2025/08/01 (金) 15:00 19
netkeirinをご覧のみなさん、松浦悠士です。サマーナイトフェスティバルは残念ながら初日に落車。肋骨を4本折り、肺挫傷、肺気胸となってしまいました。しばらく岡山の病院に入院していて、身体も動かせない状況です。
当初、肋骨骨折は3本の診断だったのですが、鎖骨の下部がずっと痛くて、CT検査の結果、もう1本折れていました…。前回とは逆側の肋骨ですが、「バランスが取れた」というジョークも虚しくなります。今回は肺がかなり痛かったです。バンクにも血を吐いてしまうほどでした。
みなさんにドリームレースに選んでもらったオールスターがありますが、正直、もう少し日にちが欲しいところです。
それでは7月の小松島記念から振り返ります。半年ぶりにS級S班として臨んで、ワクワクした気持ち、すごく楽しみな気持ちで開催に入れました。初日を走ってみて、高松宮記念杯よりも状態が上がっている感覚もありましたね。
その初日、犬伏君は松井君との踏み合いが長くなった分、苦しかったと思います。内もいましたし、後ろからの対処は難しかったです。岩本さんが内から持ってきそうな雰囲気もあり、松井君に突っ張られた後は迎え入れる準備もしながら追走できましたが。捲ってきた森田君を持って行ったり、番手をさばきに行ったりなどの対応ができれば良かったんですが、タイミングが難しかったです。レース内容としては“流れ込んだだけ”の3着となってしまいました。
ただ、踏み出しはビリビリしながらもしっかりと追走できましたし、宮記念杯よりも上積みを感じました。落車後に宮記念杯を一走したことで、身体が変わった感触が確認できました。
二次予選は太田竜馬君、桑原さんとの連係でした。突っ張って踏まされる形にはなりましたが、二周行ってくれましたし、「確実にみんなで上がれる意識」で走ってくれましたね。太田君とは久々の連係でしたね。最近は前を取って突っ張るパターンが多かったですし、ラインで決めるには突っ張りがいいだろうと。
少し踏まされたのは想定外でしたけど、ゴールまで持つペースで行ってくれましたね。佐藤博紀さんの捲り追い込みに対処するには、車間を空けるしかないなと思っていたので、そこは意識して走りました。結果2着まで来られてしまいましたけど、ライン3人全員が準決勝へ勝ち上がれたので、最低限はできたかなと振り返っています。
準決勝は同県の西田君との連係でした。車番的にスタートは厳しそうだったので、作戦的にはとりあえず「取れたところから」という感じでしたね。西田君とは「後ろは嫌だね」と話していて、初手の位置は3パターン考えていました。結果的に前を取れて、松井君を突っ張る形に。その後、嘉永君ラインに出られた時に締め込まれ、バックを入れた感じになり、結構キツかったですね。
西田君は前回連係した時(※4月防府FI準決勝で連係)よりも、かなりダッシュもスピードもありました。7車より9車の方が強さを感じました。西田君が仕掛けた後、僕は完全に判断ミスをしました。
阿竹さんが西田君を張りに行った時に、島川君が前に踏んだのも見えました。阿竹さんの動きを待っていては3着までに入れないと判断して内に進路を取っていきましたが…。まさか阿竹さんが前と空いてしまうとは思っていませんでしたし、嘉永君も下がってきて危ない感じに…。引いて立て直す形になってしまい、間に合わなかったですね。
最終日はライン4車で自力戦でした。土生君が行くタイミングで仕掛けようと考えていましたし、事前にラインの方にも「あの辺で仕掛けます」と伝えていました。ちょうどタイミングが重なってスピードをもらえるような形になったものの、感触があまり良くなかったです。脚ではなくフォーム面ですね。“踏み方”が良くないと気づくことができました。フォームが定まっていなくて、乗り方一つで進みが大きく変わってしまう…。最終日はその点に気づきがあったのは収穫になりました。
決勝では西田君がやってくれましたね。僕が優勝した時に、待ってもらうことが多かったんですが、今回は表彰式まで見届けて、僕も終わるまで待っていました。先輩後輩関係なく、同県選手の優勝を見られるのはすごく嬉しいです。西田君は実感がなかったみたいで、あまり喜んでなかったですけど(笑)。見ている僕の方がすごく興奮していましたし、すごく嬉しかったですね。
小松島記念の初日か2日目の夜、弥彦記念の追加が入りました。とにかく競走を走りたかったので、中2日は全然気になりませんでしたね。
弥彦記念の初日特選は石原君-取鳥君の3番手。石原君はドーンと駆ける感じでしたが、あそこまで引っ張れたならもう少しだけペース配分をうまくすれば、さらに面白い戦いができたかなと振り返っています。その後の判断は雄吾に任せていました。雄吾とワンツーが決まりましたが、もっとキレが欲しいところでしたね。ただ、小松島の最終日に感じた課題に対してはしっかり修正できました。
雄吾との連係の二次予選は、堀江君が雄吾に出られてから飛び付いてきました。なんにせよ雄吾の気持ちが強かったですし、僕が堀江君をさばけたのも雄吾との踏み合いで消耗していたのもありますね。うまく対応できたと思いますが、このレースは雄吾の頑張りに尽きますね。
準決勝の石原君は強かったですね。あれ以上待ってしまうと1コーナーに入ってしまい難しい展開になるところでしたが、「ここかな!」というタイミングで行ってくれました。(後ろの)松田さんがいなくなったのはホームでわかりましたが、そこから追い上げてきてくれたのも見えていました。ありがたかったです。内に佐々木君、外に末木君がいましたが、石原君のカカリが良かったので、しっかり対応できました。ワンツーで決勝に進めたのも良かったです。走っている感触も悪くなかったと思います。
しかし、決勝はブサイクなレースになっちゃいました…。石ちゃんが仕掛けた時に浅井さんが外にいて追えず…。浅井さんが来た時に当たって自分のコースを作るとか、もっと早く判断すれば内から追い上げる動きも可能だったかもしれません。「どう追走するか?」を迷って内に抜けたところで締まってしまいました。
最終日もかなり感触が良かったですが、あんな決勝のようなレースをしてしまっては…。石原君が1人で前で駆けていたのもわかっていましたし、終始「自分はなにやっとんかな」って感じで…。脇本さんの後ろになってからも、ずっと「内空け、内空け」と思いながら走っていましたが、空きませんでした。ただ、自分の状態面については手応えを掴めたシリーズになりました。
そして地元地区のGII、サマーナイトフェスティバルを迎えました。ちょっと何が起こったのかわからないまま、初日が終わっていました。普通のけん制にしてはすごく“キュッ”と止まった感じで…。だいたい貴治君はうまく交わすなり、受けるなりするので、状況がわかりませんでした。「しっかり付いていってから」というところだったんですが…。貴治君が車体故障していたことは後から見て知りました。受け身を取る間もない落車になってしまいました。軽傷ならまだ良かったんですけど…。
今後のことはリハビリをして、どうなるのかですね。まずは動いてみないことにはなにもわかりません。まだ肺に痛みもあるし、どこまで動けるのか想像がつかない状況です。ファンの方に選んでもらったオールスターだけに諦めたくない気持ちがあります。かなり厳しいとは思いますが、今はドリームレースからの復帰を目指しています。とにかく今は早く自転車に乗れるようになりたいです!
それでは今月も質問に答えていきたいと思います!
ーー現地でいろいろなレースを観ていますが、ゴール線で「はあ!」とか「うお!」など声が出る選手がいますが、松浦選手も出ますか?
そんなに声は出ないですね。ハンドルを投げる時とかに「うーっ!」と絞り出すようなことはあるかもしれません。でも、あまり周囲に聞こえるような声ではないと思います。勝った時のゴール後に少し出てしまうことはあります。
ーー他地区の選手とラインを形成するとき、自力選手と番手選手どちらから声をかけるのでしょうか? また断ることもあるのでしょうか?
これは「どちらからも」ありますね。番組を見てから、それぞれが挨拶にいく感じです。今は断ったりしないですが、昔はありました。でも「付いていいか?」というところで断ったことはないですし、断られたこともないですね。ただ、「付いて欲しい」と言われて、断り切れなかった経験はあります。今は中四国以外にはしばらく付かないと思っています。
ーーレース前に作戦を立てる時、意見が違うこともあると思います。そういう時はどちらかが折れたり、不満を抱きながら走ったりすることもあるのでしょうか?それとも「作戦」というのはそこまで詳しく決め事を作らない“ふわっとした感じ”なのでしょうか?
うーん、これは全部ありますね。完全に人による感じです。全然何も決まらず、ふわっと「スタートの位置だけ決める」とかもありますし、自分が前の時は「ここだったらこうしてああして」とかやりますし、決める時はかなり決める方です。
決めない時は、たとえば「前か中団を取って」とか「行けるところから行きます」っていう感じもありますね。昔は「(うーん、それは結構厳しいんじゃないかなぁ)」って思いながら走ったこともあります(もちろん前に任せているので納得して走っています)。でも今はそういうことも一切ないです。
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松浦悠士
Matuura Yuji
広島県広島市出身。日本競輪学校第98期卒。2010年7月熊本競輪場でレースデビュー。2019年の競輪祭でGI初優勝を飾り、翌2020年のオールスター競輪では脇本雄太との死闘を制し優勝、自身2つ目のGIタイトルを獲得した。その翌年2021年には日本選手権競輪を“有言実行”で優勝。3つ目のGIタイトルを獲得し、グランドスラムへの意識を高めた。2023年はGI優勝こそなかったが、賞金順位でKEIRINグランプリの出場権利を獲得。広島カラーを象徴する3番車で挑んだ大一番は最終直線で渾身の差し切り勝ちを決め、見事グランプリ王者となった。チャンピオンとして臨んだ2024年は度重なる怪我に苛まれてS班の座を明け渡すことになったが、グランドスラムを目指す気持ちには一点の曇りなし。中国地区の大エースとしてさらなる飛躍を目論む。