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山田裕仁のスゴいレース回顧

【瀬戸の王子杯争奪戦 回顧】デキに左右されない“超一流”の走り

2024/03/04 (月) 18:00 34

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが玉野競輪場で開催された「瀬戸の王子杯争奪戦」を振り返ります。

瀬戸の王子杯争奪戦で優勝した松浦悠士(写真提供:チャリ・ロト)

2024年3月3日(日)玉野12R 開設73周年記念 瀬戸の王子杯争奪戦(GIII・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢

①松浦悠士(98期=広島・33歳)
②平原康多(87期=埼玉・41歳)
③山口拳矢(117期=岐阜・28歳)
④岩津裕介(87期=岡山・42歳)
⑤村上博幸(86期=京都・44歳)
⑥佐藤龍二(94期=神奈川・35歳)
⑦取鳥雄吾(107期=岡山・29歳)
⑧中本匠栄(97期=熊本・36歳)
⑨眞杉匠(113期=栃木・25歳)

【初手・並び】

←⑨②⑥(混成)⑦①④(中国)③⑤⑧(混成)

【結果】

1着 ①松浦悠士
2着 ④岩津裕介
3着 ③山口拳矢

昨年のビッグ覇者も出場!豪華な顔ぶれが集結

 3月3日には岡山県の玉野競輪場で、瀬戸の王子杯争奪戦(GIII)の決勝戦が行われています。このシリーズには、S級S班で中四国を代表するスター選手でもある、松浦悠士選手(98期=広島・33歳)と清水裕友選手(105期=山口・29歳)が揃って出場。また、眞杉匠選手(113期=栃木・25歳)、山口拳矢選手(117期=岐阜・28歳)と、昨年のビッグ覇者も出場という、なかなか豪華な顔ぶれとなりました。

 そんな強力な相手関係のなか、見事に初日特選を勝ったのが平原康多選手(87期=埼玉・41歳)。打鐘から先行した眞杉選手の番手から抜け出して、幸先のいいスタートを切りました。平原選手は続く二次予選でも1着をとり、再び眞杉選手との連係した準決勝は3着で勝ち上がり。昨年は落車とケガに泣いた関東の実力者が、ようやく調子を上げてきたといったところでしょう。

 1月に鎖骨を骨折していた眞杉選手は、少しずつ調子を取り戻している様子。体調を崩していた山口選手も、復調気配を漂わせていましたね。デキのよさが目立っていたのは、ここ玉野がホームバンクである取鳥雄吾選手(107期=岡山・29歳)。初日特選では失敗して何もできずに終わってしまいましたが、2日目以降はうまく修正できていたように思います。これならば、決勝戦でも期待できそうです。

眞杉匠(写真提供:チャリ・ロト)
取鳥雄吾(写真提供:チャリ・ロト)

 そんな選手たちとは対照的に、あまりいいデキとは感じられなかったのが、松浦&清水の中国ゴールデンコンビ。年明けからずっと好調モードの清水選手ですが、初日特選で3番手から捲って伸びきれなかったのは気がかりでしたね。そして、準決勝では残念ながら4着に敗退。松浦選手は2着を3回続けての決勝進出と、相変わらず安定感はありますが、こちらも高松記念のほうが気配はよかったように感じました。

中国勢、関東・南関勢、山口らの混成ラインの三分戦

 三分戦となった決勝戦。中国勢の先頭を任されたのはデキのいい取鳥選手で、岡山勢の間に入るカタチで、ここは松浦選手が番手となりました。3番手を固めるのが岩津裕介選手(87期=岡山・42歳)で、準決勝では同じくライン3番手から、松浦選手を差し切って1着をとっています。取鳥選手が主導権を奪えそうなメンバー構成でもあり、地元ファンの期待に応えるような、気持ちの入った走りが期待できそうですね。

 関東勢は、当然ながら眞杉選手が前で、その番手を平原選手が回ります。復調途上とはいえ、機動力上位で立ち回りも上手なのが眞杉選手。番手の平原選手も、ここは優勝するチャンスが十分にありそうです。関東勢の後ろの3番手には、南関東の佐藤龍二(94期=神奈川・35歳)選手がつきました。眞杉選手の走り次第では、佐藤選手にまで勝機が巡ってくるかもしれません。

 最後に、山口選手が先頭の混成ライン。番手は村上博幸選手(86期=京都・44歳)で、中部近畿の連係となります。こちらの最後尾を固めるのは、中本匠栄選手(97期=熊本・36歳)。山口選手は、ここは中団で臨機応変に立ち回るか、後方から一気に捲るようなレースとなりそうです。取鳥選手と眞杉選手が前でもがき合うような展開にでもなれば理想的ですが、果たしてどうなるか。

繰り広げられる激しいバトル!眞杉vs取鳥、そして山口

 それでは、決勝戦のレース回顧といきましょう。スタートを取ったのは2番車の平原選手で、眞杉選手が先頭の混成ラインが前受けに。中国勢の先頭である取鳥選手は、中団4番手からとなりました。そして、山口選手が先頭の混成ラインが後方7番手というのが、初手の並び。レースが動き出したのは、青板(残り3周)周回の第3コーナー付近からで、後方の山口選手がポジションを押し上げていきます。

 山口選手は、赤板(残り2周)通過の手前で眞杉選手の外からまずは抑えて、先頭誘導員が離れると同時に斬って先頭に。眞杉選手は突っ張らず、いったん引いて様子をみます。そこに、間髪を入れず外から動いたのが取鳥選手。赤板後の1センター過ぎで先頭に立ち、内にいた山口選手はその後ろに入りますが、後方となっていた眞杉選手が打鐘前から仕掛けて、前を叩きにいきました。

赤板の様子(写真提供:チャリ・ロト)
赤板過ぎ1センター(写真提供:チャリ・ロト)

 そしてレースは打鐘を迎えますが、先頭の取鳥選手は、ここで引くわけにはいきません。一気に前へと踏み込んで応戦したことで、中国ライン3番手の岩津選手と山口選手との間に、スペースが生まれました。眞杉選手は一気に取鳥選手を叩きにいくのではなく、いったんそのスペースに入り込むのを選択。しかし、鐘後の2センターで、山口選手の外にいた平原選手が、連係を外して離れてしまいました。

打鐘過ぎ2センター(写真提供:チャリ・ロト)

 これで、眞杉選手は単騎での4番手に。平原選手は後退しますが、打鐘後の4コーナーを回るときに内の中本選手にアタックして、そのポジションを奪いにいきました。いったんは中国勢の後ろに入った眞杉選手ですが、ここで腹をくくったのか、先頭の取鳥選手を改めて追撃開始。最終ホーム手前からの単騎捲りで、最終1センターでは先頭の取鳥選手の外に並びかけ、激しくぶつかり合います。

最終ホームストレッチ(写真提供:チャリ・ロト)

 眞杉選手を迎え撃った先頭の取鳥選手は一歩も引かず、先頭を死守。しかし、このもがき合いで両者は一気に脚を使ってしまいます。ここで、前にいる取鳥選手と眞杉選手が力尽きて失速する…と見越して動いたのが松浦選手。最終バックの手前で、前が詰まる前にスッと外に出して、自力に切り替えて前を捲りにいきました。松浦選手は最終3コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切ってしまおうという態勢です。

最終2コーナーの様子(写真提供:チャリ・ロト)

 これで絶好の展開となったのが、松浦選手マークの岩津選手や、その直後3番手につけていた山口選手。準決勝と同様、岩津選手が松浦選手を最後の直線で差して地元記念優勝…といったシーンを思い描いた人もいたでしょうね。山口選手も理想的な展開だったはずで、最終3コーナーから全力で捲りにいきますが、その差がなかなか詰まらない。山口選手の番手にいた村上選手は内に斬り込んで、4番手で前を追います。

デキがイマイチでも最高の結果、松浦悠士の安定感

 そして最後の直線。松浦選手の外に出した岩津選手が差しにいきますが、先頭に立った松浦選手の脚は鈍らず、その差をジリジリとしか詰められないまま。その外から前を追った山口選手も、松浦選手を一気に捉えるような勢いはなく、内の村上選手との併走になっています。さらにその後ろでは平原選手も伸びていますが、これは勝負圏外。優勝争いは、松浦選手と岩津選手に絞られました。

 ゴール前は僅差の争いとなりましたが、先にハンドルを投げた松浦選手が接戦をモノにして、先頭のままゴールイン。地元の岩津選手が2着で、こちらも接戦となった3着争いは外の山口選手が競り勝ちました。その後は、4着が村上選手で、5着に平原選手。まずは取鳥選手が主導権を奪い、そこから見事にバトンをつないだ松浦選手と岩津選手がワンツーを決めたのですから、これはもう中国勢の「完勝」ですね。

 最終バックからの番手捲りで松浦選手が抜け出し、それをマークする岩津選手が最後の直線で差を詰める…という、まるで準決勝の再現のような展開に。しかし、準決勝では差されても決勝戦では差されないというあたり、さすがは松浦選手ですね。準決勝よりも「自分の仕掛けたいタイミング」で捲れたというのも、早め先頭から押し切れた理由のひとつ。デキがイマイチでも最高の結果を出せるこの安定感は、本当に素晴らしい。

 着差が着差だけに岩津選手は悔しかったでしょうが、あの展開で差せなかったのですから、悔しさと同時に納得感もあるはず。いい展開で伸びきれなかった山口選手については、レース後に「脚がキテいて追走で一杯だった」とコメントしていたように、調子を上げてきたものの、まだ本調子ではなかったということでしょう。いわき平・競輪ダービー(GI)の連覇を目指すべく、さらなる上積みを期待するとしましょう。

平原康多はまだ復調「途上」か

 調子を戻してきていた眞杉選手の仕掛けを合わせきって、前に出さなかった取鳥選手も強いレースをしていました。最後は完全に脚が上がって最下位という結果でしたが、この結果に導いた“立役者”は間違いなく彼ですからね。これで自信をつけて、さらに上を目指してほしい。そして最後に、眞杉選手との連係を外してしまった平原選手について。眞杉選手が一気に前を叩きにいかなかったのが、想定外だったのかもしれません。

平原康多(写真提供:チャリ・ロト)

 とはいえ、アレはちょっと残念な走り。あそこでも眞杉選手の番手を死守し、一緒に上がっていけていたならば、まったく違う展開と結果になっていたでしょうからね。タラレバになりますが、平原選手が優勝という可能性もそれなりにあったはず。このあたりも含めて、やはりまだ復調「途上」ということなのでしょう。4月に走る地元開催の西武園競輪(GIII)では、さらに調子を上げてきた平原選手の姿を見たいものです。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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