アプリ限定 2022/12/19 (月) 12:00 28
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。12月のクローズアップ選手は尾方真生(23歳・福岡=118期)。2年連続でガールズグランプリに出場する実力派の選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
熊本県の南寄りに位置する球磨郡多良木町出身。豊かな自然の町で生まれ育った尾方真生は3人姉弟の1番上で、2歳下、11歳下と2人の弟がいる“お姉ちゃん”だった。
スポーツとの出会いは4歳の時。人見知りだった尾方を心配した母と祖母がエアロビックのクラブに連れて行ったことがきっかけで、次第に人見知りは解消され、エアロビック競技を楽しみ、全国大会で優勝するまでになった。
「エアロビックの大会で遠征に行けることがうれしくて。楽しかったです」
運動神経の良さは陸上競技でも発揮された。足が速かったこともあり、小学5年生の時、リレーの選手に選抜されたこともあるそうだ。この頃の将来の夢は警察官。駅伝を先導する白バイ隊員に憧れていたという。
中学も陸上を続けたが、志望校である九州学院高等学校では陸上での推薦枠がなかった。本人曰く勉強は好きではなかったそうだが、猛勉強が実り一般入試で九州学院への入学が決まった。この進学が尾方のガールズケイリンへの第一歩となる。
九州学院高校はスポーツの名門高で、今年のプロ野球を盛り上げた村上宗隆は同級生だ。
「(村上宗隆は)同級生だけど、接点はあんまりないんですよ。でも、ボートレーサーの松尾怜実は2、3年と同じクラスだったので、よく一緒に行動していました」
九州学院で寮生活を始めた尾方は、陸上競技に打ち込んだ。部活動終わりにスポーツマッサージへ行くことが多かったそうだが、そのときのマッサージで世話になったのが元競輪選手の長船浩泰さん(熊本・62期・引退)だった。
「マッサージを受けながら長船さんに寮生活のことを話したんです。そうしたら長船さんが“オレの家で下宿するか”って言ってくれたんです。自分ともう1人の高校生のために長船さんが自宅を下宿所にしてくれた。長船さんの奥さんも管理栄養士をされていて、食事の面倒も見てくれました。そのおかげで高校生活は乗り切れました」
長船夫婦のサポートもあり、部活道に打ち込む充実した高校生活を送った尾方が大学へ進学した時に、再び長船夫婦から声をかけられた。
「大学ではキックボクシングをしようかなと思って通うジムを見つけた日だったと思いますが、長船さんから急に“ケイリンやらんか”と言われて。その足で熊本競輪場へ行き、わけが分からないうちに自転車へ乗せられ、いきなり1000メートル走。ガールズケイリン挑戦を断れる雰囲気ではなかったです(笑)」
大学進学は決まっていたが、ガールズケイリンの試験を受けてみようと決めると、練習環境を福岡県にある久留米競輪場へと移した。
「競輪学校の試験が400メートルバンクで行われるので、熊本の500メートルバンクで練習するよりいいと周りの人たちにも言われたので久留米に拠点を置くことになりました。長船さんと久留米に行ったとき、藤田剣次さんを紹介されて師匠になってもらうことになりました」
エアロビック、陸上競技で鍛えた運動能力は自転車の上でも問題なし。自転車競技未経験でも受けることができる適性試験ではなく、技能試験で118期の入学試験を受け、なんなく合格。競輪選手としての第一歩を踏み出すこととなった。
118期は名称が「競輪学校」から「競輪選手養成所」に変わった1年目。卒業間近には新型コロナウイルスの流行もあり大変な年だったが、尾方自身は養成所生活を「あっという間で何も覚えていない。記憶にないんです」と振り返った。
同期には自転車競技経験者も多かったが、尾方の在所成績は2位。卒業記念レースでは最終バック5番手から豪快にまくって優勝。姉弟子の小林優香、児玉碧衣らが手にすることができなかった卒業記念レースのタイトルを獲得した。
藤田剣次一門に所属することは「得るものが多かった」という。
「在所中はナショナルチームにいた小林優香さんにいろいろアドバイスをもらえた。卒業してからは久留米に戻ると児玉碧衣さんがそばにいて、アドバイスをもらえた。とてもいい環境で練習ができているんだなと思いました」
尾方の代から同期同士の争い「ルーキーシリーズ」が始まり、20年5月の小倉競輪でデビューすると、同期相手に3連勝の完全優勝を成し遂げた。
先輩との対戦となっても、デビュー2場所目の7月青森競輪で1、3、1着の優勝。3場所目の函館も優勝するなど、順風満帆のスタートを決めた尾方は、新人選手が出場することが難しいと言われている11月のグランプリトライアルの出場権も手にしたのだった。
その後もまくりで白星を積み重ねていったが、自分の競走スタイルに「自信は持てなかった」と語る。そんな時、姉弟子の児玉碧衣からひと言で尾方の意識は180度ガラッと変わったのだ。
「今のままのレースをしていると上で戦えないよ」
姉弟子児玉からかけてもらった言葉をきっかけに“先行で強い尾方真生”のスタイルの確立を目指すことになる。
「デビューしてからはどう走ったいいかわからなかったのですが、(児玉)碧衣さんにアドバイスをもらって“走り方”がわかりました。『誰も駆けなければ自分が仕掛ける』というシンプルなレースをするようになりました」
グランプリ3年連続V、賞金女王・児玉碧衣からの金言を胸に刻むと、レース内容は一気に良化。元々尾方が秘めていたポテンシャルの高さと相まって、成績も上昇し、充実の1年目を終えた。
2年目も順調にスタートを切るが、悔しいレースもあった。4月に西武園で行われた単発レース「ガールズフレッシュクイーン」だ。
116期、118期の選考期間内競走得点上位者で争われる大会。選考順位1位で選出され、ファンの支持も集めてレースに臨んだが、大事な一戦で普段通りの走りができず弱気な組み立てになってしまい、同期・増田夕華に差されて2着。準優勝に終わってしまった。
「同期には負けたくなかった。すごく悔しいレースでした。自分の競走をすれば良かったのに、仕掛ける勇気がなかった。中途半端になってしまった分、増田さんに差されてしまった」と悔しがった。
敗戦の悔しさをバネにすると、フレッシュクイーン後の佐世保から4場所連続完全優勝。7月函館のフェスティバル予選1では姉弟子児玉碧衣を完封する逃げ切り1着(梅川風子と1着同着)と価値ある勝利をつかみとり、フェスティバル初出場で初決勝進出(決勝は6着)を果たした。以降もコンスタントに優勝を積み重ねて、グランプリトライアルでもきっちり決勝進出。賞金ランキング5位でグランプリ初出場を手にした。
だが、初出場のグランプリ(静岡)は6着。先輩たちの高い壁を乗り越えることはできなかった。姉弟子小林優香の奇襲カマシに対応が遅れてしまい、あっという間にレースが終了してしまった。
3年目は3月にコレクション(宇都宮)初出場を果たし、自慢の先行力を披露。結果は5着も存在感を大いに発揮した。4月にはリベンジを誓った臨んだ「ガールズフレッシュクイーン(平塚)」を完勝。外併走からのまくりで強さを見せつけた。6月の松山では「選手になってから初めて」という落車を経験するも直後の広島、高知で2場所連続完全優勝。
夏から秋にかけては2年連続のグランプリ出場へ向けての賞金争いで神経をすり減らす場面もあったというが、師匠の藤田剣次から「なるようにしかならない。レースを楽しんで」とアドバイスをもらい、メンタルは安定していた。
また、オンオフの切り替えにも余念が無い。オフの日には仲の良い選手と釣りに行ったり、大好きなかき氷を食べに行ったりと、充実したリフレッシュを行っている。
気持ちの充実が尾方のポテンシャルを引き出し、10月の防府から4場所連続優勝。グランプリトライアルの決勝に進出し、賞金ランキングは7位でフィニッシュ。滑り込みで2年連続グランプリ出場を手にした。
「トライアルが終わるまでは賞金争いで大変だったけど、出場が決まった以上はグランプリで頑張りたい。昨年の分まで力を出し切りたい。しっかり練習をして調整をして臨みたい」と気合を入れる。
最後に、師匠・藤田剣次は尾方にエールを送った。
「長船さんと一緒に久留米に来ました。最初のころは人見知りでしたね。自転車に乗せてみたらセンスがあったし強くなるなと思いました。想像通り力を付けてきています。練習に関しては真面目で吸収能力が高い。身近にいいお手本がいるので、ある程度のレベルまでは成長してきました。
ただここから超一流になるためにはもう一皮むけてほしい。トップレベルの選手になれる素質はあると思うので、この壁を破ってほしい。姉弟子の児玉碧衣だってコレクションやグランプリを勝つまで時間が掛かりました。駆けてもまくっても差される時期はあったけど、その経験を積んでいくことで強くなった。(尾方にも)今は持ち味を出すレースを続けてもらいたいですね」
12月は体調を崩してしまい、いわき平を欠場したが、グランプリ本番には間に合わせてくるはずだ。尾方真生の先行力には無限の可能性が詰まっている。対戦相手がまくれないペース逃げに持ち込んで、グランプリ初優勝の栄冠をつかみにいく。昨年の分まで積極的なレースを期待したい。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。