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“競輪界のシンデレラ”仲澤春香は努力の人ーー打ち砕かれた五輪出場の夢、挫折から光に手を伸ばして/独占インタビュー前編

アプリ限定 2025/08/02 (土) 12:00 8

8月8日に開幕する『女子オールスター競輪』への出場が決まっている仲澤春香選手(24歳・福井・126期)。ボート競技からガールズケイリンへと転身すると、デビュー直後から数々のトップ選手を倒して優勝を積み重ねました。そしてデビューからわずか1年でGIの舞台を経験。その活躍ぶりはまさに“シンデレラストーリー”を思わせます。今もっとも旬な選手と言っても過言ではない彼女に話を聞いてみると、これまで歩んできた道のりは決して順風満帆なものではなかったことが明らかになりました。

ガールズケイリン126期・仲澤春香

ボート競技との出会い

 3人きょうだいの末っ子として福井県の海が近い街で育った仲澤。10歳上の姉はインドア派、5歳上の兄は体を動かすことが好きだったといい、「小さいころは姉と一緒に絵を描いたり、兄と一緒にキャッチボールをしたりする子どもでした」と振り返る。

 のちに打ち込むことになるボート競技との出会いは、生まれ育った地域がボート競技の盛んな場所であったことがきっかけ。中学時代にボート競技の選手を発掘するトライアウトがあり、知人から「絶対に向いているから受けてみたら」と勧められた。そこでワットバイクの数値を測定すると良い結果が出たため、推薦で高校に進学できることになった。

五輪出場の夢打ち砕いたイップス

 福井県立若狭高校へ入学した仲澤は、みるみるボート競技で頭角を現す。入学当初は部活と勉強を両立していたものの、ボート競技で結果が出始め、ナショナルチームに選ばれるようになると状況は一変。合宿が増え、勉強についていけず「成績は常にビリを突っ走っていました」と笑う。

 この頃には、ボート競技で五輪出場という明確な夢を抱いていた。

「高校からボート競技を始めてトントン拍子で結果を出せた。オリンピックに出る未来は描けていたし、きっとできると思ってやっていました」

 高校卒業後、ボート競技を続けるための進路は大学か実業団かの二択だった。

「大学に行きたい気持ちはあったけど、大学でボートを続けるとなるとひとり暮らしになり両親に負担をかけることになる。実業団の関西電力なら地元福井にあり、環境も整っていて強くなれるかなと思ったので、高卒で実業団に入ることにしました」

 関西電力入社後は、朝にボート部の練習をしてから会社に出勤し、労務などの事務作業を担当していた。大会前には勤務が免除されるなど競技生活への後押しもあったが、高校卒業前から抱えていたイップスが悪化。思うようにパフォーマンスを発揮できないことに悩んだ。社会人2年目になると任される仕事も増え、心身のバランスを崩し休職。一度は復職したものの、最終的に2年弱で会社を辞めることになった。

「心が一番苦しかったですね。すぐには先のことを考えられませんでした」

ガールズケイリンとの出会いと苦難の道のり

 関西電力退社とともにボート競技を引退した仲澤。心身が落ち着くにつれて、再びスポーツに関わる仕事がしたいと考えるようになった。

「スポーツジムのインストラクターになろうかなと。親も兄も自衛隊だったので、両親からは自衛隊に入ることを勧められました。自衛隊は環境が整っていて良い面もありましたが、自分としてはもし入隊しても将来スポーツ関係の仕事をするためのステップとして生かしたいと考えていました」

 自衛隊の採用試験は補欠合格。欠員が出れば入隊できるという状況のなか、彼女の人生を大きく変える出会いが訪れた。

「高校時代のボート競技の顧問に挨拶に行ったとき、ガールズケイリンを勧められたのです。私の顧問と林真奈美選手(ガールズケイリン110期・ボート競技から転向)のお兄さんがボート競技の指導者同士で繋がりがあった縁からでした」

 顧問からトレーナーを紹介され「断れる流れではなかった(笑)」というが、YouTubeで『ガールズケイリン選手候補生物語・明日のシンデレラ』を視聴してイメージをふくらませ、競輪にチャレンジする決意を固めた。

 しかし、競輪選手を目指す道のりは順調ではなかった。福井の冬は雪が多いため、ローラー練習から始めたものの、最初の練習で転倒。雪が溶けてからは高校生とのロード練習に参加したが「まだ自転車の乗り方もよく分かっていなくて大変だった」と苦労を語る。

 それでも練習を続け、体に合った自転車を手に入れるとタイムが向上。自転車競技の経験がなく周りとの比較はできなかったものの、ひたむきに努力を重ねた。

「仕事を辞めていたし、他の選択肢もなかったので迷いはなかったです。やるしかなかった。ただがむしゃらに、油断しないよう練習していました」

 アマチュア時代には福井競輪場で走路補助員のアルバイトも経験。男子競輪やガールズケイリンのレースを間近で見て、野次や落車も目の当たりにした。

「(落車は)音がすごいので…。怖さは感じました。でも競輪選手を目指すのを辞めようとは思わなかったですね」

 挫折の先にようやく見えた希望の光をつかむためーー。厳しい世界を目前にしても、仲澤の決意が揺らぐことはなかった。

養成所での輝かしい成績と同期との絆

 日本競輪選手養成所には自転車競技のタイム測定がある『技能試験』と身体能力を測定する『適性試験』がある。自転車競技歴が浅い仲澤だったが、技能試験をクリアし126期生として養成所の門を叩いた。

 適性試験合格者は入所前に事前研修がある。技能試験組は自由参加だが、仲澤は事前研修に参加。同期とより長く過ごし仲を深めたことで、高卒現役組が多かった126期生の中で養成所生活を楽しく送ることができたという。

「事前研修に行ってよかったですね。自分も学生時代に戻ったような感覚でした」

 さらに、日本代表を目指せるポテンシャルを認められた候補生のみが招かれるエリートクラス『ハイパフォーマンスディビジョン(HPD)教場』に126期生でただ一人選ばれたことも、ボート競技時代にオリンピックを目指していた彼女にとって大きな喜びだった。

「競技が変わっても、ナショナルチームには憧れがありましたね。でも養成所時代に大会に出たとき、当時のナショナルチーム在籍メンバー(梅川風子、太田りゆ)にまったく歯が立たず、『これは無理だな』と思いました」

 養成所では在所成績1位、卒業記念レース完全優勝という輝かしい成績を収めたが、本人は「養成所在所中に強くなった感覚はなかった」という。入所前は師匠である山出裕幸から直接指導を受けていたものの、自転車競技そのものの知識量には課題を感じていた。

「自分にとって『これだ』というものがなかった。みんながよく言う『いい感覚』がどんなものかもわからなくて、悩みました」

仲良しの平子結菜(左)と(記者提供)

 養成所に入って様々な知識や経験を得ても、苦悩を抱えていた仲澤。そんな時、相談相手となったのが同期の平子結菜だった。平子とは養成所の最初の部屋が一緒だった縁もあり、今でも開催で一緒にいることが多いそうだ。

「最初、平子は全然しゃべらない人だなと思っていたら、3人同部屋だった佐藤(乃愛)とディズニーの話ですごく盛り上がっていたんです。自分とはありきたりな会話しかしてくれないのに(笑)。訓練でも平子と一緒になることが増えて、自分から自転車のことを聞くようになって仲良くなりました。彼女はロード競技出身で、知識が豊富なのでいろいろ教えてもらいました」

迎えたデビュー 悔しさと成長の1年

 2024年5月、富山競輪場でプロデビューを果たした仲澤。スーパールーキーともてはやされ、期待を背負って臨んだデビュー戦は決勝で5着に敗れる悔しい結果だった。

「周囲の期待を意識しすぎていたのかもしれません。自分はそんなにすごいわけではないのに…。富山は決勝で飛んでしまって、ファンの方の厳しい声も聞こえてきて… 正直めちゃくちゃ落ち込みました。これがプロの世界か、やっぱり競輪選手はすごいな、と改めて思いました」

 厳しい声はファンからの期待があったからこそであり、いかに仲澤が注目されていたかを表している。

「競輪選手としてやっていくと決めた以上、注目してもらえるのはうれしいこと。競輪場でもたくさん取材をしていただきますが、自分を知ってもらえる機会があることをありがたく思っています」

 養成所卒業後も伊豆に拠点を置き、現在に至るまでナショナルチームの練習に参加している。合流当初はあまりのレベルの高さに練習にもついていけなかったと振り返る。

「(太田)りゆさんの番手に付いて、ちぎられていた。『女子選手にちぎられてしまうんだ』と衝撃を受けました」

 世界と渡り合うトップ選手との実力差を痛感しながらも7月頃には調子を上げていき、平塚と函館のルーキーシリーズを連続完全Vで締めた。

衝撃与えた7月豊橋

 そして7月、ルーキーシリーズ明け初戦は豊橋競輪場。“超新星”がグランプリレーサーの坂口楓華や、GI戦線でも活躍した日野未来(引退)を相手にどこまで通用するのか、注目が集まった。

「緊張しました。プレッシャーではなく、今までテレビで見ていた選手たちと対戦するということにドキドキしましたね。まずは新人らしく、思い切りよく走ろうと思っていたけど、いざ本番になったら緊張がすごかったです。正直自分が勝てるレベルではないと思っていました」

 初々しい気持ちでレースに臨んだことを明かした仲澤。しかし実際は予選2日とも日野未来との対戦で、初日予選は1周先行で逃げ切り勝ち。2日目も先行し、最終バックからの日野未来の捲りに合わせ切って1着。長い距離を踏んでも失速しない“根性の走り”を見せファンを驚かせた。

 決勝では予選では対戦していない坂口楓華に敗れたが、決勝2着という上々の結果を残した。この結果以上に、仲澤のスケールの大きい走りは見る者に強烈なインパクトを植え付けた。

 7月中旬の奈良で優勝を飾ると、9月の平塚ではナショナルチームの先輩である梅川風子を破る金星V。そして10月の名古屋では坂口楓華にリベンジを果たした。2024年9月から、2025年3月の企画レース『ガールズフレッシュクイーン』で熊谷芽緯に先着を許すまで破竹の23連勝。すでにルーキーシリーズ含め18度の優勝を挙げており、ガールズグランプリ出場も現実的な域に来ている。

インタビュー後編では、ナショナルチームでのストイックな日々やGI初出場となった『パールカップ』の振り返りに加え、目前に迫る『女子オールスター競輪』への意気込みを取材。知られざる素顔にも迫りました。読者の皆様へ抽選で仲澤春香選手サイン入りグッズのプレゼントもありますので、ぜひお楽しみに! 後編は8月4日12時公開予定です。

取材:デイリースポーツ・松本直
撮影:北山宏一
構成:netkeirin編集部

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