2023/05/26 (金) 18:00 15
netkeirinをご覧の皆様、こんにちは。伏見俊昭です。
コロナ禍で中止が続いていましたが、今年は4年ぶりに「全日本プロ選手権自転車競技大会」が5月29日に富山競輪場で行われます。自転車競技ファンや富山の競輪ファンには待望の開催でうれしいでしょうね。今回は全プロの思い出をお話します。
全プロは選手にとっては一年に一回の言ってみれば「競輪選手の運動会」みたいな催しです。地区プロから勝ち上がって全国大会の全プロに挑戦する。また、好成績をあげれば10月の「寬仁親王牌(GI)」への出場権や特選、理事長杯シード権が得られます。
僕にとって全プロといえば1キロタイムトライアル。もちろん、チームスプリントもケイリンも出場したことはありますが、やっぱり1キロTTです。当時、稲村成浩さん、荒井崇博くん、新田康仁さんらとタイムを競いあったのはいい思い出ですね。
1キロTTでは2000年から2002年まで3連覇することができました。全プロは優勝すると次年の地区プロが免除されて無条件で全プロに出場できるんです。「寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(GI)」のシードも得られるし、いいことづくめです。
自転車競技の中でも1キロTT、スプリント、ケイリンは花形種目です。特に1キロTTは競技が始まるとほぼ全員が観戦しに出てくるほど注目度は高いです。競輪選手になる上で1キロと200メートル(スプリント)は避けて通れないですしね。1キロTTはアマチュア時代に記録会や練習で走りますが、選手になると走る機会はなくなります。1キロTTは苦しくて苦しくてできれば走りたくない。これは走った人じゃないとわからないでしょうが、とにかく過酷…。明日、1キロTTだと思うだけで気持ちが憂鬱なるほどです。やっていた時は苦しい中でもしっかり調整して挑まなくちゃならないから、緊張感と不安と嫌だなという気持ちとずっと葛藤していましたね。
競輪と1キロTTはまったく別モノです。1キロTTはスタートからずっと一人で走って自分との戦い。最初から最後まで全力でこげるわけじゃないけど、スタートではスピードに乗せなくちゃいけないし、かといってそこで踏みすぎると後半タレる。上手く回せるかどうかですね。走っちゃえば苦しいのは苦しいけど、とにかく1秒でも早くゴールしたいっていう気持ちだけで無我夢中です。優勝すればうれしいけど、やっぱり全プロは嫌いです(笑)。
僕が3連覇する前は同期の十文字貴信君が1キロTTを3連覇しています。その優勝候補筆頭だった十文字君に追いつきたいという気持ちでしたね。
アトランタ五輪の選考会も兼ねていた1996年いわき平競輪場で行われた大会で、十文字君は頭一つ飛び抜けたタイム、1分3秒台で優勝しました。2位の神山雄一郎さんは5秒台だったんです。当時の3秒台は破格のタイムだったで会場がどよめきました。それも重いいわき平のバンクで、さらに天候も良くない中でのタイムだったから、びっくりしました。もっといい条件だったらさらに良い記録が出ていたかもしれないですね。
全プロの前日には全プロ記念競輪という競輪のレースがあるんですが、十文字君はそれを欠場して1キロTTに臨んだんです。競輪に参加すると調整も難しいですから。十文字君が前日にしっかりトレーナーさんと調整していたのは今でも鮮明に覚えてます。十文字君がその年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得したのも納得です。その時は僕も1キロTTに出場しましたが、良くタイムではなかったですね。
当時の1キロTTの練習は同門の選手との街道練習で先頭交代の我慢比べ。自分が先頭で引いて後ろについて休んでち切り合いしてタイムを上げていきました。今ならもっと効率なトレーニング方法があると思うけど、当時は本当にそれだけです。自分が最後まで生き残って、他全員をち切れるようにって。苦しくなってからがトレーニングなので、苦しくなってからもさらに一踏み、二踏み。いかに限界を超える練習ができるかでしたね。
当時はいろんな目標があったらかそれができてたんですよね。苦しい、嫌だと言ってもやっぱり1キロTTは花形種目でできればシドニー五輪で走ってみたかったですね。1キロTTは2004年アテネ五輪を最後に五輪からはなくなってしまったのは残念です。できればまた復活してほしいです。
チームスプリントは2007年いわき平(佐藤慎太郎、佐々木雄一)、2011年防府(佐藤慎太郎、鈴木謙太郎)で2回優勝しているんですけど…全然覚えてないんですよ(笑)。
チームスプリントで鮮明に覚えているのは1999年広島大会。金古将人さん、岡部芳幸さんと走ったんです。なんで金古さんと岡部さんと走ることになったのかは記憶にないんですけどこの3人でチームスプリント走るのは最初で最後だよなあ、うれしいなあと思ってましたね。結果は2位でした。
最後に毎年の恒例行事の思い出を一つ。
全プロの前には地区プロがあります。北日本では恒例行事として食事の時に「〇県〇期の〇〇です」って言う新人紹介がありました。その時に目標とする選手も言うんですけど、そこで名前が上がった選手は一気飲みさせられるんですよ。最初の一人がある選手の名前を言うと大体連続で指名されて、一時は「北海道の堂田将治さんです!」って堂田さんが集中攻撃されてました。自分も何人かに言ってもらってうれしい反面、複雑な気持ちで途中からは「もうオレの名前は言うなよ」って感じでにらみつけてましたね(笑)。
そこでは一発芸を披露する選手もいました。なぜか、北海道が毎年おもしろいんですよ。中でも大井浩平くんがとにかくエンターテイナーですごかったです。ある年、全身にごま油を塗りながら変な踊りをしてたのがものすごくおもしろくてツボにハマりました。大井君のこの芸は歴代一位。お笑い芸人としても通用するくらいの出し物でしたね。
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伏見俊昭
フシミトシアキ
福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。