2023/07/31 (月) 20:00 41
netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは。
前回のコラムでは“練習”について書きましたが、如何でしたか?? 私はその後“稽古”という言葉にも同じ意味があることを知り、私自身もこのコラムを通して考え、しっかりと勉強させてもらえていると感じました。
“練習”と“稽古”をうまく使い分けることができれば、更に能力を上げられる可能性があるのでは!? と思う、今日この頃…。
さて、練習仲間の溝口葵(117期)がA級初優勝をしました。このことは新聞のコラムにも書きましたが、頑張る姿を近くで見てきた私はとても嬉しい気持ちです。
まさか、あの66点だった溝口が…。
まだA級ではありますが、確実に力と知識はついてきているので今後も応援してあげてください。
よろしくお願いします!!
ここで少し“昔話”をしていきます。
私、浅井康太のデビュー戦は松阪競輪場。
結果は初日2着、2日目6着、3日目7着。競走得点は74点か75点だったような気がします。
そんな私が初めて1着をとったのは、2場所目の富山競輪、一般戦でのことでした。
当時は「A級チャレンジ戦」という格付けがなく、A級の一般戦といえば競輪界で最も低い場所でもありました。弱い私に師匠の佐久間重光さん(元日競選理事長)はとても厳しく…。
耳に入ってくる言葉は
「先行!! 先行だ!!」
「何やっとるんや、お前は!!」
「バックだ!! バックをとれ!!」
バックをとれない時(先行意欲がないようなレース)には厳しい罰もありました。私はこれが嫌だった…(むしろ嫌だったから先行していた笑)。
それは“坊主”です。
当時、競輪学校(現在の養成所)では坊主が基本でした。容姿や他事を考えず、トレーニングに打ち込ませる為なのでしょう。
まさかそれを…卒業してからやることになるとは。
デビューして数ヶ月後に1回。A級で特選レベルになった時に1回…。そして、S級でナショナルチームに入ったばかりの頃に1回の合計3回!!
そして、外車はS級になってから。髪の毛を染めることさえも禁止されていました。
さすがに今の時代でこんな指導のやり方をすると嫌な師匠、嫌な先輩に位置付けられることでしょう。
怒られる私をみて笑っていた人間もいたでしょう。でも、私は厳しくされたことで伸びた。そして、師匠から競輪を学ばせてもらい強くなれたし、人間としても成長させてもらえました。
そして、弟子を持つことでわかった…。
デビューしてくる若い子には“逃げた方がいいよ”と優しく伝えます。指導じゃなくてアドバイスだけ。
「坊主にしろ」とまでは言いませんでしたが、一番弟子の(伊藤)稔真には、私が強くなるきっかけとなった“先行主体”のレースをしろ!! と言い続けていました。
“指導”としてやっていると、弟子のレース内容にイライラすることもあり、感情的になり自然と厳しくなっていました。そして、ほとんど褒めることもなかった。ただただ、プレッシャーと苦痛を与えていただけだった。そうわかったのは、数年後に稔真本人が伝えてくれたからです。
でも、それと同時に「僕の為に言ってくれていたことが今わかりました」とも伝えてくれた。
今では“指導”ではなく“アドバイス”をします。
指導の場合、感情的になり上から目線にもなる。アドバイスなら、やるかやらないかは本人次第。
私の人生ではないのでね。
そう気付かせてくれたのは弟子だった。
いい師匠をもち、いい弟子を持った。
そして、今。
弟子ではないけれど、溝口に教える時には的確なアドバイスをしてあげられている。
先行する意味、練習する意味、トレーニング理論の大切さ、など。
様々な話をする中でしっかりと吸収してくれているように感じられる。真面目に努力できる人間が“稽古”をし“練習”ができたからこそ結果も付いてきた。私から言わせてみれば当たり前のことが起きただけ。
溝口をみていると昔の自分自身を思い出す。
クビ寸前…自転車の操作技術がゼロ…先輩から「センスない」と言われるなど…。
ガムシャラにやっていた人間が、ほんの少しだけ思考を変え、頭を使って取り組むだけ。それができれば結果に繋がる。
溝口に足らない部分。
それは…。
“アレ”だけです!!
ここでは言えませんし本人にも言いません(笑)!
もし悩んでいる人がいるのであれば、まずは現在の環境がどうなのかを把握するといいでしょう。環境を変える必要性も見えてくるかもしれません。
「自分の人生、自分で切り拓け」
浅井康太
Asai Kota
1984年、三重県生まれ。日本競輪学校90期卒、ホームバンクは四日市競輪場。2005年7月松坂競輪場にてデビュー。第20回寛仁親王牌(GI)で特別競輪初優勝を決めた。その後もKEIRINグランプリを2度制するなど競輪界の中心選手として活躍、中部を牽引する存在としていまなお進化を続けている。キーワードは「KEEP LEFT」