2021/03/21 (日) 12:00 2
宇都宮競輪場で開催されている「国際自転車トラック競技支援競輪(GIII)」の決勝レース展望をお届け! 決勝は本日16時30分発走予定。
今節、ウイナーズカップ直前の開催で突出した選手はいないが、型のある面々で狙いやすさがある。宇都宮で思い出すのは、オレが2002年にのっぴきならぬ事情で引退になっちまった時のこと。競輪人生は50才までと掲げていたのに…!
突然のことだから「これから何をしようか?」なんて思っていた。そこに旧知の友から連絡が入り、誘われるままバンクの内から外へ…! 戸惑いながらも時折ゲスト解説などポツポツこなす日々を送るようになった。そして本格的にデビューすることになったのが、宇都宮で行われた「共同通信社杯」だった。
当時は場内にファンの活気がすごく、押され気味だったのを覚えている。場内イベントは街頭演説さながらのステージだったが、伊藤克信さんの軽妙な語り口調に乗せられ、ファンとのやり取りが楽しかった! 引退直後で車券もよく的中し、もっと早くやめればよかった!なんて思ったっけ(^^) まあ、めでたく宇都宮で車券好きのオレが覚醒したのである!
さて、話を戻そう。準決勝10Rは望月一成、末木浩二の主導権争いになったが、うまく内をすり抜け、宿口陽一が仕掛け、単騎竹内雄作がまくり決着をつけた。11Rも人気に応えるべく小川真太郎がまくって柏野智典でおさまった。12Rは小松崎大地か佐々木悠葵で固い! と睨んで勝負に出たが…(T_T) 優勝が有力視されていた小松崎は残念な結果に。
関東が並ばない? なぜだ? どうなってんだ? オレの思考回路では理解不能!こりゃ俄然面白くなったきたぞ! 佐々木悠葵は「優勝を取りたい!」の気持ちが強く働いたんでは? いわき平記念で関東が折り合い、朝倉の番手を主張したのは森田優弥だった。Vに一番近いポジションなのに結果は番手まくりをしたにはしたが、焦る気持ちが裏目に…。大波乱を招いちまった。
玉野記念in広島でも取鳥雄吾が太田竜馬の番手を回るが、一瞬の躊躇が仇になり、寸前のところで松浦悠士にVをさらわれた。競輪は人の繋がり! 一足飛びに結果は出ない。このことは過去に学んでいるはずなのに! 関東の結束がないのは残念だが、オレにとっては面白いレースになった(^^)v
決勝戦の並びを整理すると、関東別線の細切れ戦となった。①宿口陽一-⑧神山雄一郎、⑦佐々木悠葵-⑤杉森輝大、⑨小川真太郎-②柏野智典、③竹内雄作-④渡部幸訓、単騎戦となった⑥新田康仁(⇐①⑧・⑦⑤・⑨②・③④・⑥)
渡部はスタート早く前受けに出よう。宿口-神山はこの後。単騎の新田康仁は流動的。小川-柏野で、佐々木悠-杉森(若しくは佐々木悠の前受けなら宿口-神山)。
逃げたくない小川がインを切る。ここからレースが動くはず。その上を竹内が叩くが、Vを狙う竹内がおいそれと逃げるとは思えず。その間隙を突くのは宿口しかいない! それはなぜか? それは平原康多の薫陶(くんとう)を受け、競輪道を教え込まれた宿口なら当然! レジェンド神山さんを記念100Vに導く走りができるだろう。いや、これしか考えられん!
「”オレがオレが”の我を捨てて、”おかげおかげ”のげで生きよ」の精神。神山雄一郎の地元メモリアル勝利に期待し、オレは『神山-全-全』でフルイングだ! いざ勝負!
吉井秀仁
Yoshii Hidehito
千葉県茂原市出身。日本競輪学校第38期卒。選手時代はその逃げるスピードの速さから「2週半逃げ切る男」と称され人気を集める。1978年競輪祭新人王戦を制し、翌年も小倉競輪祭の頂点に立つ。1980年の日本選手権は完全優勝、1984年オールスター競輪でも覇者となり、選手としての一時代を築き上げた。現役引退後はTV解説者やレポーターとして活躍、競輪場での予想会イベントやYoutubeのライブ配信なども精力的におこなっている。ファンからは「競輪客のような解説者」と親しまれており、独特のひらめきによる車券戦術を数多く披露している。