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【伏見俊昭と級班】あと一歩届かなかったS1の壁、そして今年勝ち星をあげられなかった原因とは…

2023/11/14 (火) 12:00 45

 netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは。伏見俊昭です。
 今回は最近の競走や来期の級班、そして皆さまからいただいた質問について、お話ししていこうと思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

やっとのことで掴んだ5勝

 2023年10月青森競輪FIの初日(20日)、準決勝(22日)では1着を取ることができました。これで今年は5勝。今まではだいたい2ケタ以上の勝ち星をあげていたけれど、今年はなかなか勝ち切れなくて、やっと5勝です…。

 落車もしていないし、体の状態も悪いわけではないのに、勝ち切れないとやっぱり色々と考えてしまうんですよ。でもそこは気持ちが折れないように、気持ちで負けないようにと常に思っていました。しっかり練習もケアもやって、自信だけは失わないようにレースに挑んでいました。青森では地元地区ということもあったし、前の嵯峨昇喜郎(青森)君が頑張ってくれたので、2勝できました。そのおかげで『まだ今年の残りのレースも戦える』っていう気持ちになりましたね。決勝戦はダメだったけど、2月の四日市FI以来の久々の決勝戦だったので、『決勝で戦うのは楽しい』という気持ちも思い出せました。

 今年は初戦のいわき平FIで一度も確定板に上がれなくて、幸先の悪いスタート。でも脚の感じが悪いわけじゃないし、昨年末の広島記念、伊東記念ではそれなりの結果も残せたので、年明けから奮起して頑張ろうと思っていたんです…。いわき平で波に乗れなかったのが、そのあともずるずる引きずった感じですね。

知らず知らずの間にコロナの影響を受けていたかもしれない(撮影:北山宏一)

 思い当たる節は…昔からお世話になっている元選手の小林健司さんがやっている、宇都宮にある整体院「リラックスハウス」に行った時のこと。

 小林さんに「何回かコロナにかかっているね」と言われたんです。コロナ禍のころは競走に参加する前には必ずPCR検査を行って、すべて陰性を確認しているので、自分的にはコロナにかかったという意識は全くないんです。小林さんは体を触るとその人の症状がわかってしまう、僕にとっては神様のような人。その小林さんが「コロナにかかった人はみんな同じ症状。左の腹筋が抜けて左足が踏みづらくなっていてわかる」と言ったんです。家族がコロナにかかったこともあるし、無症状でも陽性の人もいるから、知らず知らずのうちに僕もかかっていたのかも。周囲にコロナにかかって後遺症で苦しんで調子が上がらない人もいたし、もしかすると僕もその後遺症を今年は引きずっていたのかもしれないですね。

 幸い昨年6月から落車はしていないし、練習もしっかりできているのに、ここまで結果が出ないのは選手になって初めてだったので、とても苦しかった。成績が悪くなると、どうしてもマイナス思考になってしまうけど、気持ちで負けないようにポジティブな気持ちを前面に出し切っていきたいですね。

0・1点足りずに逃したS級1班

点数計算が得意な内藤宣彦さん(撮影:北山宏一)

 当コラムで前期(2023年1〜6月)の最後にS級1班の点数をかけて走ったことをお話ししました。期末の最後に前橋記念の追加が入り、S1点数確保の最後のチャンスをいただいたという内容です。2、7、4、2着で2回、確定板にも上がれて103・33点まで点数を上げて前期を終了しました。そこで一緒だった他の選手のあっせん状態を把握し、点数計算が大得意な同県の後輩・金成和幸が「伏見さん、この点数なら大丈夫ですよ」と太鼓判を押してくれたんです。さらに7月小田原FIでやっぱり点数計算が得意な内藤宣彦(秋田)さんが「大丈夫だよ」って言ってくれたんで、自分も大丈夫と思い込んでいました。

 次の7月玉野FIで佐藤愼太郎(福島・83期)君とも点数の話になったんです。彼はなんと「103・33」と僕とまったく同じ点数で「杉山(悠也)に多分ダメですよって言われました」って言ったんですよ。「そんなことないだろう、金成と内藤さんに大丈夫って言われたぞ」ってその場では反論しましたが、期末から一転、どんどん不安になっていってしまいました。級班確定発表の10月31日までの4ヶ月間、ずっと落ち着かなくて。ボーダー上にいるってこういう気持ちなのか。S2とA級やA級とチャレンジのボーダーにいる人はもっと気が気じゃないんだろうなとも思いましたね。結果はS級2班。ボーダーは103・4くらいで0・1点ほど足りませんでした…。

 あの前橋記念は過去イチで疲れたといっても過言ではない。変な走りはできないって気が張っていたし、夜も熟睡できなかった。僕がS1の点数のボーダーって(渡辺)一成君や(小松崎)大地君もわかっていただろうけど、そんなこと口にしないし、僕も自分から点数かかっているから頼むよ、なんてかっこ悪いから絶対言えない。それに優勝候補の2人に気を遣わせたくなかった。それでも2人とも僕がついた時は早めに仕掛けてくれて結果、2着に連れ込んでくれました。それなのにS1に届かなかったという結果を知ったときは、彼らに申し訳ないという罪悪感も生まれました。

競走得点にうるさい男・金成和幸

 別件で金成からLINEが来たんです。今は落車のケガで競走を休んでいるというので、青森で一緒だった金成の弟子にお見舞いを託しました。そのお礼のLINEがまた来たときに「オマエが点数大丈夫だっていうから安心していたのに、ふざけんじゃねーよ!」って返信しておきました(笑)。そしたらすみませんみたいなスタンプと「今年は公傷でもう走れないんで来年またよろしくお願いします」ってメッセージが来たから、思いっきり既読スルーしてやりましたよ。

 前期の反省を踏まえて、今期はそういうことのないようにって走っていたのに、今は103点くらいでまたまたボーダー (笑)。前期の最後は神経質過ぎたから、今期は開き直って走った方がいいかもしれないですね。

今年は世代交代と言われているが…

同世代の慎太郎の奮闘する姿は励みになる(撮影:北山宏一)

 「ダービー(日本選手権競輪・GI)」で山口拳矢(岐阜)君、「オールスター競輪(GI)」で眞杉匠(栃木)君が優勝して、来年のパリ五輪を目指す中野慎詞(岩手)君、太田海也(岡山)君らの台頭もあって世代交代って言われているんでしょうか。

 年を重ねると結果を出すのが難しくなり、若手はどんどん成長してくる。世代は常に少しずつ交代しているんじゃないかな。平原(康多)君は今年、アクシデントがあって苦しんでいるけど、それでも存在感は発揮しているし、なにより同世代の(佐藤)慎太郎が奮起して頑張ってくれているのが励みになりますね。ナショナルチームのトレーニングの影響もあって年々、トップスピードが高くなっているのに、その若い選手相手に戦ってしっかり勝ち切っているからすごいなと思います。同世代が頑張っていると、自分もまだまだ頑張らなくちゃって気持ちになります。

 自分が初めてタイトルを獲ったころは記者さんが『世代交代』って記事にしてくれましたが、自分ではよくわからなかった。選手が自ら「世代交代です」とも言わないですしね。

芸能人みたいにキャーキャー言われた一瞬

 最後にユーザーさんからの質問にお応えします。

ーー競輪カレンダーの常連だったころ、モテたと思いますが、その時のエピソードを教えてください。

 この方は僕がモテていたと思ってくださっているんですね。GIとかKEIRINグランプリを勝っている姿からでしょうか。それとも個人的に僕の顔が好みとか…?(笑)

 最初に言っておきますが『モテてはいない』です。
 僕がスーパーイケメンっていうならわかるんですけどね。高校時代の自転車部の同級生からは「恐竜」って呼ばれていたんですよ。選手になったら俵(信之)さんから「ラクダマン」って言われていました。恐竜とラクダですよ(笑)。ヤマコウ(山口幸二)さんには「ゴー〇ャス」ってあだ名をつけられました。ゴー〇ャス〇野さんのファンの方に失礼があるといけないのであえて伏字にしておきますが、魅力的なプロレスラーですよね。

モテ期が到来したオリンピックの直後(写真:本人提供)

 でも唯一、モテモテだった瞬間があるんですよ!
 それはオリンピックの直後。2004年のアテネ五輪のチームスプリントで銀メダルを獲得することができました。帰国すると恩師や知人から学校、幼稚園で講演をしてくれないかという依頼が殺到しました。母校の白河実業高に行ったときは女子高生がキャーキャー言っていてびっくりしました。テレビで芸能人がキャーキャー言われているのを見てすごいなと思っていましたが、まさか自分がその立場になるとは。芸能人気分を味あわせてもらって、メダルの力ってすごい、メダルを獲れてよかったなってしみじみ思いましたね。

 ま、ほんの1ヶ月くらいでモテ期はあっさり終わっちゃいましたけど(笑)。


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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