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【伏見俊昭の追加あっせん】競走得点にうるさい男に煽られた!? 来々期のS級1班へのラストチャンス

2023/07/20 (木) 12:00 52

 netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは。伏見俊昭です。
 7月になり、競輪業界は2023年後期に入りました。前期の終盤は色々と葛藤する日々でした。また、昨年の落車の大ケガから約1年が経過したので、前期とケガからの1年を今回は振り返ってお話しします。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

絶望的だった来々期のS級1班

 2023年前期は佐世保FI(6月13〜15日)が最後の正規あっせんでした。そこで❻ 5 6と成績が悪く、点数を落としてしまう結果に。それで来々期(2024年前期)のS級1班が絶望的になっていました。

 しかし、佐世保から次の小田原FI(7月12〜14日)まで1ヶ月近く空いていたし、6月は期末で欠場が増えるので、『どこかしら追加が入るのでは』という思いがありました。そうしたら、月末の前橋GIII(6月29〜7月2日)の追加が。S1点確保のラストチャンスができて、とてもありがたかったです。

前橋の追加あっせんは気合いが入った /3番車・伏見俊昭(撮影:北山宏一)

 “なんとしても”という強い思いがあったので、この4日間はいつも以上に気持ちを入れてレースをすることができました。結果的に福島県の後輩の頑張りのおかげで、初日・最終日と確定板に乗ることができました。来々期の級班はまだ発表されてないですが、状況はかなり良くなったことだけは間違いないです。

福島、いや日本一? 競走得点にうるさい男

 この前橋では同県の佐藤慎太郎、金成和幸との3人部屋でした。
「伏見さん、今回、点数かかってますね?」って金成がうれしそうにボクに声をかけてきて。この金成がまあ、競走得点に詳しくて、詳しくて、うるさい(笑)。福島県の選手のあっせんとか追加はもちろん、級班のボーダー点数もすべて把握してるんです。異常なくらい…。でもきっと点数計算が趣味なんでしょうね。

競走得点に詳しい金成和幸

 ボクの場合は点数を気にしすぎると神経質になって守りにも入るし、思うように競走できなくなってしまう。周囲に気を遣わせるのも嫌だから、自分からは点数のことは言わなかった。なのに金成は「伏見さん、後〇点足りないっすね」ってエラそうに言ってくるんですよ。あまりにもしつこかったので思わず「うるせーんだよ!」って言ったら次の日から言わなくなりましたけどね(笑)。

 今回は103.3…くらいまで上げたし、金成が「大丈夫です!」って言ってくれた。金成の言葉には信憑性も重みもないけど、今回だけは信用しようかな(笑)。それにしても金成は点数への熱量がこんだけあるなら、それを競走にぶつけたほうがいいんじゃないかなって思いますよ(笑)。

「〇年ぶりに伏見がS2陥落」とよぎった悪夢

老いを感じた帯状疱疹(撮影:北山宏一)

 2021年前期も弥彦で失格してしまってS1の点数が取れなかったんです。最後の競走が地元のいわき平FIだったんですが、決勝に乗って良い着を取れればなんとなるという状況の中、準決勝で負けてしまいました。

 ずっとS1をキープしていたので、あぁ…来期は「〇年ぶりに伏見がS2陥落」ってメディアに書かれるのは嫌だなあって…。その時のプレッシャーはすごかったのを覚えています。

 追加をもらってからは2021年のときと同じような思いはしたくない、最後のチャンスって気合いが入り、ここ最近では一番いい練習ができたのもうれしかったです。
 でも、実は追加が入った直後に左の脇の下と広背筋に帯状疱疹が出たんです。痛くもかゆくもなかったから自分では気づかなかったんですが、娘が「これどうしたの?」って。翌日、病院で帯状疱疹って診断されたので色々と検索したら「帯状疱疹は50歳過ぎると増える」ってあって…。自分の限界を超えて練習しすぎてしまったみたいで、「ああ、もうボクは50歳すぎの体なのか」って情けなくなりました。

 ただ、幸いにも痛みもかゆみも出なかったので、前橋を走ることができました。その状況の中で前橋を走り切れたことは、自分の中でもプラスになったのではないかなと思っています。1週間、医者の指示通り、抗生物質を飲んだら無事完治したので、ひとまず良かったです。

カムバックしたオートレースの森且行君の姿は励みになる

2022年高松宮記念杯競輪(photo by Shimajoe)

 2022年6月の「高松宮記念杯競輪(GI)」で落車して鎖骨、肋骨骨折に肺挫傷、手の擦過傷と大ケガをして2週間の入院。8月「オールスター競輪(GI)」で復帰するまでに2ヶ月も掛かってしまいました。2週間休んでも致命的なのに2ヶ月も休んでしまうと筋肉は戻せても、心肺機能が戻らないんですよ。

 復帰戦では発走機を出た直後から、もう息が上がっているのがわかりました。赤板では心拍数がものすごく上がっていて、そこからのレースではもう余裕なんてまるでなくて。手のケガも治り切ってなくて握力もない。
 モチベーションは高く持とうと思っているけど、大ケガで挫折すると気持ちが弱くなってしまいますね。40歳前後で立て続けに落車して、厄年前に大ケガもしてそういうのが続くともう落車したくないって弱腰に。若い時はそんなことみじんも思ってなくて、ただ「勝ちたい」「勝ちたい」って気持ちだったから、モチベーションは常に高かったですね。

 それでも昨年の落車からここまでの1年間、肉離れはあったけど幸いなことに落車することなくゴールできています。1年間、無事故無違反でやってこれたのはうれしいし、感謝ですね。
 最近、暑くて練習も苦しいんですが、1年前の涼しい病院のベッドですることもなく、ただ痛いのをこらえながらボーッとしていたことを思い出せば、どんな環境でも練習できるのは幸せなこと。ケガはいつやってくるかわからない。今日、元気でも明日も元気っていう保証はないし、いつもケガと隣合わせでレースをしていて、競輪って本当に厳しい世界だなって思います。野球でもサッカーでももちろん故障はあるけど、競輪はここまでのスピードで落車してケガをするんですからね…。

 オートレースの森(且行)君も落車事故の大ケガから復帰しましたね。テレビでカムバックした森君の特集番組を見て、自分も元気をもらい、すっかり森君ファンになってしまいました。競泳の池江(璃花子)さんもそう。大病から体調を崩して、東京五輪は振るわなかったけど、来年のパリ五輪に向けて調子を戻してきている。そのモチベーションの高さに感動します。2人には自分も頑張らなくちゃって励まされる思いです。

年齢を重ねることで生まれる課題

今の課題はダッシュ力(撮影:北山宏一)

 6月前橋GIIIの初日は渡邉一成君の踏み出しに口が開いてしまい、余裕がなくなってしまいました。今の課題はダッシュ。あの神山雄一郎さんでさえ、昔なら絶対離れないところで離れるんですから。若い選手の踏み出しについていける瞬発力はダッシュ練習だけでは補えないですね。前が踏み込んだから、ダッシュしなくちゃっていう無意識の反応が、コンマいくつかずれるんですよ。脳に意識が伝達されるまでの反射神経が年齢とともに落ちてくるんですね。昔は前の選手がダッシュすると同時についていけましたが、今は考えてからだから時間がかかってしまいます。

 昔のトレーニングだけでは今の新人類の強い先行選手についていけない。なのでナショナルチームの練習を取り入れたり、昔のようなただがむしゃらな練習じゃなく、こうやればここが強化されるっていう効率の良い練習をやれるうちはモチベーションだけは切らさずに頑張ってやっていこうと思っています。

 練習が嫌だと思ったことはないです。練習は仕事だと思ってるので、仕事が嫌になったら辞めるしかないですから。もちろん、苦しいとは思うんですよ。なんでこんな苦しいことしてるのかなって思うけど、レースがあるから苦しい練習にも耐えられる。今さら、またGIで優勝するという気持ちは持てないけど、FIで決勝に乗って優勝したいっていう気持ちを大事にしていきます。

「伏見さん、無事に、無事ですよ」

「無事ですよ」と声をかけてくれる伊勢崎彰大(photo by Shimajoe)

 前橋GIIIの2日目に伊勢崎(彰大)君が補充でやってきました。「伏見さん、楽しまなくちゃだめですよ! 楽しんだもん勝ちですよ」って声をかけてくれました。さらに「伏見さん、無事に、無事ですよ」とも言ってくれます。

『頑張って』じゃなくて『無事ですよ』って。彼は本当にボクのことを良く見てくれているんですよ。その伊勢崎君、失格で来年はA級に落ちることが確定的。そうしたら「今、すごく練習してるんですよ。A級では全部、優勝してやりますよ」って言うんです。元々、落ち込むタイプの選手ではないけど、良い意味で開き直って練習してるんですね。それがとっても印象的でしたね。



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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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