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私の生きる全て 〜原点回帰〜

2023/03/23 (木) 18:00 42

 こんにちは‼︎

 読者の皆様はなぜ頑張るのですか? 生きていくために最低限のお金さえ確保できていれば生きられる。人生、別に頑張らなくてもいいのでは!?

 人はなぜ頑張るのでしょう。

 今回のコラムは、私が競輪を「頑張る理由」についてです。

皆様はなぜ“頑張る”のですか?(撮影:島尻譲)

〜競輪との出会い〜

 私はギャンブル(公営競技)が大好きな父の子供として生まれてきました。父がハマったギャンブルは競輪。そして、ボートレースをかじる程度だったかな!?

 休日になると本場(四日市競輪場)へ連れていかれ、場内にある公園で遊んだことは今でも覚えています。23号線沿いにあった急な壁の斜面を走って登ったり、ゾウの滑り台やブランコをしたり。その頃の私には競輪場にいる感覚はなく、公園に連れてきてもらっている感覚だった。とても楽しい時間でした。

 ある時、迷子になってしまった3歳の私が父を探していると…。金網越しに走る自転車を見つけました。そう、それが初めて見た“競輪”です。

〜子供が見た競輪、そして選手〜

 ただ、カッコよく見えた。

 私の“競輪”に対する初めての気持ちです。

 子供の私は大人がお金を賭けていることも知らない。お金を稼げる職業だとも知らない。ただ、純粋にカッコよかった。速く走る自転車、選手たちの大きい体に迫力を感じた。

 そしてなにより、私(3歳)が補助輪なしの自転車に乗れるようになり、“自転車”というモノにとても興味があった時期だったことも大きかったでしょう。

浅井選手の夢が芽生えた四日市競輪場(撮影:島尻譲)

 今でこそ、たくさんのスポーツがメディアに取り上げられていますが…。当時よく取り上げられていたのはサッカーと野球。みんな、テレビを通して身近に感じるから、やりたい、なりたいと思うのだろう。子供の時、何かしらに興味を持つタイミングで、将来なりたいもの、やりたいことを見つけ“将来の夢”が出来ていく。

 私が出会い、夢にしたのは“競輪選手”でした。

〜死が原点〜

 映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観てきました。ほんの少し涙を流しました。

 今の私は、仕事や生活環境において誰かから刺激をもらうことがほとんどありません。

 しかし、この作品からは刺激を与えられた。

 学生時代ではありませんが、私もミヤギ(登場人物)と同様に家族を亡くしています。私を競輪選手にすることが夢だった父は、私がデビューをしてから間も無く死にました。それまでは自己満足の努力しかすることがなく、その時の成績は75点前後でクビ寸前の選手でした。

 ミヤギは家族を亡くした後、バスケをしていた兄(そーた) をも亡くしました。兄が大好きだったバスケ。ミヤギにとってのバスケは生きる全てだったのです。そう、私も父が導き出してくれた仕事(競輪)は生きる全てです。

 この作品は私の頑張る原点を気づかせてくれた。

 父はスポーツを見ること、やることが大好きだった。その中でも競輪を見ることがとても好きでした。息子を競輪選手にする方法がわからない父は、私に基礎体力をつけさせる為、サッカーを薦めました。

 私は小学1年から中学3年まではサッカー部に在籍。もちろん、その他にもやっていたことがあります。

 毎晩の走り込みです。

 小学3年から3km。

 小学5年から5km。

 中学1年から8km。

 中学3年では10kmを毎日走り込み。

 この走り込みがあったから、今の私が“乗り込む事”を大切にしているのかもしれない。人は基礎が崩れると全てが狂いだす。基礎をしっかりすることで基礎が少し崩れたとしてもまたすぐに上へ上がれるだろう。

“基礎”を大事にする姿勢は幼少期から(撮影:島尻譲)

〜親孝行したい時に親はなし〜

 子供には、親を嫌いになる時期があるだろう。私はありました。

 しかし結局、将来の事を考えて導き出してくれていたのは親なんだなと…。改めて思いました。

 【親孝行したい時に親はなし】

 親を大切にしてくださいね。

 そして、親は子供が育つ道をしっかり考えてあげて下さい。

 周りから“妬み・僻み・嫌味”など、嫌になる言葉を色々言われてきている。今でも陰口を言われていることもわかっています。

 それでも私が耐えられる理由は、父の為。

 これが私の原点。

何事にも耐えられるのは、父の為。(撮影:島尻譲)

 最後に一言。私はこう思います。

 【言う側より、言われる側になれ】

 以上。

【浅井康太選手 SNS】
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浅井康太

Asai Kota

1984年、三重県生まれ。日本競輪学校90期卒、ホームバンクは四日市競輪場。2005年7月松坂競輪場にてデビュー。第20回寛仁親王牌(GI)で特別競輪初優勝を決めた。その後もKEIRINグランプリを2度制するなど競輪界の中心選手として活躍、中部を牽引する存在としていまなお進化を続けている。キーワードは「KEEP LEFT」

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