2025/08/20 (水) 12:00 16
日刊スポーツ・松井律記者による競輪コラム『競輪・耳をすませば』。10代の頃から競輪の魅力に惹かれ、今も現場の最前線で活躍中のベテラン記者が、自由気ままに綴る連載コラムです。
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競輪選手に限らないが、スポーツ選手のセカンドキャリアはなかなか難しいものがある。身内が家業をしているとスムーズに移れるケースもある。でも、競輪しか知らないまま社会に放り出されると苦労してしまう話はよく耳にする。
評論家になれる人は、ほんのひと握り。競輪関係で職を探すとなると、検車係の仕事や、競輪場の警備の職に就く者が多い。飲食店や治療院を開業したり、事業を起こして成功する者もいるが、これもまた統計で見るとさほど多くない。
これまでに選手から引退の相談を受けることが何度かあった。年齢などにもよるから答えは難しいが、この職業を間近で見て憧れてきた私からすれば、やりがい、時間の自由さ、もらえる賃金を見ても競輪選手よりいい仕事はなかなか少ない。ケガのリスクや、練習のキツさを加味してもそう思う。選手は努力次第でランクや賞金が上がるが、勤め人はそう簡単ではない。
私はその都度、こんな風に答えてきた。
「こちらの世界にはいつでも来られる。でも、次が何も決まっていないなら辞めない方がいい。あと3年頑張れると思ったら、続けた方がいいと思う。その間に次の人生のことを考えてはどうか?」と。
それは、競輪の選手寿命が他競技よりも長く、収入が安定していることと、現役時代よりもセカンドキャリアで輝く人の方が圧倒的に少ないと感じてきたからだ。
前フリが長くなったが、そんな素晴らしい職業をサッと手放してしまった元選手がいる。
84期の大井浩平君は、2000年にデビューし、8年後にS級昇格。順風満帆かと思えたが、2011年ごろから成績が急降下し、2017年に引退を余儀なくされた。この時まだ38歳だった。
大井君とは引退後もSNSではつながっていたが、連絡を取り合うことはなかった。ところが昨年、こんな形で新たな関係が始まった。
大井君と同期の鈴木誠選手(福島)が、2023年6月の落車で腰椎破裂骨折という選手生命を脅かす大ケガに見舞われた。2度の手術を行い、1年半の時を経て、昨年の12月に復帰した。大井君は松戸競輪場の金網越しに復帰戦を見守り、発走機につく鈴木君に向けてのどが枯れるほどの声援を送った。声に気づいた鈴木君は勇気をもらい、とても感動していた。その話を私が記事にすると、それを読んだ大井君から私に連絡があり、そこから会って食事をするようになった。深く人が関わる競輪は、こうしてつながりが広がる事がある。素晴らしい瞬間だった。
大井君は結婚1年後に、奥様が「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という難病を発症してしまう。看病しながら幼い子の面倒も見ていたため、成績がみるみる下がってしまった。この生活は約5年続いたが、月に何日も家を空ける競輪選手の生活を続けるのが困難になり、家族のそばにいる決断をした。
大井君はこの頃の話をまとめた著書『あたたかい花をみんな持っている』を昨年7月に出版した。大井君の引退の経緯や現在についてはnetkeirinでも掲載されているので、詳細はこちらを読んで欲しい。
▶︎「俺、競輪選手やめるわ」妻の介護で強制引退 伴侶と仕事を一度に失った元S級レーサーの歩み
引退後の大井君は、なかなか職が定まらず、紆余曲折あった。それでも、今はマッサージ師として働く傍らで、依頼があれば妻の介護経験を生かした講演会なども行っている。
奥様が亡くなられたのち、シングルファザーとして育ててきた長男は中学2年生になった。少しシャイな彰多郎君はバスケットボールに夢中で、高校はバスケの強豪校への進学を目指している。
現在、函館競輪場で開催されているオールスター競輪に親子で来場している。大井君は茨城籍で引退したが、もともとは北海道の出身。デビューから10年目までは北海道の所属だった。今回は選手会からイベントの手伝いを依頼された。
「来年は高校受験だし、親子でこうやって旅ができるのも最後かもしれない」
こう考えて、ここに彰多郎君を帯同させたのだ。
あのまま平穏に選手生活を続けていられれば…。こう考えたことは何度もあるだろう。でも、寿司屋で皿の寿司を分け合う2人の姿を見て、あの決断が間違いなかったことを確信した。
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松井律
Ritsu Matsui
松井 律(マツイ リツ) 記者歴30年超、日刊スポーツのベテラン競輪記者。ギャンプル歴は麻雀、パチンコ、競馬と一通りを網羅。競輪には10代の頃に興味を持ち始め、知れば知るほどその魅力に惹かれていった…。そのまま競輪の“沼”に引き摺り込まれ、今日も現場の最前線で活躍している。