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【伏見俊昭と競輪ダービー】兄弟愛を感じた村上兄弟のワンツー、そして有坂直樹のヤジ「伏見がまくり不発で散々だったなぁ」

2023/04/29 (土) 18:00 18

 netkeirinをご覧の皆さま、こんにちは。伏見俊昭です。
 来月、競輪界で最も格式の高いレース「日本選手権競輪(GI、通称・競輪ダービー)」が開催されます。今回は出場を逃してしまいましたが「日本選手権競輪」について昨年のコラムとは別の思い出をお話しようと思います。

伏見俊昭(photo by Shimajoe)

30回連続出場の壁は高かった…

 僕は、第51回大会から昨年の76回まで26大会連続出場していましたが、今年は出場を逃してしまいました。30回連続を目指していたのでとても残念です…。

 競輪ダービーの選考は前年2月から当年1月までの賞金額。昨年は2月に新型コロナウイルスの濃厚接触者になり、欠場を余儀なくされ、6月には「高松宮記念杯競輪(GI)」で落車して鎖骨骨折、9月には肉離れとトータルで約4ヶ月、実戦から離れました。今は1年間しっかり走り切って出場権を獲得できるかどうかのなので、4ヶ月のビハインドは大きかった。

 ダービーが3月に開催されていた時は、前年1年間の賞金額だったのでわかりやすかったけど、今は2月からになったので計算するのがなかなか面倒くさい。でも詳しい記者さんが10月くらいになると、今はどのくらいの位置であとどれくらい足りない、って教えてくれるんです。今回もいろいろ教えてもらったので最後まで気持ちを切らさないように頑張ったけど、出場には届きませんでした。連続記録は途絶えたけど来年のダービー開催地は地元のいわき平。そこに向けて一戦一戦コツコツ賞金を積み重ねていきたいと思います。

兄弟愛を感じたGI決勝のワンツー

 昨年の当コラムでは初優勝した2004年の静岡と「ピンクの弾丸」に突っ込まれて悔しい思いをした2005年の松戸について書いたので、今回はまた別の大会の思い出を語ります。

兄弟で決勝進出を決めた村上義弘(左)と博幸(写真提供:共同通信社)

 2010年松戸の第63回大会、優勝は(村上)博幸、2着は兄の村上(義弘)さん。兄弟ワンツーは1976年の「オールスター競輪」の藤巻兄弟(兄・昇が1着、弟・清志が2着)以来でしたね。

 決勝戦は村上さん、博幸の兄弟ラインの後ろにヤマコウ(山口幸二)さん、(坂本)亮馬にイノパン(井上昌己)の九州コンビ、(加藤)慎平が単騎で僕は同県の山崎(芳仁)君の番手。その後ろに松坂(英司)さんがついてくれました。山崎君もまくり主体だし、亮馬も位置取り重視なのでメンバー的に村上さんの先行一車という感じですね。村上さんが先行して亮馬が中団、慎平もさすがに番手には切り込まないだろうし、自分たちが7番手以降に置かれるというのが大方の予想でした。

 レースはその通りになってしまいました。自分が8番手なのは山崎君に絶対的な信頼を置いているのでいいんですが、気の毒だったのは松坂さんです。当時の山崎君は大ギアで車間を切って詰めていくっていうスタイルだったので実質、15番手くらいの位置だったと思います。ゴールした瞬間は博幸が手を上げて兄弟で喜んでいるシーンが印象的でした。

 兄弟でGIに一緒に乗るも大変なのに、GI決勝で連係して弟が優勝ってどんな気持ちなんでしょうね。当時は悔しかったけど、今なら美しい兄弟愛って思えますね。

「伏見がまくり不発で散々だったなぁ」

 2003年平塚(第56回)にも思い出があります。
 準決勝で高木(隆弘)さんと同じレースになりました。高木さんはホームバンクの主役、その目標に選ばれたのが僕でした。当時は北日本と南関の連係は主流だったし、僕もイケイケの自力型だったから期待度も高かったんでしょう。それでもGI準決勝ともなれば吉岡(稔真)さん、市田(佳寿浩)君、堤(洋)君と相手も強い。結局、中途半端になってしまってまくり不発に終わってしまいました…。

ダービーの話題になるたびに茶化してくる有坂直樹氏

 そこに高木さんと同期の有坂(直樹)さんがやってきて、「トカ(高木の愛称)よぉ、地元で伏見の番手っていう番組組んでもらってびっちり体も調整して仕上げてきているのに、伏見がまくり不発で散々だったなぁ」って大声で茶化すんですよ。高木さんはトカちゃんスマイルで「ほんとだよ」って苦笑いするしかないですよね(笑)。

 その後もずっと有坂さんはダービーの話題になるたびに「あの時、地元のトカつけて伏見はまくり不発でさぁ」ってしつこくしつこく言っていました。「吉岡さん強かったから仕方ないでしょう」って一応は反論していましたけどね(笑)。

地元のビックレースはいつも以上に自分を追い込める

地元のビックレースはいつも以上に気合いが入る(photo by Shimajoe)

 昨年は初めての地元・いわき平でのダービーでした。
 初日一次予選では大石(剣士)君を目標にして2着、二次予選に進むことができました。大石君も頑張ってくれましたが、自分の中ではここ数年で一番の仕上がり具合だったのも大きかった。二次予選で敗退しましたが、地元に向けてやってきたことを今後に生かしていけるという自信になりました。地元でビッグレースがあるといつもの練習がさらに気合いが入っていつも以上に追い込めるんですよね。その貯金で向こう何ヶ月間はケガや練習をサボらければ好調を維持できます。ピークに持っていくのが少しずれて、目標としていたその大会で結果が出なくても、その後に結果が出ることもよくあるんです。

 来年はまたいわき平で開催されるので、出場して良い走りをしたいと思います。

声援や歓声のために頑張っているといっても過言ではない

声援や歓声のために頑張っている(photo by Shimajoe)

 コロナ禍も落ち着いてきて、マスクもはずせるようになり、競輪場にも声援が増えて活気が戻ってきました。自分にとって声援は「活力」です。声援を受けると自分の中のアドレナリンが出てきて気持ちがいい。その声援、歓声のために頑張っているといっても過言ではありません。ヤジだとヘコむときもあるけど、それも応援してくださる裏付けかなとも思います。競輪場では命の次に大事なお金を賭けているわけですから、いろいろ言いたくなる気持ちはわかります。でも、あまり競輪場=怖いところと思われないような、度が過ぎない程度のヤジ…ではなく、声援を楽しみにしています。



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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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