閉じる
すっぴんガールズに恋しました!

【當銘直美】師匠・新田康仁の言葉をいつまでも大切に「車券を買ってくれたファンのために」

アプリ限定 2022/11/15 (火) 12:00 21

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。11月のクローズアップ選手は當銘直美(26歳・愛知=114期)。22日から始まる運命のガールズGPトライアルBに出場する実力派の、選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!

當銘直美(トメ・ナオミ)

テレビで知った“ガールズケイリン”

 當銘直美はスポーツの街・静岡県磐田市の出身で、2つ年下の妹・沙恵美(118期)と2人姉妹。幼少期はよく一緒に外へ遊びに行ったそうだ。小学校の頃から視力が落ち、普段の生活はだいたいメガネをかけていたという。「都会に出て美容系の仕事に就くこと」と、当時はそんな夢をぼんやりと描いていたそうだ。

 しかし中学生の時に、自宅での家族団らん中に流れてきたテレビの映像でガールズケイリンの存在を知り、ガールズケイリン選手を目指すことに。

「たまたまテレビで“ガールズケイリン1期生訓練”を見ていて“なにこれ!”って。伊豆ベロドロームでの訓練風景だったと思いますが、すぐにやりたいって思っていました。女性のプロスポーツ選手にも興味があって、ガールズケイリンの選手になりたい気持ちが強くなりました」

ガールズケイリンの選手になりたい気持ちが強くなっていった(本人提供)

 意を決した當銘は自宅から通学圏内の私立浜松学院高校へ進学し、自転車競技部へと入部した。全国高校選抜自転車競技大会に出場し、活躍することになるのだが、自転車競技未経験だった當銘に自転車を教えたのは同じ高校の同級生・鈴木陸来(117期)だった。

「高校入学当初は電車で通っていました。でも欲しい自転車があり親に頼んだら“高校へ毎日自転車で通学するなら買ってあげる”と言われたので、自転車通学になりました。最初はキツかったけど、陸来のおかげで少しずつ慣れていきました。片道50分くらいを毎日自転車通学していましたね」

デビューまでは波瀾万丈! 遠回りしたプロへの道のり

 機は熟し、高校3年生のときに110期の競輪学校試験を受けるが、まさかの不合格。

「1回目の試験は自信がなく手応えもなかったのですが、いざ不合格となると、やっぱり悔しかったです。高校時代を一緒に過ごして、110期で合格した大谷杏奈ちゃん、鈴木奈央ちゃん、坂本咲ちゃん(引退)のSNSを見るたびに「いいな〜」と悔しい思いをして…モヤモヤしていました」

“もう一度競輪学校の試験を受けたい”気持ちが大きくなっていた當銘は、高校卒業後に未来のガールズケイリン選手の発掘、育成を行う『T-GUP(豊橋競輪ガールズケイリン育成プロジェクト、Toyohashi Girls keirin Upbringing Project)』に参加することになった。朝5時30分に家を出て、豊橋競輪場に向かい練習。自宅に帰るのは夜8時をすぎることがほとんどだが、充実した毎日を過ごしたという。

(左から妹の當銘沙恵美、加瀬加奈子、當銘直美 | 本人提供)

「T-GUPには本当にお世話になりました。コーチや施行者の方もすごく優しくしてくれました。厳しい練習が終わるとバーベキューをしてくれたりと、アメとムチを使い分けてくれましたね(笑)。競輪学校に受かるためのトレーニングを一から教えてくれたおかげで無事112期として競輪学校に合格することができました」

 112期で競輪学校に合格し、ガールズケイリン選手への一歩をようやく踏み出したかと思えたが、競輪学校で禁止されていた異性間の手紙交換で停学処分に。

「自分が悪いんです。いろんなことの認識が甘かった。あのころはプロになる覚悟がなかったんだと思います。なにより112期で受験して落ちてしまった人たちに申し訳なかった」

 停学処分になり実家へ帰った當銘を受け入れてくれたのが、師匠の新田康仁(74期)と家族だった。

「競輪学校へ復学するチャンスがあるんだから諦めないほうがいい」

 新田は今でも當銘の中では大きい存在だ。

「カッコいい師匠です。今は一緒に練習する機会は少ないですが、今でも大事な存在です。初めて会った新田さんは骨盤骨折で壮絶なリハビリをしていました。その姿を見てプロの競輪選手はすごいなと思いました。“ファンから応援してもらえる選手になりなさい。ファンの人が車券を買ってくれるから自分たちはご飯を食べることができるのだから”と、新田さんから言われたことは今でも胸に残っています。“新田康仁一門”でいつかビッグレースに参加したいですね」

高校生の時から憧れていたカッコいい師匠・新田康仁

師匠の教え“諦めない心”で突き進む

 師匠から“諦めない心”を教わった當銘は心を入れ替えた。「まわりが諦めていないのに、自分自身で競輪選手への挑戦を絶つのは違う」と、114期の試験に全力でぶつかり、復学がかなった。114期として2度目の競輪学校入学となる。

「114期の試験結果が家に届いたときは怖かったです。書類を開けて見たけど、合格か不合格か分からなかったので、競輪学校へ問い合わせたら競輪学校の方が“戻れるんだよ”と教えてくれました。そのときはいままでの人生で一番泣きました。お世話になった人たちのことを思うと涙が止まりませんでした。“絶対に選手になる”とその瞬間に強く思いました」

 110期は試験不合格、112期は停学処分、3回目の挑戦となった114期として入学した當銘。114期は柳原真緒、佐藤水菜の2人が同期を引っ張っていたが、その2人に追い付けるように一生懸命練習に励んだ。在校成績は21人中14位だったが、充実した1年間を過ごし卒業することができた。

 デビュー戦は2018年7月の防府に決まったが、「防府がどのあたりかもわかっていなくて、どうしようかと困っていたときに、同県の舘(泰守、80期)さんが声を掛けてくれました。前検前日に移動して、舘さんと同期の桑原大志(80期)さんと一緒に食事をする機会をいただけて。その当時のS級S班だった桑原さんから“(レースで)出し惜しみをしないこと”とアドバイスをもらえた事を覚えています」

 防府でもうひとつうれしい出来事があった。112期の存在だ。開催に参加する前は112期に対して後ろめたい気持ちがあったが、検車場で顔を合わせると声を掛けてきてくれたそうだ。

「自分は112期で一度競輪学校に入っているけど、停学になった。112期のメンバーに申し訳ない気持ちがあったが、112期のメンバーからは“終わったことは気にしない。これから頑張ろう”と優しくしてくれた。その言葉をもらえてホッとしたことを思い出します」

 肝心のデビュー開催は6、6、7着と大惨敗に終わった。中途半端に前に出たり、最後方で動けずとちぐはぐな3日間になってしまったが、開催が終わると一本の連絡が入った。ガールズケイリン2期生の杉沢毛伊子(104期)からだ。

杉沢毛伊子の言葉が胸を刺した

杉沢毛伊子の喝でスイッチが入った

「杉沢さんにはアマチュアの頃からお世話になっていたんです。デビュー戦が終わってすぐ、杉沢さんから連絡がありました。“直美、あんなレースをしていたらダメ。生き残れないよ”と厳しい言葉をもらいました。“追走が得意なんだから、持ち味を活かして”とアドバイスをもらいました」

 杉沢毛伊子の叱咤激励で目覚めた當銘は続くデビュー2場所目の静岡、続く平塚、豊橋と3場所連続で決勝進出を果たす。そしてデビュー7場所目の取手最終日一般戦(2018/9/29)で初勝利を挙げた。

「114期はみんな初勝利が早かったし、ようやく追い付けたって感じでした。デビューした年は目の前のことを一生懸命やることで精いっぱい。余裕がなかったですね」

 デビュー2年目の19年4月には静岡で初優勝を達成した。グランプリ出場歴のある石井貴子(106期・千葉)や、高校時代に自転車競技で雲の上の存在だった鈴木奈央(110期・静岡)に先着と、価値ある優勝となった。

「静岡で優勝できたことはうれしかったですね。生まれは静岡ですけど、登録は愛知。それなのにファンの人たちの声援がすごくて力になりました。最後の直線は外を踏んで1着。勝てたって実感はありませんでした(笑)」

ホームバンクを豊橋から名古屋へ レベルアップを求めていく

 順調にキャリアを積んだ當銘は、デビュー3年目の20年にはホームバンクを豊橋から名古屋へ移しレベルアップに務めた(7月に移籍)。

「デビュー当時から舘(泰守)さんや近藤龍徳(101期)さんにセッティングを見てもらっていたこともあり、名古屋に所属を変えることにしました。20年は競輪祭(グランプリトライアル)に出たいと口にするようにしました。自分は目標を立てて、それを口に出していくほうがやる気が出るんです」

 目標を立てた以上はクリアするのみと、グランプリトライアル出場を達成するために20年は年頭から突っ走った。1月にコレクショントライアル(静岡)へ初めて参加すると、直後の平塚では佐藤水菜を相手に先まくりを放ち自身2回目の優勝を達成。4月の大垣では梅川風子のまくりを差して3回目の優勝とコンスタントに賞金を積み上げた。1月〜8月をきっちり走り切ることで11月のグランプリトライアル出場権をしっかり自分の力でつかみとった。

「目標だったグランプリトライアルへの出場が決まったときはすごくうれしかったです。でも実際に小倉へ行って開催に参加すると、周りのレベルの高さにビビってしまった。ガールズグランプリ出場者を決める最後の戦いの雰囲気に完全に飲まれていました。一緒に参加した同期2人(佐藤水菜・優勝、柳原真緒・決勝3着)とのレベルの違いを感じて、“(自分は)何しているんだろう”と思いました」

114期(左から當銘直美、佐藤水菜、日野未来、那須萌美)

“何をしているんだろう”同期との差を埋めるには…

 21年は悔しさをバネに飛躍を誓った1年だったが、年々レベルアップするガールズケイリンの流れに乗りきれず、グランプリトライアルへの出場はかなわなかった。

「悔しかった。でも成長するためには必要な1年だったと思います。点数が下がってへこんだ時期もあったけど、気持ちを切り替えて練習に打ち込みました」

 22年は年頭の高松優勝からスタート。決勝進出を外してしまったのは5月伊東、6月平塚の2開催のみ。7月岸和田で落車をするもすぐに戦列に復帰。2年ぶりのグランプリトライアル出場権も無事獲得。9月岸和田では大量落車に巻き込まれるも、すぐに再乗してゴールを目指し、今年3回目の優勝を手にした。

 2年ぶりのグランプリトライアルを控えた今、気持ちが入りまくっている。

「練習仲間の方からも“車券を買ってくれたファンが納得するレースをしなさい”と言われています。自分でもそう思いますし、當銘直美は何をしたかったのかが伝わるレースをしていきたい。グランプリトライアルは久しぶりのビッグレース参加。フレッシュクイーンやフェスティバルの補欠が続いた時期がありモヤモヤしたこともあるけど、小倉では自分のできることをしっかりやりたいです」と気合を入れる。

 目標を口にすることで実現させてきた當銘直美。次の目標を尋ねると力強い言葉が返ってきた。

大切な妹・當銘沙恵美

いつか妹と一緒にビッグレースに

「ホームバンクの名古屋でビッグレースが行われることがあれば絶対に出たいですね。名古屋のビッグレースは(長澤)彩さんが出ていて、憧れていました。自分も目指したい。まずは何でもできる自在戦を極めていきたい。結果に漢字(落車や失格)を付けずに勝つことが一番。デビューから失格を1回もしていないことは誇りなんです」

 続けて、「あともうひとつは妹と2人でレースに参加すること。沙恵美は練習で自分より強い部分がある。先行したら沙恵美のほうが強いと思う。妹に負けたくないし、いいライバル。ガールズケイリンは姉妹レーサーが多くいるけど、當銘姉妹はまだ一緒の開催がない。2人でビッグレースに参加できるように頑張りたいですね。ケガの多い仕事なので妹のことが心配だけど、選手になった以上は応援している。今は練習環境が名古屋と豊橋で別だけど、豊橋が開催中で使えないときは名古屋で一緒に練習をすることがあります。妹はとても大切な存在です」

 テレビで見たガールズケイリン1期生をきっかけに競輪挑戦を決意した當銘直美。選手になるまでに遠回りをしたが、その分競輪への情熱は誰にも負けない。気持ちの強さを前面に出し、車券への貢献度の高いレーサー。グランプリトライアルでも存在感を大いに発揮してくれそうだ。

母校の小学校で講演する當銘直美「多くの人にガールズケイリンを知ってもらいたい」(本人提供)

つづきはnetkeirin公式アプリ(無料)でお読みいただけます。

  • iOS版 Appstore バーコード
  • Android版 googleplay バーコード

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

バックナンバーを見る

質問募集

このコラムでは、ユーザーからの質問を募集しております。
あなたからコラムニストへの「ぜひ聞きたい!」という質問をお待ちしております。

すっぴんガールズに恋しました!

松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

閉じる

松本直コラム一覧

新着コラム

ニュース&コラムを探す

検索する
投票