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「俺、競輪選手やめるわ」妻の介護で強制引退 伴侶と仕事を一度に失った元S級レーサーの歩み

2024/06/19 (水) 11:00 52

大井浩平さんが最後のレースを走った立川競輪場、写真はイメージ(photo by Shimajoe)

「俺、競輪選手やめるわ」

 この衝撃的な言葉で始まるのは、今年5月に出版された元競輪選手、大井浩平(84期)さんが半生を振り返る著作『あたたかい花をみんな持っている』です。

 著者は引退理由を次のように明かしています。

「アキが亡くなった2016年12月、時を同じくして私は競輪選手を引退した。正確には、自ら引退したわけではなく、競技規則に則った上での引退」(p.148)

 妻の介護のために競輪選手というキャリアを手放した経緯、愛する配偶者を失った深い悲しみ、そしてシングルファザーとして新しい人生を歩み始める様子が、率直な語り口で描かれています。

介護と競輪選手を続けることの葛藤

 大井さんは21歳のときに、2000年4月に宇都宮競輪場でデビューし、初日に初勝利を挙げました。06年9月には函館競輪場で節目の100勝を達成。昇級も果たし、08年7月に伊東温泉競輪場でS級の初勝利を挙げます。

 しかし、それから成績は徐々に下がり始めました。

 競輪選手には、半年ごとに下位数十名が強制的に引退させられる制度があります。大井さんは、必要な出走回数や平均得点を満たせませんでした。2016年4月27日から29日に立川競輪場で開催された「立川けいりん(FII)」最終日のA級チャレンジ選抜で6着となり、これがラストランになりました。その後は欠場が続き、17年1月におよそ16年間の現役生活を終えることになります。

 この成績不振には、レースでは見えない理由がありました。33〜38歳(2011〜16年)にかけて、難病の妻につきっきりで介護をしていたからです。妻の亜樹子さんは難病の「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)を抱えていました。体が次第に動かなくなる病気です。

 2人が結婚したのは2011年で、約1年後にALSと診断されました。息子のしょうたろう君はまだ生後7か月で、本来であれば家族として希望に満ちたはずの時期です。大井さんは当初、現実をまったく受け入れることができませんでした。しかし、残念ながら亜樹子さんの病状は悪化してゆきます。この出来事は、競輪で勝つためだけに生きてきた大井さんにとって、人生の大きな転換点となりました。

「競輪選手を引退しよう、私はアキのために尽くす」。奇跡を信じ、ALSが治るという施設への入所を夫婦で決断しました。これは、競輪のレースに出走しないことも意味していました。亜樹子さんが亡くなる約3年前のことです。

HTWE/Shutterstock.com

 一方で、競輪選手として、常に葛藤し続けます。

「私の本当の気持ちは何だったのか。介護をしたいのか、それとも競輪選手としてやっていきたいのか? 私は、自分の本当の気持ちを置き去りにし、介護に専念すると決意したのだった」(p.117)

 介護は一人で行うには限界があります。特に、厳しい競輪の世界に身を置きながら、介護も行うのは非常に困難です。

 最愛の家族の介護でもあったとしても、体力には限界があり、過剰な負荷に心は悲鳴を上げます。本書では、家族の介護に苦しむ人たちに向けて「積極的に社会のサービスを利用してほしい」と呼びかけます。魂が至高のもの、美しいものを求めていたとしても、心がそれに答えられるとは限らないのです。

「介護を受ける側は、家族に執着しやすくなりますが、執着を続けるとお互いを苦しめます。(中略)介護する側は、あまり責任を負わず、自分自身を大切にしてください。いくら体力に自信があっても必ず一人になる時間を作ってください。レスパイトや介護ヘルバーなどの社会の制度をご検討下さい」(p.139)

元競輪選手のセカンドキャリア

 天職や家族、友人との関係には、いつか別れがやってきます。こうした悲しみは競輪選手に限ったものではなく、多くの人々に共通するものです。

 大井さんは妻と競輪選手という仕事を一度に失った体験を「最上級の薬」と理解しました。「何のために生きているのか?」という問いには「笑うために生きている」と考えたのです。

「競輪選手を経て妻の介護、死を看取り骨身を削り妻の命に寄り添った時間があったからこそ、その傷(引用者注:少年時代から身につけてしまった心の動きの癖や言動の癖)に氣がつくことができたのでした。これらの経験を自分だけに起きたことだけに留めず、また不幸な事だったとは捉えずに、成長のための最上級の薬だったと捉えることができました」(p.6)

 40代といえば、多くの人にとって大きな変化をためらう年齢かもしれません。しかし、大井さんは新たな道へ踏み出しました。

 シングルファザーとして息子を育てながら、理学療法士(運動機能に障害がある人らの回復や予防を助ける国家資格)の専門学校に通い、基礎医学を学び始めました。妻が抱えていたALSについて、医学的に理解したかったのです。また、両親など大切な人たちが次々と亡くなっていく中で、病気にならなければさらに長く楽しい時間を過ごせるはずで、健康的に生きていく方法を探求したいとも考えました。こうして、国家資格を取得します。

maxim ibragimov/Shutterstock.com

 いま、大井さんは地域の子供たちや大人たち向けの運動教室や、夫婦のコミュニケーションの大切さを伝えるお話会などを開いているそうです。人の助けになるためにその経験を共有しようとしています。また、新たなキャリアを築く中で、似たような人生の苦難を経験した、生きる支えとなる女性との出会いも描かれています。人生の中には、さまざまな救いが用意されていると感じさせるエピソードです。

『あたたかい花をみんな持っている』は、競輪選手の生活や介護の現実、愛と失意、そして生きる意味を探求する旅を描いた実話。競輪ファンだけでなく、一般の読者にも生き方の参考になる一冊です。(netkeirin編集部・木村邦彦)

【参考文献】大井浩平著『あたたかい花をみんな持っている:夫婦の笑顔が地球を救う』(My lSBN、デザインエッグ社、2024年5月6日発行)


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