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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭の一問一答②】競輪選手になっていなかったら…マグロに賭けた男になっていたかもしれない

2023/10/09 (月) 18:00 29

 netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは。伏見俊昭です。
 今回は皆さまから送っていただいた質問に少しですが、お応えしていこうと思います。皆さんの聞きたいことをお話ししていきたいと思いますので、これからもどしどしご応募してくれたらうれしく思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

ーー他の選手と並びや戦法などで意見が分かれた、同地域で競りなどのエピソードがあればお聞かせください。

 勝ち上がり段階では、番組さんが点数とかを加味して番組を作ってくれるので、あまり意見が分かれるようなことはないですね。

 でも、決勝戦だと違います。例えば先行3人とか全員追い込みとかになると、並びを決めるのも時間が掛かりますし、意見の食い違いも出てきます。過去には納得のいかないこともあったし、わがままを通してしまったことも。点数が低かったけど、同県だから番手を回らせてくれって言ったこともあります。同県重視って人もいれば、そうじゃない人もいる。過去に世話になったことがある人がその時、点数を持ってなくても前を回ってもらったりとか、並びを決めるのはなかなか難しいですね。

同地区、同県でラインを作ることがほどんど(撮影:北山宏一)

 今は同地区、県別でラインを作ります。ラインがあれば、作戦会議とまではいかなくてもやっぱり話しはしますよね。先頭の自力選手の意見を聞きつつ、番手、3番手の選手が「ああした方がいいんじゃないか、こうした方がいいんじゃないか」って。そのなかでやっぱり一番前の自力選手の意見を重視して、どういう作戦がみんなにチャンスがあるかなって。先頭の選手が後ろの意見を聞かず、自分だけ届くような走りばっかりしていれば、そのうちその選手にはラインができなくなったりもする。「打鐘でカマせたのに、あそこでまくりに行けたのに」というのが続けば、マーク選手は次からは「別で走るよ」ってなるし。

 同地区での競りも見たことありますよ。(佐藤)慎太郎と岡部(芳幸)さんだったり、岡部さんと(佐藤)悦夫だったり。競った同士じゃないと本心はわからないけど、並びに納得がいかなかったからなんでしょうね。お互い譲れなかったら、競りになっちゃいますね。同県の選手が揃ったら「こちらは練習仲間だから番手は譲れない」とか、「師弟関係だから」とか。そういうなかで、自分がどこまで納得できるかですね。

ーー伏見選手が感じる1990年代、現代の競輪の違いがあれば教えてください。

 違いはたくさんありますね。昔は誘導のタイムがすごく遅かったけど、今はスムーズにレースできるように、タイムはかなり上がりました。誘導の早期追い抜きも罰則ができたし、イエローラインもできました。昔は金網近くまでブロックしても審議対象にもならなかったみたいだけど、今はイエローライン超えたらし失格ですね。

大ギアの時代を作った山崎芳仁(撮影:北山宏一)

 でも、一番変わったのは「ギア比」でしょう。
 僕がデビューした頃は3・57が主流でした。なんでその数字が主流だったのかは、実際のところわからない。僕もみんなが使ってるからって理由で3・57でした。

 当時は回転不足を補うために、年配の選手が3・85くらいにギアを上げていたんです。だからギアを上げるのは終わりかけている選手のイメージ。そんな状況で山崎(芳仁)君がギアをかけ始めたんです。「山崎も終わるな」って最初は言われていました。でも山崎君はギアをかけた方がトップスピードが出るということをきっちり証明して、タイトルも量産しました。彼がいなかったら3・57の時代のままだったかも。いや…世界の舞台の選手がギアを上げてきていたので、いずれは大ギアになった気もしますが、それにしても山崎君はすごいですね。当時は55×12のマックス4・58まで使えたけど、今は4・00未満なので3・93までで3・92が主流。昔はギアかけると体に負担が掛かると言われていたけど、慣れてくるもので、今では大ギアが当たり前の時代になりました。

ーーもし、伏見選手が競輪選手になってなかったら、どんな人生を歩んでいると思いますか?

競輪選手は子どものころなりたかった仕事の一つ(撮影:北山宏一)

 小学生の頃は競輪選手か野球選手になりたいって言っていたんですよ。大の巨人ファンだったし、“才能があれば”プロ野球選手だったかもしれないですね。でも、こればっかりは挑戦してみないとわかんないですからね。

 面白そうだなって思う職業は…、パティシエかな(笑)。お菓子づくりの才能があったら楽しそうって思います。ほかにはYouTubeで良く見るのは、プロギャンブラーの動画。自分に勝負強さがあったらやってみたいですね。

マグロの一本釣りは釘付け(※イメージ)

 あとはマグロ漁師にも憧れます。釣りは特に好きではないんですけど、あのマグロの一本釣りの特番が好きなんですよ。ドラマチックだしバクチ的な要素も多いし。でも実は…船にめちゃくちゃ弱くて。津からセントレア空港までのフェリーでも酔うくらい。風の強い日なんて本当にダメだし、遊園地のジェットコースターやコーヒーカップなんてもってのほか。とにかく乗り物が苦手なんです…。

 だけどマグロの一本釣りはやってみたい。

 色々並べてみると、元々の気質がギャンブラーなのか、常に勝負していたいんだと思います。時間に縛られるのもいやだし、デスクの前にじっと座っていられないので、デスクワークは絶対、無理(笑)。競輪選手以外というのは、あまり想像しにくいのですが、きっとなんらかの勝負する世界にいたんじゃないかなって思いますね。


 伏見俊昭選手へのメッセージや「こんなことを聞きたい 」「こんな話をしてほしい」などコラムのテーマを募集します。ご応募いただいた中から、伏見選手がコラムテーマを選定します。下記の質問BOXからぜひご応募ください!
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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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