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前田睦生の感情移入

【夢と魔法の国】サザンオールスターズが歌った、“夢”はどこにある?

2021/07/31 (土) 12:00 8

競輪場は、夢と魔法の国

キラーストリート

 2005年にサザンオールスターズが出したアルバム「キラーストリート」。
2枚組での発売でその1枚目の5曲目に「夢と魔法の国」という競輪場のことを唄った曲がある。この曲、歌詞はぜひ、調べてほしい。
なんだかニール・ヤングをモチーフにしたようなレスポールの重厚なサウンドとファルセットは、究極の揶揄(やゆ)。

 揶揄を“大人”的態度で尊敬と愛を持って歌っているのがポイントだ。それが、昭和の魂。昔はいろんな知識人が、とんでもないセンスを武器に世の中を騒がせていた。今から思えばぶっ飛んでいても許容された。ただ、それは今はアウトになったようだ。
『リスペクト』なんて言葉は使わない。尊敬や憧れ…茶化しているけど実は好きです、の愛嬌があった。その思いがにじみ出ていた。

 隠喩とか箴言(しんげん)、そういう深みのあるものに触れなくなった…。

教えて、バタイユ先生!

誰もが実は一つ

 フランスの哲学者・ジョルジュ・バタイユ(1897-1862)。「アセファル(無頭人)」という雑誌で主張していたのが、『ニーチェをファシズムが乱用する話』についてである。
「神は死んだ」で知られるドイツの哲学者・フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)。バタイユは彼が書いた「力への意志」という言葉などを『政治的に用いた作為的誤謬(ごびゅう)がある』と指摘している。

 前置きが長くなりましたが、競輪の話です。五輪の話です。
誰が何を見るか、何を見ようとしているのかが、常に何かを強制される時代になったと思う。こう見なければなりません。優等生の強要…きょうよう…
人間に必要なのは強要じゃなくて、“教養”じゃないの?

 すべては上述の曲「夢と魔法の国」の中にある歌詞「夢はみんなで創るものだろう」に凝縮される。目の前(テレビやネットでも)で起こる何かを見据えつつ、それを上回ってくるスポーツの感動を共有する。声も音もない感動を。それは、誰かが描いた、準備された絵ではない。でも、その絵のありかをみんなが知っている。

 バタイユの細かい指摘の意味ではなく、伝えたいのはバタイユの態度。
全体暴力的な衝動、流れが制圧するのではなく、個の自由が支える全体があるということ。競輪や五輪が教え、与えてくれるものに対し、強制的な枠組みを持たせず、自由に楽しむ。考え方の違いはあっても、みんながそこにいる。それが、夢と魔法の国。

1942年、パリの競輪場で起こった出来事

競輪場は歴史を語り継いでいく場所でもある

 なぜこんなことを書くのか、理由はただ一つ。
競輪や五輪を通じて、いがみ合ったり、非難し合ったりすることが悲しくて仕方がないからだ。夢に向かっている道の上で、殴り合う必要はないだろう。トゲがあっても機知に富んだやり取りなら、もちろん大好きだが。

 詳細な記録は省くが、1942年、ユダヤの人たちが拘束され、パリにあった自転車競技場に収容されたという歴史がある。「ヴェル・ディヴの一斉検挙」。そんな悲劇が、私たちの愛する場所で起こったことがある。

 東京五輪の最中だが、2024年にはパリ五輪を控えている。その場所は、みんなの夢の場所であるはず。競輪の取材、また五輪を見て、そして先にあるパリの自転車競技場を思った時に、とりとめもなく考えたものである。

 自由とは、自分ではない誰かを、何かを尊重することだと思う。


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前田睦生

Maeda Mutuo

鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。

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