アプリ限定 2021/04/23 (金) 18:00 10
日々熱い戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。このコラムではガールズ選手の素顔に迫り、競輪記者歴12年の松本直記者がその魅力を紹介していきます。
4月のピックアップ選手は"陸上自衛隊隊員からガールズケイリン選手"という並外れた経歴の持ち主「吉岡詩織(よしおか・しおり)選手」です。ガールズケイリンとの出会いから戦法の確立、目指している選手像など、吉岡選手を徹底解剖していきます!
2021年、ガールズケイリン選手としてデビューして3年目を迎えた吉岡詩織。吉岡にとって競輪との出会いは偶発的だった。高校卒業後、就職したのは陸上自衛隊。休暇を利用して勤務地の兵庫から実家のある広島へ帰省した際、広島競輪の場内イベントにアイドルの菊地亜美が来場していることを知った。そして吉岡は菊地亜美を見に行く目的で競輪場へ足を運んだ。しかし、そこで目にしたバンク内の光景に心が奪われたそうだ。
「菊地亜美ちゃんを見に行ったはずなのに、イベントの合間にレースを見て、その凄さに驚いた。自転車のスピードにびっくり。バンクの傾斜角度の凄さにも、そこを平然と走っている選手達にも驚いた。競輪ってスゴイ!って思いました。競輪場の中にはガールズケイリンのポスターもあって、格好いいな、自分もやりたいなと思いました」と当時を振り返る。帰りの電車の中では、競輪のことで頭がいっぱいになっていたと語る。
「ガールズケイリンをやりたい!」という気持ちは一気に高まり、即座に行動へと移した。しかし、一筋縄とは行かず、思わぬところからストップがかかったらしい。「(自衛隊の)上司に相談したら、めちゃくちゃ反対されました。選手になれなかったらどうするんだ? ガールズケイリンで食べていけるのか? と。ガールズケイリンをやりたいって気持ちだけで何も調べず、ただ“辞めたい”って伝えたので、準備も覚悟も何もしていなかった。甘かったですね」。
その後は気持ちを入れ替えて、ガールズケイリンのこと、競輪選手のことを調べに調べた。二度、三度と上司へガールズケイリンへの想いを伝え続けた。その熱意はやがて上司にも伝わり、自衛隊を辞めて、ガールズケイリン選手を目指すことを認めてもらえるようになった。
少し話は戻るが、中学、高校時代、陸上少女だった吉岡詩織。『そもそもなぜ陸上自衛隊を目指したのか?』という質問を投げた。すると「高校2年の3月に東日本大震災が起きたんです。その時にテレビから流れてくる自衛隊の活躍を見て、人の役に立つ仕事をしたいと思ったんです」と教えてくれた。そのため、陸上自衛隊の仕事自体に不満はなかった、と吉岡は語る。刺激が欲しかった時期、熱いレースを見たことがガールズケイリンの道を志す転機になった。
自衛隊を辞め、実家に戻り、選手になるために広島競輪場へ。そこで師匠となる田村光昭(67期)と出会った。「田村さんはガールズケイリンの師匠になりたかったみたいです。私が弟子になり、初めて会うとき、田村さんはどんなかわいい子が来るのかと楽しみにしていたそうです。そしたら来たのが自分だったからガッカリしたみたいです(笑)」と冗談を交えながら師匠との出会いを説明してくれた。
夏からは日本競輪学校の入学試験に向けて師匠との練習がスタート。吉岡は競輪場すぐそばにアパートを借り、練習に集中できる環境を作った。生活費は競輪場近くのコンビニエンスストアでバイトをして稼いだ。朝、昼、夕は自転車の練習、夜の18時から21時はバイトというハードスケジュールをこなす日々。その甲斐が実り、日本競輪学校116期に見事合格した。
日本競輪学校の生活は、自衛隊で集団生活に慣れている吉岡にとって苦痛はなかったそうだ。ガールズケイリンで1着を獲りまくることだけを考えて練習に没頭できたとのこと。しかし、滝澤正光校長に対しては反抗心があったと振り返る。
「競輪のことを全く知らなかったですね。1着だけを獲れればいいと思っていた。滝澤校長が直接指導してくれるT教場に選ばれたけど『先行で勝てる選手を育てたい』って言葉が自分には全然響かなかった。同じ教場にいた同期の高木佑真、南円佳は『先行で勝ちたい』って言っていたけど、自分はまくりでも何でも勝てればいいやと思って卒業しました」。そして、滝澤校長の言葉の意味をプロデビュー直前に痛感することになったと言う。
デビュー前の5月、松山でエキシビションレースが開催された。在校成績3位の吉岡は周囲の期待を一手に背負いレースに臨んだ。しかし結果は散々。まくり不発で凡走した。悔しくて悔しくてしょうがなかった。プロデビューへ向けて不安だけが残った。そこで手を差し伸べたのは同県の先輩選手・西田雅志(82期)だった。
「『何もしないで獲る1着より、何かしての7着の方が意味あるよ』って声を掛けてもらえて気持ちが落ち着いた。デビュー後は"前に出るレース"をしようと心に決めました」。
その後の6月、岸和田競輪で行われた2回目のエキシビションレース(ガールズケイリンニューカマーレース)では最終ホームからカマシ先行で高木佑真と先行争い。山口伊吹にまくられはしたが、吉岡の目指すべきレースはできた。プロデビューする前に「大事なことに気づけた」と吉岡は回顧していた。
116期は7月に各地でデビューした。在校1位の山口伊吹は初戦7着、卒業記念レースを制した鈴木樹里も初戦6着、そのほかの同期も先輩たちの厚い壁に阻まれて苦戦が続いた。しかしデビュー時期の話を吉岡に振ってみると「プレッシャーはなかった」という意外な答えが返ってきた。
「自分は同期の中でも最後にデビューだったんです。自転車競技の経験があって、在校成績も良かった同期たちが苦戦している様子を見てから初戦を迎えた。実績のある同期たちがダメだったし、自分も苦しいだろうなと思った。それなら力を出し切るレースをしようと、完全に開き直っていました」。
思い切りよく攻めるレース、学校時代に滝澤校長が言っていた先行をすると、あれよあれよと逃げ切り3連発でデビュー戦・完全優勝を達成した。デビュー4場所目、8月の川崎でも逃げ切り優勝。デビュー1年目に『ガールズグランプリトライアル』の出場権利を手にした。初出場のグランプリトライアルは2日目に1着ゲットで決勝進出(決勝は5着)。グランプリ出場こそかなわなかったが、大健闘の1年目を過ごした。
2年目の2020年は優勝が10月の武雄1回だけと少し物足りない戦歴だったが、1月のコレクショントライアル、8月弥彦、11月グランプリトライアル、12月武雄の4場所以外は全て決勝進出と安定感は光っている。今年もまだ優勝はなく、西武園のガールズフレッシュクイーンも6着に敗れた。それでも闘志はまったく衰えていない。
「競輪選手は勝てれば楽しい仕事。負ければつらいけど、自分の頑張りが賞金につながるからやりがいがある。自衛隊は頑張っても給料は変わらないですからね。目標はデビューした時と変わらない。『コレクションを優勝すること、そしてグランプリを優勝すること』です。あと、最近は松浦悠士さんと一緒にバンク練習をさせてもらうんですが、その時のお客さんの声援がすごい。自分も松浦さんのようにお客さんに応援してもらえる選手を目指したい」と大きな目標を掲げている。
吉岡の自転車のフレームカラーはオリーブグリーン。これは自衛隊のイメージカラーだ。前へ前へ攻め込む熱意あふれるレーススタイルを貫き通し、ファンの心に響く競走でビッグレース制覇を狙う!
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。