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【伏見俊昭と二世選手】太田真一の息子・太田龍希との初連係で感じる月日の早さ…そして過去の記者への態度に今大反省

2024/04/28 (日) 18:00 35

 netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは。伏見俊昭です。
 今月は3月小倉での競走エピソードや2024年後期の級班などについてお話ししていこうと思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

同期・太田真一の息子、太田龍希との初連係

 3月小倉FIの初日予選で同期・太田真一君の息子である太田龍希君の番手を回りました。最近は二世選手が増えて、太田君だけでなく、郡司盛夫さんの息子の郡司浩平君、渡辺晴智さんの息子の渡辺雅也君、小原則夫さんの息子の小原丈一郎君などとも連係しています。お父さんと一緒に走っていた時は、まさかその息子さんと走ることになるなんてまったく考えたことはなかったですね。月日が経つのは早いなぁとしみじみ感じています。

 九州の番組さんは北日本同士っていう感じの区切りをしないことが多い感じがします。初日から太田龍希君の番手を回れる組合せなんて、粋な計らいですよね。東日本の競輪場だとあんまりないと思います。なので九州地区を走る時にはそういう楽しみもあるんです。龍希君とは地区が違うけど、いずれ連係することはあるかもと思っていましたが、まさかこのタイミングだったのはビックリ。

同期でも太田真一君の息子、太田龍希君と初連係(撮影:北山宏一)

 龍希君はお父さんに厳しく育てられたんでしょう。きっちりあいさつをしてくれる好青年。連係するので少し、作戦会議みたいな話をしたんですが、「前からならこう」「後ろならこう攻めたい」ってきっちり主張して、自分のスタイルも持っていました。レース本番もだけど、何から何まで文句のつけようがない。結果もワンツーだったので、これ以上ない内容での初連係は終わりました。この連係を見てお父さんの(太田)真一君はどう思ったのかな?どういう心境なのか?「うちの息子を使って1着をとりやがって」って腹の中で笑っているかもしれないですね(笑)。

 真一君と龍希君は顔が似ているのはもちろん、フォームもそっくり。お父さんより息子のほうが身長も高くてスラーっとしてはいますが、本当に乗り方がそっくりです。深くは話してないので性格はわからないけど、お父さんと同じく、しっかりしているのは感じましたね。レースの直前になると顔つきも変わるのもお父さんゆずりかな。顔つきが変わる選手は強いなって思いますね。

出走表を見て「大丈夫か、自分?」

20代の選手にはまだまだ負けない気持ちで挑む(撮影:北山宏一)

 今年は山崎芳仁君の息子の歩夢君も7月に125期生としてデビューします。岡部芳幸さんの息子の怜音君も去年、デビューしていますしね。僕と同期の十文字菊雄さんの息子さんも養成所に合格したし、彼らとも近いうちに連係することになるのかもしれないですね。

 二世選手と走ると自分の息子と走っているような感覚で、自分の年齢も感じます。でも競輪はその若い選手と僕くらいの年齢の選手が対等に走れるのがおもしろいスポーツですよね。出走表を見て相手が20代の選手ばっかりだと「大丈夫か、自分?」って思います(笑)。自分が若いときに自分の父親くらいの選手と走ると「負けるわけないだろ」って思っていましたからね。ということは今は僕が「こんなオッサンに負けねーよ」って思われているってことですよね。いやいや、待て。まだ負けないぞって逆に思うようにしていますけどね。

 レースの中で自分が一番年上だった時に1着取れるとすごく気持ちいい。若い選手を一蹴してやったぞって。そういう反抗心を持ちながらモチベーションを保つようにもしています。

70歳まで競輪選手をやるという宮倉勇さんからは元気をもらう

 4月の久留米FIで宮倉勇さんとご一緒しました。宮倉さんが僕のレースを見て「よく伸びてたよ。まだまだイケるね」って褒めてくれました。宮倉さんは今年、還暦を迎えますが、今もA1で活躍しています。「オレは70歳まで絶対、競輪選手やるから」っていつも言っているんですが、すごく信憑性がありますね。そういうのを聞くと元気をもらえます。宮倉さんは自転車も競輪も練習も好きなんでしょうね。闘争心も全然、衰えてないし、すごいなぁと思いますよ。

自信にも繋がった2024年後期はS1復帰

 2年前にS2に落ちた時は失格があったから、仕方ないと思う部分もありました。でも長年、S1の座を守ってきていたので陥落してしまったことで、奮起してすぐにS1に戻ることができました。でも今回は2年前と違って、失格もケガもなく半年きっちり走り切っていたのにS1の点数が取れなかったのでかなりショックでしたね。歳だし、脚も落ちているけど、その悔しさを感じられたので練習して、しっかりケアもして、その中で落車事故がなくて。自分なりに精一杯のことができたので、またなんとかS1に復帰できました。自分の中ではケガさえしなければS1に戻れるって自信にも繋がりました。

金成和幸はもうアテにしていない(笑)

 とはいえ、今回もボーダーライン上だったので点数は気になっていました。同じくらいの点数の星野洋輝君と「ボーダー、何点くらいかな?」とか話していました。今回は金成(和幸)には聞きませんでしたよ(笑)。テキトー人間でアテにならないことは、もうわかってますからね(笑)。確かに金成は点数にもあっせんにも賞金にも詳しいけど、それは自分に関係のあるところだけ。自分に関係のない他人のことだとすごくテキトーです。薄々感じてはいたけど前回の「伏見さん、S1取れてますよ」発言でテキトー人間であることが確信に変わりましたね(笑)。

 S1とS2の差は大きいです。S1ならビッグレースの裏開催の時に初日特選に乗れる可能性がありますからね。特選は競走得点も高いし、準決勝も主力で有利な番組になることが多いので、勝ち上がりのチャンスが広がります。そこで点数を積み上げていけば、ビッグレースの出場権にも近づきます。S2だと絶対に予選回り。競走得点を持っていても予選で勝てるとは限りませんから。

1人しか記者がいないことも…記者の人数で変わるレースの違い

昔は負けた後に話しかけられるとすごく感じが悪かったと反省(撮影:北山宏一)

 僕は記者さんが多いと雰囲気が違うなって感じたりします。記者さんが多いと自然と気持ちが高ぶります。昔は1人しか記者さんがいないような競輪場もあったし、グレードが上がれば上がるほどメディアの数が増え、前検日の雰囲気も緊張感が高まります。グランプリなんかは全くの別物。さらに五輪になるともう全然違います。GIで活躍していた頃は10人以上の記者さんに囲まれて、写真もいっぱい撮られて。気持ちがよかったです(笑)。

 でも負けた後は、あんまり話は聞かれたくなかったですね…。言い訳をしたくなかった。「負けは負け」と自分の中で切り替えたかったんです。あそこでどうしていたらよかったとか言ってたら絶対、言い訳になっちゃいますからね。だから、負けた後に話しかけられた時は、すごく感じが悪かったと自分でも思っています。負けて不機嫌でふてくされた顔で記者さんとしゃべって不快な思いもさせたくなかったし。なので負けた時はそそくさと宿舎に戻るようにしていましたね。

 過去、netkeirinのカメラマンの北山さんに僕が怒ったことがあり、怖いイメージを持っていると聞きました…。多分、負けた時に何かあったのしょう。この場をかりてお詫びします。なんで怒ったのかは思い出せないので、北山さん!今度、お会いしたときに教えてください(笑)。


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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