の大記録を持つ中野浩一がなかなか手に出来なかったレースがある。日本選手権競輪(ダービー)。この称号を手中に収めたのは、今からちょうど40年前。「ミスター競輪」といえど、ダービー王になったのは最初で最後、この一度きりだった。1981年3月の千葉競輪場。中野は輪界を代表するビッグレースの舞台に立っていた。

国内タイトルより先に「世界」を獲ったがゆえの苦悩

ーー競輪祭5回、オールスター競輪3回など数多くのビッグレースで優勝を果たしていますが、当時まだ獲れていないタイトルが日本選手権競輪でした。 

 僕の場合、もともと国内のタイトルよりも先に世界選手権を獲ったんです。21歳の時でしたが、一方でなかなか国内のタイトルは獲れずにいた。周りの目も当時、「コノヤロー」みたいな雰囲気で、かなり厳しいものがありました。

 最初に獲った国内のタイトルは競輪祭です。確か23歳の時。それからですね、徐々に国内のタイトルを獲れるようになったのは。

 日本選手権競輪は当時4つの特別競輪の中で一番大きな大会でした。何度もこの大会に出ていましたが、過去は勝てなかった。「どうしても獲りたい。チャンピオンになりたい」。そんな思いが非常に強かったのは間違いないですね。

 決勝は中野浩一(福岡)、恩田康司(群馬)、山口健治(東京)、片岡克巳(岡山)、竹内久人(岐阜)、菅田順和(宮城)、久保千代志(愛知)、高橋健二(愛知)、岩崎誠一(青森)といったメンバー。

 中野は決勝に進むまで2着、5着、2着と一度も1着を取れずに勝ち上がっていた。

ーー特別競輪では13回の優勝を数えていますが、予選から決勝までの間に一度も1着を取っていないレースは日本選手権競輪以外、後にも先にも一度もありません。過去の戦績も含めて苦手意識のようなものはあったのでしょうか。 

 それはないですね。

 それより決勝に「1着」が残っているほうがいいじゃないですか。そもそも僕は4連勝で完全優勝した記憶はないんですよ(*76年の競輪祭は3連勝で新人王)。ほとんど途中で負けている。それに気持ちの上では、すべて1着で並べたいと思っていても、逆にそれがプレッシャーになってしまう。

 僕は通算で1236走しているんですが、9着になったのは4回だけなんですよ。むしろ、そっちを強調したいなぁ(笑)。

 話を戻すと、僕らのころの日本選手権競輪というのは初日が特選、2日目は9着でも勝ち上がれた時代です。準決勝さえクリアすればいいという感覚でしたから、2日目は自分の調子、コンディションを確認するために思い切って逃げてみたりしたんです。その結果が2日目5着。

世界選手権10連覇の大偉業はもちろんのこと、競輪でも「1236走して9着は4回だけ」という驚異の戦績はさすがとしかいいようがない

 当時はスタンディング(S)争いが主流。決勝は恩田がSを取り、中野を前に。ジャンで後方8、9番手にいた高橋と久保が上がると、これを菅田と岩崎が叩く展開に。

ーー何かレース前にイメージしていた展開や戦略はありましたか。当時は今のラインと違って、強い者同士が組む傾向にあったと思います。例えば恩田選手と事前に何か話し合われたりしたのでしょうか。 

 確かに当時は今と違い、並びは強い選手同士という雰囲気がすごくありました。あとはスタートの早い選手が前とって誰を入れるか。そのときは恩田がスタートとって、僕が前に行ってという感じでした。

 ただ恩田とは、事前に話などしていませんよ。

 一方で、同県だと並びみたいなものはあったので、この時は高橋さんと久保さんは2人とも愛知ですし、菅田さんが宮城で岩崎さんは青森なので北は北で一応並ぶみたいな感じでした。僕ですか? 単騎みたいなものです。

 ところがレース終盤、思わぬ展開を見せる。最終ホーム付近で、菅田が出切って先頭に立ち、その番手を巡って高橋と岩崎が競る形となった。そして岩崎に押されて高橋が落車した。

最終バックで3、4番手にいたら届く

ーーこのときのことを覚えていますか。 

 よく覚えています。菅田さんの後ろで高橋さんは岩崎さんにこかされたんです。そのとき僕は確か4番手。当時の千葉競輪場は500だし、そもそも最終バックで3、4番手にいたら届くなと思っていました。そこに転倒があったので、「これはいける」と。いずれにしても、僕にとっていい形になったのは間違いない。結果的に菅田さんの先行を捲り、後続をちぎって勝ちました。

ーー思えば、77年の初ダービーは決勝で7着、翌年は準決勝で敗退しました。4回目の決勝で見事に優勝されましたが、その瞬間の気持ちはいかがだったのでしょうか。特別競輪3連覇の偉業も達成されました。 

 3連覇は特に意識していませんでした。オールスター、競輪祭、そして日本選手権競輪と勝って、次の高松宮杯(現高松宮記念杯競輪)も勝てば1年間でグランドスラムというのを狙っていましたからね。まあ結果的に宮杯は負けましたけど。

 欲張りだから、毎回勝ちたいと思っていました。年齢的には26、27、28歳が一番脂が乗り切っていて、自分としてはもっとも強かった年齢です。気持ち的に、まったく負ける気がしない時期でした。

ーー改めて、中野さんにとって日本選手権競輪とはどのような存在なのでしょうか。 

 まだKEIRINグランプリのない時代でしたから(85年の第Ⅰ回KEIRINグランプリは中野が優勝)、4つの特別競輪の中で一番賞金は高く、もっとも権威ある大会が日本選手権競輪。選手はみんなダービー王になりたい気持ちを持っています。

 当時は特別競輪の色分けがはっきりしていたんです。日本選手権競輪があって、そのあとの6月に高松宮杯(現高松宮記念杯競輪)があり、ここは東西対抗をする。東は東、西は西で勝ち上がって決勝戦で戦うスタイルです。

 次は10月のオールスター。全員ファン投票で決まるので、ファンの皆さんからの支持を集めている意識がすごく感じる大会です。

 そして、競輪祭。3日制の時代ですが、3日制は本当に実力がないとい勝てない。“真の競輪王"みたいな存在でした。それぞれ特別競輪ごとに位置づけがあって、当然どのタイトルも獲りたい気持ちが強かったです。

 今みたいに大会数が増えると、2か月に1回くらいのペースでレースがあります。でも僕らのころは3か月に1回のペース。そこに向けた調整が非常に大事で、「今回負けたから次でいいや」とは到底思えないのです。

当時の検車場は殺伐とした雰囲気、朝から目も合わせない

ーーその時その瞬間を真剣勝負するということですね。当時の検車場の雰囲気はいかがでしたか。 

 相当殺伐としていました。今、解説者になっている吉井(吉井秀仁)やヤマケン(山口健治)は後輩ですが、当時は競輪場で話したことがないくらい。一応、挨拶はするけど、それ以上の会話はほとんどありません。とくに追い込み選手同士だと、「勝負だな」というのがあるので朝から目も合わせない。そういう時代でした。

 ただね、信頼して車券を買ってくれるお客さんのためにも「誰それのおかげで勝った」という気持ちではなく、「自分の力で勝った」という意識だけは今の時代も持っていて欲しいなと思います。

ーー引退後はまた別の角度で日本選手権競輪をご覧になられていると思いますが、これまでの大会で印象に残ったレースはありますか。例えば、2019年は脇本雄太選手が完全優勝を遂げました。 

 僕は自転車競技の強化という部分を担当していたのですが、とにかく「世界を目指す」が合言葉。当然、世界チャンピオンになりたいと思ってやっているわけです。「世界チャンピオンになれる人間は日本で簡単にチャンピオンになれる」というのが僕の持論で、またそうならないといけないとも思っています。そのために環境を整えてきたという思いもあります。

 その点で、2019年の脇本のレースは他を寄せ付けない圧倒的な強さを見せてくれました。ある程度、強化はうまくいってるなと実感した大会でもありました。

 新田(祐大)もそうですが、これからオリンピックを目指す人間にとって、国内のレースは常勝という感じでいって欲しいですね。

 スポーツの世界は「勝ってナンボ」。とくに公営競技をしている者は「自分が勝つレースをやる」「可能性を残したレースをやる」というのが非常に大切だと思います。

ーー話は変わりますが、現在激戦を繰り広げている今年の日本選手権競輪についても伺わせてください。注目している選手はいますか。 

 脚力的にといいますか、レースのうまさも含めて、まず松浦(悠士)ですね。

 それから力的には郡司(浩平)。郡司は昨年11月の競輪祭で松井(宏佑)、今年2月の全日本選抜では深谷(知広)と、ナショナルチームで機動型の先行で勝ちました。(2人がいない)今回ダービーを獲得できるかどうか、ある意味真価が問われています。

 あと平原(康多)も総合的には、勝てるだけのものを持っています。

 松浦は、気持ちがいい意味で競輪に向いてきたと思っています。本人も「気持ちの持ち方がすごく大きい」と話していましたが、成績もよくなり、何かきっかけがあったのかな。練習に対する考え方や普段の生活がうまくいって、今は非常に充実しているように感じます。落車しない限り、大崩れはないですね。

 ただ本命は松浦かなと思いつつ、今のレースは1人ではなかなか勝てないので、松浦と清水(裕友)がお互い決勝に乗ってくるというのが条件かもしれないですね。

「落車さえなければ今の松浦は大崩れしない」と注目選手を上げる中野。独占インタビューでは、ぶっちゃけトーク全開

今年のダービーは松浦、清水の中国勢と郡司が中心かな

ーー見どころを教えてください。 

 今は通常7車立てで走っています。車立てが少ないのに慣れてしまうと、仕掛けるタイミングは違いますし、レースの作り方も違ってくる。9車立ての記念競輪ばかりを走っている選手のほうがある意味有利かもしれません。ということは、上位選手がよりいい形になっていると感じています。なぜなら、SSの選手は基本的に記念競輪しか走りませんからね。

 とはいえ、いまは特別競輪になると、地区的に誰が出ているとか、そこの先行選手はどんな状況かで結果も変わってきます。

 色々と加味しても、中心は松浦や清水の中国勢。それと、南関の郡司あたりでしょうか。関東の平原も悪くありませんが、誰を前につかせるかがポイントだと思います。僕は平原の場合、若い選手を前につけないほうがいいんじゃないかと思っています。前の選手が失敗したときに取り返せる力があるかどうかがカギで、そのリスクを考えた場合です。

 実は僕が引退した理由もそこです。どんな展開になろうと勝たなければいけない。でも、だんだん若い選手が出てきて自分が番手に回ったりする競走が多くなったんですね。それで、その選手が失敗したらどうするか。さっさと切り替えて前に行くのか。

 そのタイミングが今の時代は難しい。僕らの時代は平気で切り替えて行けたので、前が下がってきたら「もういらない」と自分でいっちゃうみたいな感じでね。そういう意味でも前の選手の影響って非常に受けやすいんです。

ーー中野さんご自身とスタイルの似た選手はいますか。 

 松浦が長い距離を踏めるようになって、基本的な戦い方は近いかもしれない。どちらかというと何でも屋タイプです。追い込みであろうが先行であろうが勝てばいい。結果的にお客さんに一番喜んでもらえるわけですから。今の松浦には「必ず何かやってくれる」という期待感があり、また「ここで何かするだろうな」と見ている人に思わせてくれる。それが松浦です。

 昨夏、コロナ禍による影響で、東京オリンピックパラリンピックは1年間の延期となった。そして今年、1年越しのオリンピックがこの夏の開催に向けて動いている。もちろん、現状のコロナ禍では不透明であるが、日本からは脇本選手や新田選手、そして女子の小林優香選手が出場予定となっている。

ーーオリンピックが開催された場合、日本代表選手はメダルの期待が高まっています。 

 日本勢として、世界選手権男子ケイリン3年連続銀メダルを獲っていますから、しっかりした力がついてきたと思っています。これは強化によるところが大きい。チャンスは十分にある。そこまで来たと思っています。脇本にしろ、新田にせよ、世界選手権で銀メダルを獲っているわけですし、資格もチャンスも十分です。あとは本人たちのモチベーション。なかなか競輪を走らずに練習ばかりなので、なんとかモチベーションを保てるようなことを考えないといけないですね。


 最後に、「『本気の競輪TV』をよろしく」と番宣が入ったが、いやいやいや。『netkeirin』もよろしくお願いします。


●中野浩一(なかの・こういち)
高校卒業後、1975年にプロデビュー。無傷の18戦無敗を記録。「九州のハヤブサ」の異名をとり、77年のサンクリストバル世界選手権プロ・スクラッチ(現在のスプリント)で日本人選手で初めて優勝。その後、前人未到の10連覇を達成。80年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間獲得賞金が1億円を突破。「世界のナカノ」「ミスター競輪」とも呼ばれ、92年の引退後は競輪をはじめ自転車競技の解説、スポーツコメンテーターとして活躍。2006年4月紫綬褒章を受章。日本自転車振興会顧問。1236走中666勝、2着221回、3着101回(4着以下はわずか248回で、うち9着は4回のみ)。通算優勝回数168回。

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